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 社員教育も子育ても特別扱いが大事ですが、特別扱いしても、工夫さえすれば金銭的な負担は大きくありません。工夫すれば教育に限らずお金はあまりかからないはずです。
 工夫により「投資効率」は必然的に上がります。


 人に接するときは自分を捨ててその人そのものを見るようにします。
 他者はコントロールできませんし、するべきではありません。
 わたしは子育てでは、親からの要望や夢というものはすべて捨てるように腹をくくりました。英才教育や習い事は親が子に勧めるものではないという考えです。
 どうしてもやりたいと子が本気で願えばそのときに時間をかけて考慮するという受け身の姿勢を貫きました。


 子育てに限らず、人生の目標や仕事への取り組みについても、長期の目標があるのが好ましく、わたしは仲間や同僚や妻や子供たちや友人たちと、長期の計画や人生設計に取り組んできました。
 キーワードは「長期デザイン」です。


 部員がいるとどうしても前のめりで仕事を指示しがちですが、肝心なのは、規律や指示を押し付けないこと。規則を絶対視しないこと。無理強いは禁物。できるだけ権限を与えチャレンジさせ、小さな失敗なら多数させること。権限を与えたのだから失敗したら上司が責任をとればよい。成功すれば部下の手柄にしてあげる。自分は叱られることはない、注意されることもない、自分に権限がある、そう思わせて失敗するという「権利」を与える。
 これが社員にとって安全な環境なのです。


 子供や部下には心理的安全性が不可欠です。
 この空間では自分は自由に振る舞って大丈夫だと「錯覚」させ、実は大きなデザインのなかでしっかりと彼らを守るということを親や上司が担当する。
 当人たちには完全に伸び伸びとさせる。
 これにより自由闊達な状態が実現できます。
 幸せを感じてもらい、意気に感じてもらい、そのよい状況を継続し、自らの成長を毎日実感させること。
 「自分は恵まれている」と日々毎時間のように実感させること。
 安いものです。


 子育てと部下の育成はほとんど同じです。
 指導しないこと。注意はしないこと。
 特にPDCAは組織的にやると人材は育ちません。CHECKは特に個を潰すのでやってはいけません。PDCAは「自分事」の中で自己完結するならばよいものですが、近年は、スピードが勝負の世界で、PDCAサイクル(plan do check action)は流行りません。
 DをしながらPを修正していく自力の力が本物の力です。
 Dを長期のデザインのものでやればよいのがわたしの組織の在り方です。


 社員への注意は全く必要がありません。
 子育てを見れば明らかです。
 動物でさえ、注意をすれば芸をまったく覚えなくなります。
 あれはだめ、これはだめと親(上司)が口うるさいと子供(部下)には逆効果しかないのです。
 わたしは4人の子供たちに怒ったことは30年の累計でも片手で足ります。
 アドバイスを求められたらそのときにアドバイスはしますが。


 最悪な行為は、「勉強しなさい」「宿題やったか」「ちゃんと起きろ」。
 これを言われて嬉しい子供や部下は世界中にひとりもいません。
 「間違えないで」「努力しよう」というのも注意に入り、最悪のアドバイスのひとつです。
 特に他人の批評は最悪な行為のひとつです。

 他人の仕事をあえて管理したり、他人の仕事のミスをあえて発見しようとしたり、他者の仕事を頼まれもしないのにチェックするというものは原則、禁止にすべきことです。
 個人が自分の中で成長していく過程があり、大きなミスをしても、それを活かすことで、よりとてつもなく大きな仕事をやり遂げることができるからです。 会社が考えることは、社員が大きなミスをしたときに、ほめてあげることです。ミスをしてくれて、ありがとう。
 大きなミスがあれば、それが課題を解決するための大きなチャンスになっているからです。


 北大の実質的な創始者であるクラーク博士は、寮の規則が多すぎると感じ、「Be gentlemen」という一行だけを北大の規則にしました。
 ひとりひとりが主人公で特別なのですから、それぞれの個人が最高を求めればよいのです。


