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  • 「震災以降」出版記念プレゼント

    2014-05-31 21:00
    330pt

    石のスープ
    定期号[2014年5月31日号/通巻No.114]



     
    「震災以降
     終わらない3.11〜3年目の報告」
     
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     大変遅くなりましたが、『震災以降』の出版記念として、「石のスープ」の読者の皆さんに、東北のお土産をプレゼントしたいと思います。

     渋井、村上、渡部が最近に東北で取材した際、現地で買ってきた物です。ぜひご応募ください。
     
     
    ◆〈宮城県石巻市/渋井哲也から〉
     カフェ「」+きのや水産コラボ商品
     くじら大和煮(缶詰)

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     『震災以降』でも紹介している石巻市の「カフェ『 』」。休日になると高校生がカフェを運営し、メニュー作りなどもしています。その高校生達と、石巻市の缶詰工場きのや水産がコラボレーションした「くじら大和煮」の缶詰です。


    ◆〈宮城県南三陸町/渋井哲也から〉
     みなみさんりくもあい付箋など

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     南三陸で観光客を迎えてくれる「さんさん商店街」で、地元デザイナー達がデザインした文房具が売られていましたので、そのなかから渋井さんが数点を選んでくれました。


    ◆〈福島県浪江町/村上和巳から〉
     なみえ焼そば もっちり極太麺

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     ご当地B級グルメの祭典としてすっかり定着したB─1グランプリを獲得した「なみえ焼そば」が、お土産用に販売されています。ボリュームたっぷり3人前です。


    ◆〈岩手県盛岡市/渡部真から〉
     日本酒アサヒラキ SL記念特別販売

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     岩手県は伝統的に南部杜氏たちが美味しい日本酒を作り続けてきましたが、森岡の「あさ開」は、代表的な岩手の日本酒。今年春、JR釜石線で「SL銀河」が走ることになった記念用の「あさ開」純米酒+吟醸の2本セットです。


    ◆〈岩手県釜石市/渡部真から〉
     日本酒浜千鳥

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     釜石市の酒と言えば「浜千鳥」です。釜石に行くときは度々呑んでいる日本酒を、今回は2本セットで購入してきました。
     
    *   *   *   *
     
     この他、シークレットプレゼントもありますが、プレゼントをご希望の方は、以下の方法でご応募ください。
     どの商品が当るかは、抽選までのお楽しみ。
     抽選の模様は、もしかしたら生中継でお届けするかも知れません。
     皆様のご応募、お待ちしております。


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  • 渋井哲也【“一歩前”でも届かない】vol.17「『震災以降』の発刊に寄せて」

    2014-04-29 23:30
    ※今号は無料公開版です。
    石のスープ
    定期号[2014年4月29日号/通巻No.113]

    今号の執筆担当:渋井哲也
    巻末にはイベント情報も盛りだくさん!!



     去る4月21日、『風化する光と影』の続編として『震災以降/終わらない3.11〜3年目の報告』が出版された。

     「震災の話題がつまった雑誌」。見本が届いて、最初に感じた印象だ。雑誌というのは読みたい記事がいくつかあって、それを中心に読み進めていくものだが、他の記事はどんなものがあるんだろう?と思って読んでみると、「あ、そんなこともあったのか」と思えるようなものだ。そうして、関心がなかった問題に気付くことが利点なんだろう。編著者の校正のとき、こういう読み方を私自身がしていた。タイトルでイメージはつかんでいたが、実際に読んでみると、まったく知らなかった出来事にも出会えたえりする。

     私の執筆記事を読んでみると、あらためて思うのは、被災者の数多くの言葉によって成り立っている。つまり、多大な犠牲があった東日本大震災だが、そんな中で、どこにも所属しない、そして縁もゆかりもない私に対して話をしてくれた被災者の人たちがいたからこそ、通い続け、取材できた。取材に協力していただいたことに感謝をしたいと思う。そして、震災記事は「売れない」とは言いながらも、発表の場を提供してくれた雑誌(週刊女性、週刊ポスト、週刊フライデー、週刊金曜日、週刊アサヒ芸能、月刊潮、月刊地域保健、月刊高校教育、ニュースカフェ、ジョルダンニュース、ビジネスジャーナル、東京ブレイキングニュースなど)があったからこそ、その都度、発表ができた。

