【SYNODOS】携帯電話を手にしたアフリカ牧畜民、その光と影/湖中真哉 / アフリカ地域研究・人類学
アフリカに携帯が広まっているという話は、たまに聞くのですが、この記事はもっともっと現地に密着していてとってもうきうきします。
まずは、その熱狂ぶり。
アフリカの牧畜民がいかに携帯電話に熱狂したのかは、携帯電話端末をみせてもらえばすぐにわかる。筆者が携帯電話の調査をしていた際にも、酷使された結果、入力キーの印字が完全に剥離して読めなくなった携帯電話端末を見せていただき、唖然としたものだ。写真が載っていますが、つるっつる。でもそこまで使えば、もちろん覚えますよね。
また、文字や数字が読めない牧畜民も携帯電話を利用している。ある老婆は、連絡先のニックネームに画像を貼り付ける機能を利用して、その画像によってその連絡先が誰のものかを識別する方法で連絡先を利用していた。まさに「必要は発明の母」。
そしてもっとも心がほかほかするのがこの報告。
まず、携帯電話の通話相手との距離を分析すると、10km以内の相手が27%、集落内が23%を占めており、半分の通話例が比較的近距離の相手との通話であることがわかった。集落内なら、歩いて行けば、直接話せるのだが、その相手とも、結構、携帯電話で話しているのである。
また、通話の内容を分析すると、もっとも多かったのが「連絡」であり、28%を占める。連絡内容は、儀礼の召集から開発援助団体による支援の配分に至るまでさまざまである。それに次いで多いのは「挨拶」で20%を占める。
BBCが放映した番組では、アフリカ牧畜民は、遠距離の相手と通話して、牧草の情報などを得る遊牧生活のために携帯電話で情報を得ることが強調されていたようだ。という話なのですが、もちろんそれは大事なのだけど、普段使いは「連絡」「挨拶」であって、つまり、私たちの普段使いと似たようなもんなのです。
その一方でたとえば固定電話はまともに普及していないとか、電気もガスも水道もないサヴァンナで携帯は繋がるとか、とても私たちの生活とは違う環境が存在します。
でも、別に彼らはその環境でそこそこ楽しく暮らしていそうです。なにしろ手に入れた携帯で、私たちと同じ普段使いをしているのですから。生きるか死ぬかなんて状況であればそんなことに使いません。米ドルにして年収がいくらかという視点で見れば大変少ないかもしれませんし、私たちが普通に持っているインフラを持っていないのですが、歩いていけば直接話せる人と携帯で「挨拶」ようは世間話をするくらい、日常を過ごしているのです。
ここに私たち日本人は、これからの可能性を見ることができます。
今過疎ってる地域であっても、今時のインフラを作れば、かなり快適かもしれないということです。