小屋が様々な有識者の方々と対談を行うシリーズ。

 今回は、小屋の高校時代の友人でもある経済学者の牧野さんとの対談をお届けします。


 ある日、なんとなくテレビを見ていたら、中学、高校時代の同級生が登場。
 それもNHKの歴史番組のメインゲストときたら、驚きますよね?

 今回の対談の相手、牧野邦昭さんは小屋さんの中高時代の同級生で、2021年から慶應義塾大学経済学部の教授を務める経済思想史の専門家。
 2018年に出版した『経済学者たちの日米開戦:秋丸機関「幻の報告書」の謎を解く』(新潮選書)は、緻密な事実と資料の積み重ねによる新事実の発見と行動経済学や心理学の研究を引用した大胆な仮説で話題となりました。

 テレビで同級生の著作を知った小屋さんは、さっそく通読。

「日米開戦に踏み切ってしまったのは、正しい分析がなされていなかったから」
「一流の経済学者らが分析した情報はあったが、一般には知られていなかった」

 そんな従来の通説がひっくり返され、「正確な情報があったのにもかかわらず、日米開戦という不合理な決断」が下された理由に迫っていく内容に刺激を受け、あらためて投資の世界でも起きがちな「なぜ、人は合理的な判断ができないのか?」という疑問について考えたそうです。

 対談は、経済思想史と『経済学者たちの日米開戦』に始まり、日本人の投資や運用に対する感覚の変化、そして、牧野さんの次なる研究テーマまで広がっていきました。


■経済学、経済史とも異なる経済思想史とは?

小屋:今日は久しぶりに会えてすごくうれしいです。

牧野:私も楽しみにしていました。

小屋:この対談取材のお願いをした直接のきっかけは、牧野さんが書かれた本『経済学者たちの日米開戦』(新潮選書)を読んだからなんですけど、同級生感覚で言ってしまうと、「この本、すごくおもしろい!」「牧野くんがなんだかしらない間に立派な経済思想史の先生に!」とびっくりしたんです。
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牧野:ありがとうございます。

小屋:そこでふと思ったのは、経済思想史というのは経済学や経済史とどう違う分野なんだろう?という疑問でした。

牧野:経済思想史は、私たちの経済活動の背景にある考え方や、経済で起きる現象を人々がどのように捉えてきたかを扱う学問です。
 経済学部では経済理論を学びますよね。でも、実際に生活していると、私たちの経済活動や株式市場で起きるような現象は、理論と同じにはならない場面に何度も出くわします。その背景にある理由の1つが、人々の考えや思想です。
 たとえば、世の中の景気も、みんながいいと思っていれば良くなったり、逆に悪くなったよと思う人が増えてくると悪くなったりします。
 その時代の経済について人々がどのように思っていたかを調べていくのが、経済思想史です。

小屋:そのなかで牧野さんがテーマにしているのが、戦前、戦中、戦後の日本経済なんですか?

牧野:そうですね。主な研究対象は1920~40年代の戦時期の日本です。当時の経済学者、経済評論家、官僚などの思想や活動がどういったものだったかを研究しています。
 戦前、戦中、戦後のこの時期は、経済学がイデオロギーの対立に巻き込まれたり、国が総力戦に向かうなかで経済学者が政府や陸海軍に動員されたりする一方、戦時経済の運営のために「近代経済学」と戦後に呼ばれる経済学が形作られていくなど、大きな変化のあった時代です。
 小屋さんが読んでくれた本では、「経済学者らの正確な情報や分析がありながら、なぜ対米英開戦に踏み切ったのか」という謎を掘り下げました。
 こうした事例を研究していくと、必然的に経済学以外の思想を扱ったり史実を明らかにしたりすることになるのも、経済思想史のおもしろいところだと思います。
 よく「戦前と戦後は断絶している」と言われますが、たとえば、総力戦体制 に向かうなかでつくられたさまざまな制度や思想は、戦後のGHQの改革後もかなり残りました。第一次世界大戦後から第二次世界大戦に向かう戦間期、戦時期、戦後復興の時期を研究することは、現代の成り立ちを知ることにつながっているんです。

小屋:僕も大学は経済学部でしたけど、経済思想史に関心を持つタイミングはありませんでした。
 牧野さんはどうして思想史を研究しようと思ったんですか?