     一方、他の執筆陣の記事を読んでみると、みんながそれぞれ被災者とともに時間を過ごし、多くの声を聞き、自身分身もときには傷付きながらも、書いていると思ったりした。これほどの大震災にどう向き合うのか。伝えるという職業を持つ人たちは、どんなスタンスで伝えるべきかを悩みながらも、それでも伝えたいという衝動も感じた記事もある。そんな記事を読んでいると、まだまだ取材足りないこともあると思ったりした。

     私自身は写真コラムを含めると10本を執筆した。振り返ると、まだまだ書き足りないことが多すぎる。この文字量であれば、被災者の言葉を使うとしても、他の言葉がよかったのではないか、と今でも自問自答している。そして、こうした雑誌的な書籍では伝えきれないことも多いことを感じている。この10本のうち、一つのテーマは、書籍となる予定になっている。被災者が感じた恐怖や喪失感、失望感、悲しみ、怒りはまだまだ伝えきれていない。一つの現場にこだわったルポを出版する予定だが、そこで十分に表現できるかこれから挑むことになっている。


     以下、『震災以降』のあとがきを公開します。まだお読みでない方は、ぜひご購読ください。


    ◆喪われた者たちの声に耳を澄ませ
     太田 伸幸

     震災から1年後の今頃、僕たちは「あの時どうしていた?」などと語り合った。3年後の今、そんな話をすることもすっかり減り、僕らの記憶から、ガソリンスタンドに行列を作った事や、ペットボトルの水や卓上コンロのボンベが店頭から消えた事、延々と繰り返された公共広告機構のCMなどが、なにか遠い昔の事のように遠ざかってゆく。

     天災の多発するこの国で、忘れる事が明日に向かうための「手段」である側面はあるにせよ、一向に収束しない原発事故、疲弊した一次産業、遅々として進まない被災地域の住宅移転や、現在も16万人を数える避難者の存在を思うと、今、この国を被っているのは、他人の痛みに対する「無関心」であり、その結果としての震災の「風化」ではないだろうか。
     僕はまず、「風化」に抗して書き続けている記者たちに、敬意を表したいと思う。
     商業的なニーズの減少にも関わらず、被災地で取材を続ける多くの記者たち。彼らを突き動かしているのは、ジャーナリストとしての興味や責任感だけではないだろう。
     僕は、この本に収録された記事や写真の中に、その答えを見つけたような気がする。

     震災と原発事故は、もともとこの国や地方が抱えていた問題を可視化した。
     と、同時に、もたらされた多くの「死」が、生かされた者たちの「生」を可視化したように思う。
     積み上げられた瓦礫の中には、人々の生活の営みがあった。
     失われたその営みは、生かされ、歩みを始めた者たちを照射し、その「生」に輝きを与えている。そう、僕たちは、多くの「死者たち」に生かされているのだ。取材を続ける記者たちもまた……。

     喪われた者たちの声に耳を澄ませ。
     その中にこそ、希望の歌が聴こえるはずだ。

     この本では『風化する光と影』に続き、渋井、村上、渡部の編著者3氏に加えて、多くの記者、ライターの皆さんに記事を提供していただくことができた。渋井氏、渡部氏の現場取材を通じたネットワークと尽力によるものであることを特記しておくと共に、記者の皆さん、制作に協力いただいたすべての皆さんにお礼を申し上げる。
     また、震災関連の書籍に対する市場が厳しい中で、販売を引き受けてくださった三一書房にも改めて感謝したい。

