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とても良いトピックです。集中にも繋がる話で有り難いですね。
私は勉強している様子を三脚に固定したiPhoneで撮影しており、「集中して勉強出来ている時はこんな姿勢でやってるんだー」と客観的に情報を集めたりしています。客観視は主観では得られない情報が色々捕捉されるので楽しいです。
んー、結構難しいかもなぁ。でも意識してやるしかないか。
己との戦いですな。
フローを意識できるときって逆にフロー状態ではないのではないかと感じるが、、、
フロー状態中に覚えておくというよりは、フローが切れたあとで思い出すような感じなのかな、、
Duvelさんのあんはめちゃ良いかも!
macのインカメで作業中の自分を撮影して後で見てみようかな
> 私は勉強している様子を三脚に固定したiPhoneで撮影しており、「集中して勉強出来ている時はこんな姿勢でやってるんだー」と客観的に情報を集めたりしています。
フローの種類によっても違うイメージだなー
身体的な活動におけるフローのときはその時の目的に強く意識が向かって身体感覚が全く無くなるような感じがしてたし、
芸術鑑賞とかの精神的な活動におけるフローでは、目的もなくただ静寂に包まれて、自由で楽しい気分に身を任せてるって感じだったような気がする
それ以外にも会話におけるフローとか文章の執筆におけるフローとかそれぞれの活動を細分化して考えると、そのそれぞれに独特なフローの形式がある気がする