畑仕事の手をとめてインタビューに応じてくれたフォトグラファー・小暮徹さんと。

連載「こぐれひでこの『ごはん日記』」の著者であるイラストレーター・こぐれひでこさんの暮らしを紹介した3回シリーズの最終回。

キッチン編(前編後編)、住まい編(前編後編)に続く今回は、日記では「TORU君」でおなじみの夫、フォトグラファー・小暮徹さんにもご登場いただき、夫妻の馴れ初めからこれからのことまでを聞きました。

出会って56年。6畳ひと間から始まった新婚生活

こぐれさんとTORUさんは、東京学芸大学教育学部美術科で日本画を専攻した同級生。こぐれさんの旧姓は「小柴」で、大学の入学手続きをするとき、名簿順に「小暮、小柴」と並んで名前を書いたのが出会いだそうです。

「どうやっておつきあいがはじまったんだっけ、自然な流れかな」「いや、俺からだったんじゃないかな。まあそういうことにしておこうよ」と、今でも当時のことをついこの間のように語る夫妻。入籍をしたのは大学を卒業してすぐ、1969年の5月のこと。

引っ越してまもなく、男がトランクを下げてやってきたので、そのまま結婚。(中略)結婚式もしなかったのに、実家から嫁入り道具の洋服ダンスと茶ダンス、テーブルが送られてきて、狭い部屋はますます狭くなった。

(著書『こんな家に住んだ』25ページより引用)

家賃1万500円の薄暗い6畳間に半畳の台所がついたアパートではじまった新婚生活。そこから国内外で数えきれないほどの引っ越しを繰り返し、現在の住まいに至ります。今年2021年5月3日には52回目の結婚記念日を迎えました。

三浦半島の豊かな食材が、暮らしの励みに

相模湾が一望できるテラス。朝食はいつもここで。「田舎暮らしは静かだと思われがちだけど、強い風が吹くとテラスの窓はガタガタ鳴るし、鳥の歌もうるさいね。よく『へたくそっ!』っていちゃもんつけてる(笑)」(TORUさん)

神奈川県横須賀市秋谷に引っ越して、2021年12月で丸7年。インターネットで見かけた家にひと目惚れして、内見した日にランチを食べながら購入を決めたという潔さに驚きますが、「引っ越してすぐは、あまりの変化に少し落ち込んだ」とこぐれさん。それまで暮らしていた東京都目黒区青葉台の家は、代官山も中目黒も目と鼻の先で、おいしいものにあふれ、何をするにも便利。35年暮らしたというなじみもありました。

「とにかく人が来る家で、深夜1時に玄関のチャイムが鳴って『ごめん、パジャマだからまたね』なんてこともよくありました(笑)。この近くにも友人はいますが、急な坂もあってどこへでも気軽に行けるわけではないし、近くに店もないから『今日は作るのが面倒だから、ちょっと外で食べよう』なんてことはできません。ステイホームって言われても、生活はあまり変わりませんでしたね(笑)」(こぐれさん)

引っ越してしばらくは、たまたま回覧板がまわってこなかっただけでも「仲間外れにされているかと心配したの」と冗談めかして話すこぐれさんですが、今では近所に知り合いも増え、行きつけのお店もたくさん。「何より、夜の時間を自分のために使えることがすごくいい睡眠時間もしっかり確保できるようになりました」と話します。

そして「やっぱり引っ越してきてよかった。この場所、いいかも」と思わせてくれたのは、海の幸と山の幸にも恵まれた三浦の食材。キッチン編の後編でも、豊かな食材について語っています。

「TORU君と一緒に買い出しに行って、一緒にキッチンに立つなんて日が来るとは思っていませんでした。東京に住んでいたときは、魚をおろすのもスーパーにお任せ。でも今はTORU君が率先してやってくれます。漁師の友人がくれた大きな魚をさばいて煮つけにしたり、凝ったフランス料理にも挑戦したりしてる。すごく上手ですよ」(こぐれさん)

調理道具が使いやすく並べられたキッチン。左のジューサーで朝食用のジュースを作るのはTORUさんの担当。

健康や夫婦円満の秘訣は……「馬鹿野郎(笑)」

パートナーの慣れない台所仕事に「それはそうじゃない」などと口出ししたくなることはないかを聞いてみると、「それはまったくないですね。私は何も知らないから」とこぐれさん。TORUさんがメインディッシュを用意するときは、サラダやガルニチュールを担当するサポート役に徹します。