     どんなに長い冬の後にも、春は訪れるのだと信じながら。


    ◆避けられない「風化」のなかで
        渋井 哲也

     4月は旅立ちの季節だ。進学や就職で被災地を離れる人も多いだろう。地震や津波、原発事故などで被災しながらも、希望を持って、新天地に向かう人たちもいる。
     一方、消費税の税率が5%から8%になる。新幹線やバス代が値上げされ、高速道路ではETC割の割引率が変更となり、交通費が上がる。取材や支援活動、ボランティアのために自費で行っていた人は、これまで以上に通いにくくなる。
     自らを振り返ると、「震災取材は3年」と言っていたが、まだ取材しきれていない実感がある。当初は、3年経てば復興はもっと進むと思っていたが、問題が山積している。その一方で、「津波を見ていない私が、最大の電力消費地に住む私が、本当に取材をしていいのか」と、常に罪悪感に似たものを抱きながら、自問自答をする日々が続いた。
     私はジャーナリズム的な事実の掘り起こしは大切だとは思いながらも、「出来事」があった後の人の生活や内面的な変化により関心を寄せていた。事件だとすれば、加害者または被害者のその後の生活や心理状態を気にしていた。「震災以降」も、被災者の生活や心理状態の変化に関心を持ち続けている。
     私が積極的に東日本大震災の取材をした動機は、阪神淡路大震災のとき、「途中で震災取材を辞めてしまった」との感覚があったからだ。あのとき小学5年生の女子児童を取材した。数年は年賀状を交換したが、今では何をしているのか分からない。毎年、「1月17日」になるたびに、取材を含めて交流していなかったことを後悔をしていた。そんなときに東日本大震災が起きたのだ。
     私は栃木県那須町の出身だ。福島との県境の町である。1998年、那須水害があったものの、実家は被害を受けなかった。しかし、被害のあった場所では不法投棄された産業廃棄物が露呈していた。首都圏で排出されたものだ。今回の震災では実家も地震被害があった。また東京電力・福島第一原発から100キロメートルほどの距離だが、家人曰く、「原発事故後、白い物が降ってきた」。
     原発事故との関連は不明だが、近くにはホットスポットもある。町のホームページを見ると、定期的に空間線量を公開している。しかし、福島県ではないため、放射線の問題はそれほどクローズアップされない。
     「被災3県」という言葉が使われているが、栃木県や茨城県、千葉県はほとんど取り上げられなくなった。東京都内で地震による死者がいたことを覚えている人も少なくなったのではないか。また「3月12日」に起きた「長野県北部地震」の被災地・栄村の話題もほとんど聞かれなくなった。
     たしかに、主要メディアが取り上げるかどうかで、現実問題としての「仕事」が変わってくる。今後、被災地に関する取材・報道の量はこれまで以上に減るかもしれない。
     しかし私が取材・執筆してきた、子ども・若者の自殺や自傷行為などのメンタルヘルスの問題や、インターネット・コミュニケーション、表現規制問題などは、もともと主要メディアで「売れる話」ではない。取材すべき「売れない話」が増えただけと思えばいいのかもしれない。
     「風化させない」「忘れてはいけない」──。共感できる言葉だ。もちろん当事者が語ることでケアをされる場合もあれば、忘れることで癒しを得られることもある。しかし日々置かれた状況により、心理的に余裕がないこともある。他の社会問題に関心を寄せているのかもしれない。風化は絶対的なものだ。
     そんななかで、被災者や読者とともに私ができることを考えたい。


    ◆心捻じれるとも、心折れず
        村上 和巳

    「誠に艪舵なき船の大海に乗り出せしが如く、茫洋として寄るべきかたなく……」
     中学の歴史で習い、頭の片隅に残っていた杉田玄白らによる日本初の解剖書「解体新書」前文にはそう書いてある。知識も不十分なままオランダ語の解剖学書の翻訳に取り組んだ杉田らの戸惑いを表した一節だ。この3年間、私は何度もその言葉を思い起こした。
     東日本大震災の取材を始めた私は、当初は職業病でもある「歴史に残る事態をこの目で見る」という単純な動機から飛びついた。しかも、被災地の1つ宮城県亘理町は故郷で実家も家族も無傷。取材者としてこんな好都合はないとすら考えた。
     だが、その安直な考えは、震災後初めて異様なまでに人気のない仙台市内のアーケード街に降り立った瞬間に瓦解した。「私たちは負けない」と書かれた横断幕を見た瞬間、人目もはばからず声をあげて泣いた。地方の退屈さを嫌って四半世紀前に上京したはずの自分の性根はやはり東北人だったのだ。
     その後は馴染みのある亘理町沿岸部を皮切りに津波、原発の被災地をひたすら歩き回った。今まで目にしたこともない光景とそれを形にする困難さに直面した時に思い出したのが、冒頭で触れた解体新書の前文だ。
     3年を経た今も私の中の暗中模索は続いている。被災地に溢れる悲哀、怨嗟を耳にしすぎ、「こんな悲しいことばかりを書くために物書きになったわけではない」と自暴自棄になり、初めてこの仕事を辞めたいと思ったこともある。しかし、最近では復興が停滞しているからこそ、光明が見えるまで続けねばという思いが上回っている。
     そんな気持ちに至れたのは、私の取材に協力してくれた多くの被災者の方々や周囲の存在をなくして語れない。皆さん、本当にありがとうございました。今後もこの取材を続けます。私も負けない。


