さて。
 最近このブロマガでお伝えしている内容は、1988年のことだ。
 この頃、日本の音楽シーンは一体どんな状況だったのだろうか。
 
 まず象徴的なのは、BOØWYの解散だ。

 僕は1985年にソニーミュージック入社、ちょうど尾崎豊がカリスマとして話題になり始め、レベッカが急激に売れていくのをプロジェクトメンバーの一人として体感しながら、他にもいくつかの新しい才能が、ライブでの説得力でどんどんにファンを増やし、メガヒットアーティストへ成長していく様子を肌で感じていた。

 その頃は、同じフロアにソニーマガジンがあってよく遊びに行ったのだが、メガヒットを生む日本のロックバンドとして圧倒的な先駆者だったBOØWYは、常にスタッフの話題の中心だった。
 
 社内のアルバイトの子やオーディションに応募してくる若い子などにも、BOØWYのファンは多かった。
 
 サザンオールスターズとは明らかにバンドとしての意味合いが違い、ロックバンドの美学が、より明確に、ど真ん中にあるスタイルで、しかもメガヒットを放つバンド。
 
 その存在は、ブルーハーツとは別の意味で新たな時代のフロンティア(開拓者)だった。
 
 そのBOØWYが東京ドームで「LAST GIGS」を行ったのが、1988年の4月。
 
 BOØWYの他にもレベッカやTMネットワークがメガヒットを生み、続いて聖飢魔IIや米米CLUB、爆風スランプなどオリジナリティのあるロックバンドがどんどん活躍し始め、さらにBUCK-TICKやユニコーン、エレファントカシマシなど、新しい才能を秘めたバンドが登場していった。
 
 
そんな1988年、僕がXに期待していたのは、それらのどのバンドよりも激しいエネルギー、どのバンドよりも美しい世界を、最も商業的ではない型破りのアプローチで炸裂させ、かつて見たことのないほどの大きな衝撃を、とてつもないスケールの大きさで日本中に与えることだった。
 
 それは僕自身が作曲や編曲をするミュージシャン出身だったからかも知れない。