牧野:私も経済学部で最初はミクロ、マクロの経済理論をやりました。
 その後、都市経済学のゼミに入ったんですね。中高時代、鉄道研究部や地理研究会にいて地図と鉄道が好きで、都市についても関心があったから。
 でも、思っていたのとは違い、なんというか、ひたすら数式なんですよね。
 そのうち「自分はどうして経済学を勉強しているのだろう」「なんで経済学はこういう学問になっているのかな?」と疑問を感じるようになったんです。

小屋:なるほど。

牧野:それで、自分がいる現代の日本から歴史をさかのぼる形で、近代日本の経済学とそれを取り巻く環境に興味を持つようになったんですね。
 なかでも、戦時中の統制経済の規制や制度が戦後も残り、それが高度経済成長にもつながるということなどを学び、そうした制度を作った当時の経済思想や経済学者に関心を持つようになっていきました。

小屋:制度そのものよりも、その制度を作った人たちについて研究するイメージなんですね。

牧野:その時代の経済学者、官僚、一般の人たちの経済に対する考え方が、その後の社会とどう関係していくか。
 そんなところに関心があるわけです。

小屋:1920年代から40年代の日本の経済思想史を研究している人は多いんですか?

牧野:明治以降に幅を広げても、大学の研究者としてそれを専門に研究している人は十数人いるかどうか。
 ある意味、非常にニッチな研究ですが、最近は他の分野からも関心を持たれるようになってきています。


■勝つ見込みの薄い日米開戦に踏み切ってしまった理由を探る


小屋:『経済学者たちの日米開戦』(新潮選書)はどういう経緯で書くことになったんですか?
 研究者らしい事実やデータの積み上げがありながらとても読みやすく、読み物としてもめちゃくちゃおもしろかったです。

牧野:経済史、経済学史、経済思想史いずれも、こうした分野の研究をしていると博士論文を出版する機会はよくあります。
 私は、京都大学の先生の紹介を受けて中央公論新社から博士論文を基にした本(『戦時下の経済学者』)を出しているんですが、それを読んだ新潮社の編集者さんが「書きませんか?」と声をかけてくださった。
 それがこの本を出すことになった直接のきっかけです。
 そして、対象として「秋丸機関」(※)を取り上げたのは、戦前戦中の経済学者が総力戦に向かう戦時経済の中で、どういう活動していたかを調べていくなかで関心を持ったからです。

(※)秋丸機関
 有沢広巳や中山伊知郎ら当時の気鋭の経済学者らが参加した陸軍省戦争経済研究班で、通称「秋丸機関」と呼ばれる。
 秋丸機関は日米開戦前、数多くの各国の書籍、雑誌、資料を収集、分析して各国の経済抗戦力(戦争に耐えうる経済力)を『英米合作経済抗戦力調査』『独逸経済抗戦力調査』などの報告書にまとめた。

小屋:読んでいて、「日米開戦に踏み切ってしまったのは正しい分析がなされていなかったから」「一流の経済学者らが分析した情報はあったが、高度なもので一般には知られていなかった」といった従来の通説がひっくり返されていくのが痛快でした。

牧野:そもそも秋丸機関の存在は以前から知られていたものの、資料は軍によって焼却されたというのが通説だったんですね。
 ところが、近年インターネット上のデータベースが整備された恩恵で、2013年に静岡大附属図書館に所蔵されていた『独逸経済抗戦力調査』を、2014年には古書データベースで『英米合作経済抗戦力調査(其二)』がみつかりました。
 焼却されたはずの「極秘資料」が、検索するだけであっさり見つかったのには驚きましたが、その資料や当時の周辺資料を調べるうちにその理由がわかってきたんです。

小屋:というと?

牧野:「極秘」「一部の専門家だけ知っていた」と思われていた資料の内容は、極秘でもなんでもなかったんです。
 というのも、秋丸機関にいた経済学者が同じような内容を『改造』などの総合雑誌に投稿していましたし、メディアからもその分析を利用したと思われる書籍(東洋経済新報社『列強の臨戦態勢―経済力より見たる抗戦力』1941年12月)が出版されていました。
 つまり、軍が焼却処分する「極秘資料」ではなく、外部に発表しても問題視されなかった常識的な情報だったわけです。
 これが焼かれずに資料が残っていた理由です。


■行動経済学や心理学の理論を使って大胆な仮説を立てた異色の歴史分析


小屋:詳しくは牧野さんの本で確かめていただきたいですけど、秋丸機関の分析は「長期戦になれば米国の経済動員により日本もドイツも勝てない」という結論でしたよね。
 しかも、その分析は指導部にも伝わっていて、事前分析的に明らかに不利な状況にも関わらず、日米開戦にいたってしまう……。

牧野:正しい情報が共有されていたのに、なぜリスクの高い開戦に踏み切ったのか、というのは大きな疑問ですよね。
 この本で示した私の仮説は、秋丸機関の報告書や他の組織の多くの研究で「開戦すれば高い確率で敗北する」という指摘がされていたことが、「だからこそ低い確率に賭けてリスクを取っても開戦しなければならない」という意思決定の材料になってしまった、というものです。
 そして、その逆説の説明として、行動経済学の「プロスペクト理論」(※)と社会心理学の「集団意思決定の集団極化の理論」(※)を活用しました。