    ◆端くれの意地
        渡部 真

     震災に関する報告の場が確実に減っている。それは、そのまま社会のニーズが減少しているという事なのだろう。雑誌も、webのニュースサイトも、記事を書いても反応が薄い。昨年、NHK「あまちゃん」に関する取材機会をいただいたので、何とかそれに絡めて記事を書くと割りと反応はあったが、それ以外ではほとんど需要がなくなったように感じる。
     前作『風化する光と影』を企画したのは、震災から半年過ぎた頃の秋だった。その企画書を持って発行してくれる出版社を探している際、某大手出版社の編集者から言われたのは「震災ルポはもう売れない」という言葉だった。震災から半年という目処で、9月11日前後にはメディアから震災関連の情報が溢れた。しかし、意外と反応が鈍かったらしい。どの出版社でも、企画内容以前に震災関連書籍の出版には思ったより慎重な姿勢だった。まして、本書のようなルポ集はほとんど求められておらず、ドラマ性や感動的な話、あるいは原発に特化するなど専門性を求められた。
     本書を作るにあたっても、また同じだった。「皆が貴重な取材をしているのは理解しているけど厳しい」「何とか力になりたいが、今の状況では難しい」「○○さん(著名人)は参加しないの?」……そう言われた。編集者の〝端くれ〟として、その言葉は理解もできる。災害や事件は次々と起こり、それも伝えなければならない。そもそも書籍自体が売れない。
     結果的に、僕が年末に入院してしまい、予定していた今年3月の発行は1か月以上遅れた。関係する皆さんには迷惑かけて本当に申し訳なかったが、却って良かったかなとも思う。情報が溢れる3月に出版しなかったからこその価値が、本書にあると考え直した。
    「売れなくても、売ろうよ」
     もう一度、本気でそう問いかけたい。
     最後になったが、本書発行に協力してくれた皆さんと、3年間、取材に協力してくれたすべての皆さんに、心からお礼を言います。
     ありがとうございました。

     


    ■4月21日発売!!
    「震災以降
     終わらない3.11〜3年目の報告」

    amazon→ http://t.co/zsBbnD2ZYs
     
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    著 者:渋井哲也 村上和巳 渡部真 太田伸幸
    発行元:EL.P
    販売元:三一書房
    定 価:1400円+税

    「石のスープ」でお馴染みのメンバーが中心となり発行した『風化する光と影』の続編が、いよいよ発売されました。今回は20人以上の記者達が参加してくれ、それ ぞれの見つめた東日本大震災について取材成果を報告してくれています。こうした震災ルポ集は、すでに売れない状況になっていますが、それでも本にまとめる 意味があると確信しています。ぜひ、ご購読をお願いいたします。
     

     
    ■5月14日(水)
     トークイベント

    「これから僕たちにできる事」
    http://www.loft-prj.co.jp/schedule/lofta/23507

    出演:渋井哲也/村上和巳/渡部真(司会) ほか
    ゲスト:土橋詩歩(専門学校生/岩手県釜石市出身)

    場所:阿佐ヶ谷ロフトA
    時間:5月14日(水) open 18:00/start 19:00

    『震災以降』の出版記念イベントの第一弾です。
    前半は、渋井、村上、渡部最新の取材報告。震災から4年目の5月に入って、東北3県の現状はどうなっているのか。福島、岩手、宮城それぞれのパートに別けて報告します。
    後半は、釜石市で被災体験をした専門学生を交え、当事者目線から見る被災地と東京のギャップなどを考えながら、これから自分達に何ができるのか、という事を考えていきたいと思います。土橋さんは、地元釜石市の鵜住居地区で震災を体験したあと上京し、現在は専門学校に通っています。会場からの質問や意見にも十分に時間を使って、みんなで一緒に考えていくイベントです。
    会場には、『震災以降』で使われた写真や、渋井・村上・渡部の最新の取材写真を展示しますので、早めに会場に来た方は、ぜひ会場の写真も見てください。


