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前回 書いたように、1984年頃、新人ミュージシャンだった21才の僕の『入魂のレコーディング作業』(=ピアノやエレキピアノのレコーディング)は、レコーディングディレクターの「ん?ああ、今のテイク、最高よ。充分、充分。オーケーよ。次、行こう!」という、軽い一言で、すぐに終了になることばかりだった。
何しろ、そんな会話の時ですら、ディレクターの目はさりげなく時計を見ていたのだ。
そんな風に、とにかく時間がすべて・・・という方針で、例え僕自身がアレンジを手がけた曲でさえ、「あと一回だけレコーディングしたい・・・! 」という僕の希望は、簡単に打ち砕かれた。
そういったレコーディング現場を踏んでいるうちに僕は、いつか自分がレコーディングの現場を仕切る機会が来たら、時間を気にせず音楽的なクオリティだけを追求するレコーディングを実現してやろう!!という強い想いを、心に刻みつけるようになった。
それから5年後の1989年。
新人ディレクターながら、アーティストプロデュースを責任持って遂行する立場となっていた僕は、いよいよレコーディングディレクターとして初めてのレコーディング現場をスタートしようとしていた。
手がけるアーティストは、そのうちに間違いなく「日本一のバンド」となることを僕が確信している、Xだ。
そういったレコーディング現場を踏んでいるうちに僕は、いつか自分がレコーディングの現場を仕切る機会が来たら、時間を気にせず音楽的なクオリティだけを追求するレコーディングを実現してやろう!!という強い想いを、心に刻みつけるようになった。
それから5年後の1989年。
新人ディレクターながら、アーティストプロデュースを責任持って遂行する立場となっていた僕は、いよいよレコーディングディレクターとして初めてのレコーディング現場をスタートしようとしていた。
手がけるアーティストは、そのうちに間違いなく「日本一のバンド」となることを僕が確信している、Xだ。
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