「サラダやガルニチュール担当の日は、私は切って並べるだけって感じですけど、彼は本を見てイチから丁寧に作ってる。今なんてレカン(※)のレシピですから、私はとても適いません。お肉を40分かけて焼くなんて、聞くだけで面倒って思ってしまうけど、TORU君はうまくいかないと『明日もやる』ってすごく熱心。以前、日記に書いたローストディアもそうね。感心します」(こぐれさん)

※銀座のフランス料理店。当時の高良康之シェフは独立し、現在は「レストラン ラフィナージュ」オーナーシェフ

2020年3月19日の日記より、TORUさんがレシピ本『「銀座レカン」高良康之シェフが教えるフレンチの基本』を見ながら作った「イノシシ肉の赤ワイン煮込み」。

TORUさんがベーコンにしようと思って買っておいたブロック肉がスライスされてほかの料理になっていたり、ソースを仕込むはずだったトマトがサラダで出てきたり、「油断すると、ひでこさんはすぐ俺の材料を使っちゃう。昨日は清湯スープの出汁をとろうと思っていた挽き肉がキーマカレーになっていた」と笑いながら話すTORUさん。

その後、TORUさんが作った料理のこと、庭で育てた野菜や花のこと、昔食べた料理のことなど、おふたりの話は尽きません。

「ひでこさんは、出会ったときから今と変わらず、小柄でかわいくてよく笑う人でした」(TORUさん)

「ふたりでいるときは、しゃべっているか、テレビの政治番組を観ながら文句を言っているか、どっちかね。たまにサッカー観戦も。まあとにかく、ふたりともよく笑うかな。それが健康の秘訣かって言われるけど、そんなので健康になれる?(笑)」(こぐれさん)

夫婦円満の秘訣もそう。たまに聞かれるけど馬鹿野郎って感じだな(笑)。けんかをしても仲がいい夫婦もいるし、けんかはしないけど冷ややかな仲の夫婦もいる。どうすれば夫婦が円満でいられるかは、自分たちで考えてくださいって言いたいね」(TORUさん)

リビングにはお気に入りのチェアとギターが

おとなしいだけの年寄りになんか、なりたくない

「ここに来た人はよく、テラスへ出て『この景色なら何時間でも眺めていられる』っていうんだけど、私たちにとってこの景色は生活の一部。でも海を眺めるたび、素敵なところだなあ、とウットリはします」(こぐれさん)

そして、「起きたら、やっぱりまず海を見ますね」とTORUさん。朝食は海に向かってテラスに設置したテーブルでとることがほとんど。

「青葉台の家も見晴らしは良かったけど、水平線が見えるっていうのはまったく違いますね。一度たりとも同じ景色がないんです。振り返るとさっき見た景色がもう違っているってこともある。ドラマチックな景色じゃなくても、サイレントな景色のなかに実はダイナミックな変化があっておもしろいね」(TORUさん)

テラスから見える景色

60代半ばにして、青葉台から海沿いの秋谷へ移り住んだこぐれ夫妻。しかし、こぐれさんは今でもインターネットで物件を探しているそうです。

「だって物件探しは10代からずっとやってきた趣味だもん。パリにいるときだって、買う気もないのによく家を見てまわっていましたね。それに、ここは100歳のよぼよぼのおじいさんとおばあさんが暮らせる土地ではないかもね。いい物件にひょっこり出会ったら、また考えます(笑)

秋谷の家にはいつも庭 や近所でTORUさんが摘んできた花が飾られている。

こぐれさんは自身の著書で“老後の設計”についてもふれています。老後のことに不安を吐露しつつ……

「とまあ、ここで終了してしまえば、無欲でかわいい年寄りになれるんだろうけれど、どっこい、そーは問屋がおろさないのだよ。『おとなしいだけの年寄りになんか、なりたくないもんね』」

(著書『こんな家に住んだ』123ページより引用)

それから25年。大丈夫です、こぐれさん。おとなしいどころか、毎日ますます楽しそう。そんなこぐれ夫妻の様子を覗かせてもらって、多くの人が元気と刺激を受け取っています。

2021年7月10日の日記より。7月21日はTORUさんの75歳の誕生日。いただきもののスイカにこぐれさんがメッセージを掘って早めのお祝い(HAPPYのPが抜けていた)。

開始から22年目となった「こぐれひでこの『ごはん日記』」。連載に込めた思いはこちらの記事で語られていますので、ぜひ読んでみてください。

「楽しく生きるコツは、細かいことはつめないことだね。俺は大きな波のように(腕で波を表現しながら)こんな感じで生きてるの」(TORUさん)

撮影/小禄慎一郎

RSS情報:https://www.mylohas.net/2021/07/kogure_interview.html