     
    ■5月22日(木)
     ニコニコ生放送

    「メディアはこれから、どう伝えていくのか?」(仮題)
    http://ch.nicovideo.jp/sdp

    出演:亀松太郎(司会)/岸田浩和/渡部真
    時間:5月22日(木) start 21:00

    現在、とくにwebメディアを中心に活躍している亀松さんを司会に、『東北まぐ』の岸田さんを迎えて、これからメディアが東日本大震災をどう伝えていくのかを探っていきたい思います。
    岸田さんについては『震災以降』でも紹介していますが、記者・カメラマンではなかったのにも関わらず、震災を機に取材を始め、「缶闘紀」というドキュメンタリー映画を完成させました。現在は『東北まぐ』の編集・執筆者として活躍中。亀松さん、渡部と、それぞれ媒体も職能もスタンスも違う3人が、どんな思いを抱えながら取材を続けているのか……。


     
    5月30日(金)
     トークイベント

    「被災地の子ども達はいま」(仮題)
    http://mainichimediacafe.jp/

    出演:渋井哲也/村上和巳/渡部真(司会) ほか
    ゲスト:土橋詩歩(専門学校生/岩手県釜石市出身)

    出演:中嶋真希/渡部真 ほか
    場所:毎日メディアカフェ(東京・竹橋)
    時間:5月14日(水) start 18:30

    『毎日小学生新聞』記者の中嶋さんと一緒に、被災地の学校や子ども達の現状を報告します。もう一人、震災の中で子ども達を取材している記者も迎える予定です。

    また、当日はお昼頃から、同会場にて「震災の中の子ども達」をテーマに写真展も開催予定です。中嶋さん、渡部のほか、『震災以降』の執筆者の中で子どもの事を取材している記者達の写真も展示される予定です。
    詳しくは、5月1日頃に「毎日メディアカフェ」のサイトで発表されます。


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    ■質問募集中!!

    「石のスープ」では、読者の皆さんからの質問を募集しています。電子メールで、「●●さんに質問!」と件名に書いて送ってください。いただいた質問の回答は、「石のスープ」の中で発表します。
    また、「東北のこの場所が、どうなっているか教えてほしい」「今度の取材先で、●●というお店を通ったら、ぜひグルメレポートを!」なんてご要望もお待ちしています。

    東日本大震災と関係ない質問でもどうぞ。本人には直接聞けない内容だとしても、編集部が質問をしてくれるかも知れません。できるだけ質問には答えていきたいと思いますので、どうぞご遠慮なく!

    電子メールの送り先は、「石のスープ」編集部宛に
    sdp.snmw@gmail.com


      
    渋井哲也 しぶい・てつや
    1969年、栃木県生まれ。長野日報社記者を経てフリーライター。自殺やメンタルヘルスやネット・コミュニケーション等に関心がある。阪神淡路大震災以来の震災取材。著書に「自殺を防ぐためのいくつかの手がかり」(河出書房新社)など。
    [Twitter] @shibutetu
    [ブログ] てっちゃんの生きづらさオンライン
  • 渡部真【勝手気ままに】Vol.34「特定秘密保護法の差し止め訴訟(下)」

    2014-04-02 23:50
    ※今号は無料公開版です。
    石のスープ
    定期号[2014年4月2日号/通巻No.112]

    今号の執筆担当:渡部真



     前号で「明日配信」と書きながら2日後になってしまいました。すいません。
     メディアにいる人間は、「マスゴミ」と揶揄されるような世間的評価に対して、本当に誠実に向き合っているのだろうか……という事を前号で書きました。
     今号は、その続きです。
     
    *   *   *   *
     
    ■特定秘密保護法の施行差し止めを要求

     去る3月28日、フリーランスのジャーナリストなど「表現者」43人が、「特定秘密保護法」は憲法で定められている国民の権利を侵害するとして、国を相手取り、違憲・無効確認と施行差し止めを求め、精神的苦痛に対する慰謝料計430万円を求める国家賠償請求訴訟東京地裁に起こした。具体的には、憲法13条〈個人の尊重〉、19条〈思想および良心の自由〉、21条〈表現の自由〉、23条〈学問の自由〉、31条〈適正手続きの保障〉など「基本的人権」を侵害し、「平和主義」「国民主権」を掲げた日本国憲法の原理に反しているとしている。
     
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    提訴後に記者会見する寺澤有さんら原告団
    (写真提供:樋口聡)

