いつも全力で生きて、世界中に広がる数えきれないほどのファンに、沢山の夢と希望を伝え続けているYOSHIKI、誕生日おめでとう。
 
 YOSHIKIと初めて2人で話をした、あの日。

 白いシャツを着たYOSHIKIの胸に鮮血を見た・・・という不思議な体験をしたあの時から、思えばもう35年です。
 
 出会ってから随分長い時間が過ぎていきました。
 
 でも、ちゃんと大人らしく形を変えながら、YOSHIKIの若さやエネルギーがあの頃と全く変わらないのはとても嬉しいことです。
 
 僕もどうやらあまり変わらないようで、9月の終演後に話した時もあの頃と何も同じ気持ちで、短くても幸せな時間を過ごしました。
 
 ただ、あの頃と違うことがひとつあります。

 35年前にはまだ現実ではなかった「世界のYOSHIKI」に、今はなっていることです。


 
 僕は超能力もないし預言者でもないのだけれど、YOSHIKIと会う3年前の1984年、ソニーミュージックへ入社するために提出したエントリーシートに、未来のYOSHIKIを思わせる文章を書いています。
 
 エントリーシートに小論文を書く欄があって、テーマが「〇〇年後の音楽シーンについて書いて下さい」というものだったんですね。
 
 そこで僕は、未来の自分がソニーミュージックのディレクターで、世界的に有名になった架空の音楽家「時田宗一」にインタビューをしているという設定で、〇〇年後の音楽シーンを描いたんです。
 
 当時からするとずっと先のその時代、世界では日本の音楽が注目され始めていて、その「ジャパネスク・ムーブメント」の先駆者で世界的な活動をしている「時田宗一」が、日本人ならではの美しさを世界に伝えている・・・そんな様子を語るわけなんですね。

 その後ソニーミュージックに入社してから、僕はそのイメージがいつ実現するのか気にしていましたが、結局日本の音楽が世界から注目されることはなく、僕は残念に思っていました。
 
 けれど、今のYOSHIKIは、ちょうどあの時に僕が描いたイメージの「時田宗一」のように世界的なアーティストとなって、世界に通用するオリジナリティ溢れる作品とその存在によって、きちんと日本の美しさを世界に伝えています。
 
 まるで今のYOSHIKIのことを、1984年の僕が予言しているかのように。
 
 面白いですね。
 
 
 
 35年間、本当に色々なことがありました。
 
 歴史的な背景を前提に、一生かけて何も変わらず普遍であり続けるところと、無限の可能性を前提に、毎日のように変化し続けることろ。
 
 そのどちらもを極めているのがYOSHIKIだと、僕は時々書き記していますが、毎日のように変化していくことの中には、悲しいことがいくつも起きてきました。
 
 どんなことでもおろそかにすることなく真剣に見つめ、自分ごととして向き合うYOSHIKIは、その度にとても辛く苦しい思いをしてきたと思います。
 
 その辛さや苦しさを何とか乗り越えようとする時、ファンや仲間達に支えられ愛されてきたことを知っているYOSHIKIは、常に感謝の気持ちを持って自分と闘いながら誰かのために前進し、結果としてまたその姿がファンや仲間達を勇気づけるという、愛の連鎖をずっと続けています。
 
 そして、そんな生きかたをしている「YOSHIKI」というアーティストを、一人の人間である生身のYOSHIKIは、ずっと背負って生きているようにも見えます。
 
 でも、生身のYOSHIKIをそばで見ていた僕は、「YOSHIKI」というアーティストと一人の人間である生身のYOSHIKIの違いが生み出す影響については、さほど心配をしていません。
 
 なぜなら、たとえ人前であっても涙を流している時のYOSHIKIは、常に僕の知っている生身のYOSHIKIそのものだからです。
 
 僕が「嘘をつかない生きかたをしているYOSHIKI」と書くのは、そういった姿を見てきたからです。
 
 そして9月に会った時「今後はさらに全力でYOSHIKIの魅力を人に伝えていくから・・・」と伝えたのは、そんなYOSHIKIのことが大好きだからです。
 
 
 
 ネット社会の今、様々な声で色々な気持ちになることもあると思いますが、YOSHIKIの本質を理解している僕は、常に本当のYOSHIKIを伝えていくことで少しでも力になりたいと思っています。

 今後も身体に気をつけて、YOSHIKIにしかできない人生で沢山の人たちに夢を見せてあげて下さい。

 大丈夫だから。

 YOSHIKIは絶対に大丈夫だから・・・。

 世界が必要としているYOSHIKIに、心を込めて誕生日のお祝いを伝えたいと思います。

 おめでとう。
 そしてありがとう。 
 
 
 
         2022年11月20日 津田直士