ヒデちゃん、今年も手紙を書くね。


いつも、たくさんの人たちに夢を見せてくれて、ありがとう。



今年はね、「BLUE BLOOD」のリリース30周年だから、4月21日はその記念日でね、たくさんの人達がお祝いをしてくれた。


僕も、雑誌の取材を受けてね、「BLUE BLOOD」のレコーディングについてたくさん話をした。


懐かしいよね。


僕と同じように取材を受けたPATAがね、信濃町スタジオのレストラン、ベガの話なんかしてて。


でも、僕が知らなかった話もしていて、1月8日から始まったレコーディング、あの直前にみんなで飲んだんだって?


全然知らなかったからびっくりしちゃった。


ヒデちゃんとのレコーディングの想い出はさ、やっぱり紅のイントロでヒデちゃんが自信なくしちゃって、僕が3stを自由に使ってヒデちゃんだけの作業をそこで進めていいよ、ってヒデちゃんに提案したこと。


本に書いたけどね、僕にとってあれは、すごく大切な想い出なんだよね。


だって、あんな風に僕がすぐに判断したのは、ヒデちゃんの気持ちをわかっていたからで、そういうことを僕はあの頃、一番大切にしていたから。


あの頃、本当に忙しかったでしょ?


でもね、僕にとってXは5人の人間の魅力が一番だったから、いつもきちんと見ていた。


5人のことをね。


そうそうヒデちゃん、僕ね、また本を書いたの。


あの頃の記憶と、今を行ったり来たりして、想ったこと、気づいたことを文章にして。


その中でね、大切な章があって、タイトルが「HIDE、hide、そしてヒデちゃん」っていうの。


ヒデちゃん、きっと僕が何書いたのか、わかるでしょ。ね。僕にとって、HIDEとhide、そしてヒデちゃんは別の存在だったからね。


その中でね、ヒデちゃんが河口湖の音楽合宿で、泣きながら灰皿を投げて…僕たちが仲良くなった話をまた書いててね、僕があの時にどうしてヒデちゃんが心を開いてくれた…ってわかったのか、文章にしたんだよね。


読んでみて欲しい。


当たってると思うんだ。


いや、間違いない。


読んだ?


僕、わかってたでしょ?あの頃のヒデちゃんの気持ち。


ヒデちゃんが5人の中で一番最後、ってすごいでしょ?

ちゃんと見ていたんだから。


5人のことを。





最後の方に書いた、芝浦の打ち上げの話はね、ごめんね、勝手に書いちゃった。あれは1996年かな。


想像でね。


でも、あの時はありがとう。


嬉しかった。


ずっと横にいなさい、って命令するところがヒデちゃんらしかった。


そう、確かにあの時はhideじゃなくて、ヒデちゃんだったよね。


本当はスーパーロックスターだったのに。


ありがとう。


ヒデちゃんとしての気持ちだったのに、僕はそれに気づかなくて、何もできなくて、ごめん。


あの頃、僕はヒデちゃん、じゃなくて、hideをね、尊敬してたんだ。


本当に凄いアーティストだ、って。


千葉マリンスタジアムのイベントの後で、一度ヒデちゃんの家に遊びに行ったよね。コーネリアスとのコラボとか聴かせてくれた、あの日。


僕が、今のhideがどれだけ凄いアーティストなのか話した時、ヒデちゃん笑ってきちんと聞いてくれなかった。


照れてた?


どれだけ真剣に凄い、って伝えても、笑って受け取らないところがね、ヒデちゃんとYOSHIKIが一番ちがうとこなんだよなあ、って思ってた。


だからまあ、受け取ってくれないのもヒデちゃんらしいんだけどね。


でもね、ヒデちゃんの凄さは結局、日本中で明らかになったから、僕が正しかったよ。


あとは世界。


 X JAPANはもうすぐ世界でもあの頃の日本と同じような場所に辿り着くから。


楽しみだよね。


工藤さんがね、ほら、3rdの雑誌担当だった宣伝の。


コーチェラのマリリン・マンソンとのコラボを観てて、悔しかった、って言ってた。


マリリン・マンソンだったら…やっぱりヒデちゃんだから、って。


悔しい、って工藤さんが言った時ね、泣いちゃった。


でも、YOSHIKI頑張ってるから、大丈夫。


トシ君も幸せそうだし、HEATHも変わらない。


SUGIZOは素晴らしい。感謝しかないよね。本当に頭が下がるよね。


PATA、元気そうだけど、身体ちゃんとしてるかな。まあ、あの人結構責任感強いから大丈夫だね。一度痛い思いしたから。





そうそう、久しぶりに河口湖のキャメロットスタジオに行ったらね、あの頃撮った5人の写真があったよ。


懐かしい写真。


ヒデちゃん、髪の毛で顔見えないの。


あの頃、楽しかったね。


みんな明るかった。


燃えてたけどね、何だかバカみたいに明るかった。


あの頃の5人がもの凄いエネルギーを持ってたから、未来を創れた。


永遠も…創れた。


頑張ったね、あの頃。


懐かしいね。





横に並んで、僕が右でヒデちゃんが左。 

あの時、キャメロットでヒデちゃんが灰皿を投げた時から、そう決まったんだね。


ありがとうね。


優しいヒデちゃん。


じゃあ、いつものように心を込めて、伝えるよ。



ヒデちゃん、ありがとう。


たくさんの人たちの心に、光と夢をありがとう。


たくさんの人たちの孤独を救ってくれて、ありがとう。


『未来』をありがとう。


そして『永遠』をありがとう。


ヒデちゃん、本当にありがとう。





2019年5月2日


津田直士


*********************************** 

(株)津田直士事務所スタッフからお知らせ

今回、「BLUE BLOOD」リリース30周年というタイミングで、津田直士が新たに書き下ろした新刊「美しい記憶」販売中です。

「美しい記憶」サイト

過去、5月2日に配信されたhideへのメッセージはこちら

2018年 https://ch.nicovideo.jp/tsudanaoshi/blomaga/ar1508476
2017年 https://ch.nicovideo.jp/tsudanaoshi/blomaga/ar1257668
2016年 https://ch.nicovideo.jp/tsudanaoshi/blomaga/ar1020434
2015年 https://ch.nicovideo.jp/tsudanaoshi/blomaga/ar782868
2014年 https://ch.nicovideo.jp/tsudanaoshi/blomaga/ar521894


2017年夏、津田直士が寄稿した記事: イミダス時事オピニオン「X JAPANが世界で評価される理由」

☆津田直士ニコニコチャンネル  https://ch.nicovideo.jp/tsudanaoshi 
ニコニコアカウントをお持ちの方は、是非「フォロー」をお願いいたします 


【津田直士プロフィール】音楽プロデューサー/作曲家
Sony Music在籍時に「BLUE BLOOD」「Jealousy」「ART OF LIFE」
のCo ProducerとしてX JAPAN(当時はX)をプロデュース
インディーズ時代から東京ドーム公演までをメンバーと共に駆け抜けた記憶
の一部は、映画『WE ARE X』の中、インタビューという形で語られている。
また、自署「すべての始まり」にはその記憶のすべてが描かれている。


69c7541e781349b0382b40a12733a621d5d64244

「すべての始まり」特設サイト
https://www.innocenteyes.tokyo/