     ジャーナリストの寺澤有さんや、フリーランスライターの畠山理仁さん、ノンフィクション・ライターの林克明さんらが中心となり、フリーランサー達に声をかけて43人の原告を集めた。僕も、この原告団に加わっている。
     なお、予め誤解のないように言及しておくが、この訴訟は『石のスープ』とは関係なく、あくまでも渡部個人の活動だ。
     
     さて、なぜ僕がこの訴訟に加わったかと言えば、それはやはり、「特定秘密保護法には問題点が多いと考えているからだ。
     日本の全弁護士が所属する日本弁護士連合会は、とくに「プライバシーの侵害」「『特定秘密』の範囲」「マスコミの取材・報道の阻害」「国会・国会議員との関係」などで危険性のある法律だと指摘している。

    【日弁連】特定費道保護法の問題点は?
    http://www.nichibenren.or.jp/activity/human/secret/problem.html

    【朝日新聞】(ニュースのおさらい)特定秘密保護法って何?
    http://www.asahi.com/articles/TKY201312140056.html

     僕が何よりも問題だと考えるのは、この法律はあまりにも不透明な部分が多いという点だ。
     政府(実際には各大臣など)が「安全保障に関わる防衛」「同じく外交」「スパイ活動防止」「テロ防止」とする4分野において「特定秘密」を指定する。何が「特定秘密」であるかは、一部の情報取扱者以外は一切わからない。一応、特定秘密の有効期限も設定されているが、内閣の承認さえあれば、事実上、何年でも延長できる仕組みになっている。
     これでは、防衛・外交・スパイ防止・テロ防止を理由にすれば、何でも「特定秘密」に指定でき、それを永遠に秘密に指定できるという事になる。政府が、警察や自衛隊を使う際に、あらゆる制限から解放されて「フリーハンド」を持つために作られた事は間違いない。


    ■基本的に政府は「情報」を隠そうとする

     2012年9月、震災に伴う原発事故によって原子力政策が見直される事になり、それに伴って原子力規制委員会が新たに発足された。この時、日本共産党の機関誌『しんぶん赤旗』の記者が、委員会の会議や記者会見で取材する事を拒否された。「政党機関紙は報道による取材活動ではない」という理由だった。さらに、規制委員会の広報担当者は、フリーランスの記者に対しても「どういった雑誌に、どういった記事を書いているかを見て、特定の主義主張を持って書かれている方はご遠慮いただいています」と発言。その後、『東京新聞』をはじめ、いくつもの報道機関がこの件を報じた事もあり、取材規制や取材拒否に関する発言は取り消され、解消された。

    [2012年9月26日号/通巻No.42]隣りの記者が不当に排除されている
    http://ch.nicovideo.jp/sdp/blomaga/ar16013

     政党機関紙であろうと、フリーランサーであろうと、他の記者がアクセスできるような公開された情報ならば、その情報にアクセする事に規制をかける方が間違っている。そもそも、原子力規制委員会は、その発足時から「公開原則」を掲げて新たに立ち上げられた行政組織だ。
     まして、フリーランサーが記者会見に参加するために「特定の主義主張」を事前にチェックするなどという事は、民主主義の国家ではあってはならない。一行政官僚が、フリーランスの記者に対して、その「思想・良心の自由」を脅かす発言だったのだ。本来ならば、取り消して訂正すれば済むという軽い問題ではない。

     こうした事は、原子力規制委員会だけの話ではない。あらゆる省庁で、情報を公開する事に後ろ向きな姿勢は、枚挙に暇がない。

     「特定秘密保護法」もまた、政府の情報公開に対する姿勢が問われる法律だ。

     仮に、国家運営にとって重要な機密があるとして、それを政府が一時的に非公開にする事が許されるとしても、政府が何を秘密とするのか、それさえも期限のないまま不明にされるのは、政府による過剰な権力行使と言える。
     本来、国家が持つ全ての情報は、国民の持つ財産だ。政府が、その国民の財産を一時的に預かるとしても、いずれは国民に返して然るべきだ。国民が持つ権利を、完全に白紙にして政府に委ねる事はできないし、すべきでもない。政府が強権できる権力をフリーハンドを持てば必ず権力の暴走に繋がる。これは歴史が証明しているし、民主主義というのは、そうした権力の暴走を起こさないように考えられたシステムだ。「国民主権」の原理は、そこにある。
     政府が、国家運営をしていく上で必要な権力を、新たに与えて欲しいと国民に要求するならば、国民は権力者に対して様々な条件設定をしてから与えるべきだ。しかし、「特定秘密保護法」は、何が秘密であるかも秘匿にされ、さらに、これらが将来的に公開され、我々取材者や研究者たちの間で検証する事さえも担保されていない。事実上、政府が指定した「特定秘密」に対して全権委任を迫った法律なのだ。