 多くの組織ではなぜあえてミスを未然に防ごうとするのか。

 人が成長するのは腹立たしいのだろうか。
 社員の成長することがどうしても許せないのだろうか。
 人の邪魔をどうしてもしたいのだろうか。
 そうではないのです。ミスがいけないという間違った考えに染まっているからです。
 そして、ミスの連鎖が仕事であり、ミスを積み上げて仕事は集大成することを知らないからです。
 長期的なデザインの中にはミスは必要なパーツなのです。
 ミスを単発でみればミスはミスに過ぎないが、大きな成長の過程、つまり、動物が芸を覚えるためのプロセス、イルカが輪っかを通ってジャンプしたり、後ろ向きに立って移動したりするときに、何度も何度も失敗をしながら覚えるのと同じで、芸を覚えるときにミスなしで覚えることができないように、ミスがあることが悪いという決めつけが社会をダメにしているのです。


 注意や指摘をして、人をあえて不愉快にさせる必要はありません。
 注意は全部やめる。ありがとうと感謝の言葉を大量にかけることです。
 ありがとうとよくやっている。
 この2つだけでわたしの組織は回ります。


 他人が何をやっているのかをチェックする必要も申告させる必要もありません。ダメな組織ほど、会議を行う習慣があり、会議をすれば、人間というものは、互いを褒め価値観を確認し合うどころか、些細な事務上の話に終始し、あれは大丈夫か、これは大丈夫かと細かく指摘し合うようになります。
 そうなれば、楽しい仕事が義務になり、クリエイティブなプロセスは繰り返し行うべき事務に成り下がります。
 体裁を整えるのが仕事になり、魂がない器が出来上がります。

 わたしが勤めたこともある企業では、驚くべきことに、規則Aと規則Bと規則Cが乱立するカオス状態になってしまいました。事業を社員の義務の集積だと思うとても野蛮で野暮な人々が事業そのものの持つ自然な魂や命の重みを棄損してしまうのです。
 あえて人の気分を害して、会社全体のパフォーマンスとスピードを同時に壊滅的な低位水準にまで落としてしまうのです。経済的な大損失を毎日意図的に作り上げている。そうなると規則を新たにつくるのが仕事になり、AとかBとかCとか、規則を議論するのが目的になってしまうのです。
 そうなれば、これはもう形式的には正しいが社会に対する影響力のない組織に落ちぶれてしまうのです。

 まじめだが社会性がなく頭が悪い人々の集まりでは会社は社会的課題を解決できません。
 不真面目でも頭がよく、ミスを含む行動を長期的な展望のもとでDOだけをし続けなければ人の成長は期待できません。

 会社をパフォーマンス発揮の場とするならば、そもそも遊び場とするのがもっとも効果的です。毎日が遊びだとしてあげることでパフォーマンスは上がるはずです。
 どのような単純作業も遊びに容易に変換できます。


 私がヘッジファンドで独立をしたとき、会社の社是は、「毎日が遊びだ」でした。それでもみな、必死の努力を重ねてくれました。
 負けたくないという価値観の人を集めたからです。


 事実として、今日は何して遊ぼうかなという具合がよいでしょう。
 グーグルやアップルの社員はクリエイティブな仕事をそのように行っているし、現に、好きなことをすることが仕事となり実力となっていくのです。
 やりたいこと、自分の価値観に突き動かされること、それを原動力にするから人は成長する。
 仕事が遊びだなんて、会社がつぶれちゃうよと心配する人は、事業の本質がわかっていない人です。人をよく育てることができない人です。
 これは遊びだ、遊ぼうよ、という人がいて、社員は、「自分はここまでやっても許されるのか、ありがたいなあ。みなに許してもらったから、たまには頑張らなくちゃ」という心持になる。
 少数精鋭の企業が勝つのは、社員のやる気レベルが遊びという「お得感」や「楽しさ」によって支えられているからです。


 わたしは長年、社員ひとりひとりをひとりひとりの価値観を観察し価値観に沿った仕事を共にクリエイトし、事業に活かしてきました。
 ひとりひとりを特別扱いするが、工夫の解決をしてお金の解決はしないようにしました。
 社員はひとりひとりのテーラーメイドの工夫によって感激してくれて組織に尽くしてくれました。


(NPO法人イノベーターズ・フォーラム理事 山本 潤)


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