(※)プロスペクト理論
 「人間は、損失を被る場合にはリスク愛好的な行動を取る」とする理論で、2002年に行動経済学者のダニエル・カーネマンがノーベル賞を受賞。
 人は財が増えるのと減るのとでは、減る場合の方に価値を置き、そのため損失が出る場合は、その損失を小さくすることを望む。つまり、確率は低くても、損失が0円になる可能性がある選択肢を魅力的に感じてしまう。

(※)集団意思決定の集団極化の理論
 「人は集団になるとリスクの高い極端な方向に意思決定が偏向してしまう」とする社会心理学の理論。
 なぜなら、集団規範に合致する極端な意見の方が存在感を高め、魅力的になり、集団のメンバーも説得されがちになるから。

小屋:僕は歴史好きなので、歴史の本は読むほうです。でも、行動経済学や心理学の理論を使って史実を分析していく書き方は、ほとんど目にしたことがありません。新鮮だったし、刺激的でした。
 これって経済思想史の分野ではよくある分析なんですか?それとも新しいやり方なんですか?

牧野:行動経済学や心理学を歴史と結びつけていくのは、新しいと言えば新しいですね。というより、そんな大胆なことをする研究者があまりいないのかもしれません。
 外交史の分析ではゲーム理論や心理学を使う研究も結構ありますが、経済史や経済思想史では特に日本では「なにをやっているんだ?」と言われます。
 もちろん、「おもしろいね」と言ってくださる人もいましたが。

小屋:じゃあ、大胆な仮説を置いてみた、みたいな感覚ですか?

牧野:そうですね。日米開戦の目前、日本の国力はアメリカの資金凍結と石油禁輸措置で弱っていました。
 そのままいけば2、3年で「ジリ貧」となり、戦わずして屈服することになりそうだったわけです。
 一方、開戦した場合、非常に高い確率で致命的な敗北を招き、「ドカ貧」となると予測されていました。

小屋:「ジリ貧」か「ドカ貧」か。

牧野:しかし、秋丸機関の分析や他の情報を合わせると、もう一つの展開も考えられました。
 「ドイツが短期間でソ連に勝利し、英米間の海上輸送を寸断。日本が東南アジアの資源を獲得して国力を強化し、英国が屈服すれば、米国は戦争の準備が間に合わず、講和に応じるかもしれない」と。
 冷静に考えれば、可能性の非常に低いシナリオです。
 でも、ここで日本の指導層に「プロスペクト理論」が働き、「現状維持よりも開戦した方がまだわずかながら可能性がある」とリスクを取ってしまった。
 そして、その意志決定には「集団意思決定の集団極化の理論」が働いた……とするのが、私の立てた仮説です。
 当時の日本の戦争指導層は陸軍、海軍、政府の合議で、強力なリーダーシップを取れる人物がいなかったため、集団のメンバーの平均より極端な方向に意見が偏るという集団極化が起きた、と。
 皮肉なことに「冷静な独裁者」のいなかった日本の指導層の集団意思決定で、よりリスクの高い選択が行われてしまったと考えています。

小屋:そこで合理的な判断をする手立てはなかったんでしょうか?

牧野:当時の日本は自分からどんどん道を間違えていき、最後は「ジリ貧」か「ドカ貧」かの選択肢しかなくなってしまいました。
 そうではなく、もっとたくさんの選択肢を持てる環境をつくっていれば、日米開戦は避けられたのかもしれません。
 でも、歴史を調べると、つくづく人は焦ってしまうと、すぐに合理的ではない決断を下してしまうんですよね。
 たとえば、独ソ戦が始まった後、しばらく様子を見ることもできたのに、「南進だ」「北進だ」と騒ぎ立て、すぐに結論を出してしまう。
 それ以前にドイツがヨーロッパを席巻するような状態になったとき、「日独伊三国同盟を結ぼう」という話になってしまう。
 なんというか、「バスに乗り遅れるな!」という感じで、焦りながら短期的に決断し、ドツボにハマっていくような状態をつくってしまったわけです。
 合理的な判断をするには、長い目で見ること、冷静さを持つことが重要なんだと思います。

小屋:そういう意味で、僕はこの本を読みながら、自分の仕事であるパーソナルファイナンスについて考えていました。
 投資においても、人はなかなか合理的な判断ができません。
 その点、牧野さんに聞いたら、どんな意見が出てくるのかな?と思っていて。後編では、そのあたりを聞かせてください。


株式会社マネーライフプランニング
代表取締役 小屋 洋一


(情報提供を目的にしており内容を保証したわけではありません。投資に関しては御自身の責任と判断で願います。万が一、事実と異なる内容により、読者の皆様が損失を被っても筆者および発行者は一切の責任を負いません。)


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