    ■警戒区域の事例から見る、報道機関の萎縮

     「特定秘密保護法」が及ばす影響は、フリーランサーやマイクロメディアだけに限った事ではない。新聞やテレビなど大手メディアに対しても、政府によって取材規制が強制され、その結果、大手メディアの報道にも大きな影響を与える事に繋がる。

     現在、福島県双葉郡などの一部の地域は「警戒区域」とされている。とくに、2011年4月22日からおよそ1年間、同原発からおよそ半径20キロ圏内は、「正当な手段」で取材することは、ほとんど許されなかった。もちろん、僕自身も規制を突破して取材をしていたし、新聞記者やテレビ記者、フリーランスの記者も何とか取材を続けていた。しかし、それでも、当時「警戒区域の中で何が起こっていたのか?」という点について、報道機関による取材記録はたぶん十分とは言えないだろう。
     多くの報道機関が、コンプライアンスなどを気を使っていたからだ。

     例えば僕は、ある番組から出演を打診された際、「許可なく警戒区域で取材した映像や画像は使えない」と言われた。たとえフリーランサーが勝手に取材したものでも、警戒区域で無許可に入った事を前提にした取材の素材は使えないというのだ。結果的に、その番組に僕が出演することはなかったが、当時のメディアの姿勢を示す一面だ。

     警戒区域内での取材について、とくに厳しかったのは、2011年の暮れから2012年の春頃だった。警戒区域の周辺に、数々の監視カメラが設置された頃だ。
     その頃、現地を取材する記者の間では「公安警察が警戒区域に入っている」という情報が流れた。実際、あるベテランの新聞記者から「警察が警戒区域で記者を捕かまえる体制を作っている」と連絡をもらい、注意を促されたこともある。ただ、こういう場合、警察が狙うのは僕のようなフリーランサーではない。世間に影響力が大きい大手メディアの記者達だ。ある大手新聞の社会部では、「警戒区域に無断で入っている記者を捕まえるために公安が張ってるから、絶対に入るな」という厳戒命令の指示が出たという話も聞いた。具体的に、朝日新聞やNHKなどが名指しされ、2011年秋頃から原発問題に対して厳しい記事や番組を報じていた社を狙っているという噂も流れていた。
     もちろん、これらの事の真偽は不明だが、僕自身が、この時期、警戒区域に入ろうとしても監視が厳しくてなかなか入れないという状況だった。この時期に警察で締め付けがあっただろうというのは、率直な実感である。

     当時も今も、警戒区域に自宅がある人達は、大手メディアの記者に頼まれて取材に協力してくれているが、最初の1年間に関しては、「記者の人にカメラを渡されて、警戒区域の中を撮影して来て欲しいと頼まれた」と証言する人はたくさんいる。「希望の牧場」の吉沢正巳さんもその一人だ。大手メディアの記者達の中には、規制を突破して警戒区域で取材している人もいなくもなかったが、多くの記者は、こうして地元の人達に協力を得て映像や画像を記録していた。これでは、十分な記録ができるはずがない。

     こうした災害時における「警戒区域」の取材規制は、1991年の雲仙普賢岳の噴火災害以降、厳しくなったと言われているが、取材規制が与える影響は、報道そのものだけでなく、取材し記録する事さえも萎縮させている事は間違いない。

     国民の安全を考慮する上で、警戒区域が設定される事は当然の措置と言えるだろう。また、そうした地域にある程度の取材規制があったとしても、理解できる場合もある。しかし、今回の原発事故のように、公道から私有地を含め地域一帯で、数年規模の長期にわたり事実上ほとんど取材が認められない事態が、健全な社会のあり方だろうか?
     日本社会で起きている状況について誰かが記録し、それを伝えなければ、国民は何が起こっているのかを把握することはできないのだ。


    ■報道機関の萎縮は「取材」と「記録」を減少させる

     今後、日本が紛争に巻き込まれ、「秘密保護法」が想定するような防衛・外交・スパイ防止・テロ防止に関する災害が起きた場合、その災害現場において、厳しい取材規制が敷かれる事は容易に想像できる。
     では、その時、誰がその災害を取材・記録し、報道するのだろうか?
     政府が記録し、発表するものだけでは、健全な民主主義社会の報道とは言えない。

     結局は、今回の原発事故のように、記者達が規制をかいくぐりながら取材をする事になるだろう。とくに、近年の世界の紛争地域みれば、大手メディアに所属している記者以上に、フリーランスの記者が取材した報告が、大手メディアを通じて報道される機会が増えている。これは、大手メディアでは厳しい災害現場に社員記者を派遣する事が困難になりつつある中で、それに対して自由に活動できるフリーランサーの取材成果が、日本社会の報道に必要不可欠になっている証でもある。前述したように、報道機関がコンプライアンスを気にするために萎縮している側面でもある。
     もしも日本が紛争に巻き込まれれば、間違いなくフリーランサー達が取材現場の最前線に足を運ぶ事になるだろう。

     「秘密保護法」は、こうした取材において、確実に取材規制の強化に繋がり、取材者を萎縮させ、それを報じるメディアを萎縮させ、日本を健全な民主主義社会から遠ざける事に繋がるだろう。
     せっかくフリーランサー達が取材しても、それを報道機関が買ってくれなければ、フリーランサー達は仕事にならない。つまり、報道機関が萎縮すれば、それはそのままフリーランサーの取材機会の減少にも繋がるのだ。一時期の警戒区域のように、この日本で起こっている事が「記録」さえも不十分という事態は、出来るだけ起こさせるべきではない。

     報道全体への影響として捉えれば、メディアを通じて伝える事だけでなく、「取材」と「記録」という側面から考えても、報道機関を萎縮させる事が日本の民主主義を必ず歪める事になると、僕は考えている。

     「特定秘密保護法」のフリーランス訴訟団の中では、「フリーランサーは組織に守られていないから、この法によって自由な取材が困難になる」という意見が大きい。しかし僕は、フリーランサーがどうとかよりも、むしろ大手メディアが萎縮することが危険だと思っている。それは、結果的にフリーランサーにまで影響が出てくるからだ。
     問題は、フリーランスの取材の自由だけでなく、報道機関やメディア全体の問題として捉えるべきだろう。
     そのことを訴えるために、僕は原告に加わったのだ。
     
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    記者会見には大手メディアの記者も出席し、
    関心の高さをうかがわせ、新聞やテレビでも報じられた
    (写真提供:畠山理仁)

     
    *   *   *   *
     
     さて、こうした「報道の自由」に関する問題が起きた時、その事をメディアが訴えたとしても、残念ながらなかなか関係者以外の人の関心が高まりません。
     それは、前号で書いたように、メディアにいる人間達が「マスゴミ」と揶揄されるような世間的評価に対して、本当に誠実に向き合っているのか、という問題に繋がっていると思うのです。
     STAP細胞に関する科学コミュニティも、佐村河内氏騒動の音楽周辺業界も、前号で書いた司法関係者達も、そしてメディアの問題も、結局は、その業界以外の人達からの信頼を落としている事に対して、業界全体で真摯に取り組んでいなかった事を露呈させていると思うのです。

     「秘密保護法」フリーランサー訴訟について、あくまでも個人的な問題だと思っているので、今後、この「石のスープ」で続報を伝えていくか未定です。ただ、これを契機に、少しメディアが突き付けられている問題について、「石のスープ」のなかで取り上げていきたいと思っています。




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    ■質問募集中!!

    「石のスープ」では、読者の皆さんからの質問を募集しています。電子メールで、「●●さんに質問!」と件名に書いて送ってください。いただいた質問の回答は、「石のスープ」の中で発表します。
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    渡部真 わたべ・まこと
    1967 年、東京都生まれ。広告制作会社を経て、フリーランス編集者・ライターとなる。下町文化、映画、教育問題など、幅広い分野で取材を続け、編集中心に、執 筆、撮影、デザインとプリプレス全般において様々な活動を展開。東日本大震災以降、東北各地で取材活動を続けている。震災関連では、「3.11絆のメッセージ」(東京書店)、「風化する光と影」(マイウェイ出版)、「さよなら原発〜路上からの革命」(週刊金曜日・増刊号)を編集・執筆。
    [Twitter] @craft_box
    [ブログ] CRAFT BOX ブログ「節穴の目」