2017年に刊行された『母性のディストピア』に収録されなかった未収録原稿をメールマガジン限定で配信する、本誌編集長・宇野常寛の連載 『母性のディストピア EXTRA』。今回からのテーマは「空気系」です。物語から「目的」の排除とホモソーシャリティの導入した『ウォーターボーイズ』を中心に、その後の作品群について論じていきます。
(初出:集英社文芸単行本公式サイト「RENZABURO[レンザブロー]」)
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「空気系」と疑似同性愛的コミュニケーション
1 「空気系」と萌え四コマ漫画
「空気系」とはインターネットの漫画、アニメなどのファンコミュニティ上で用いられる、特定の物語形式を指す造語である。インターネット発の造語ということで、まずはWikipediaを参照してみよう。
空気系(くうきけい)とは、主にゼロ年代以降の日本のオタク系コンテンツにおいてみられる、美少女キャラクターのたわいもない会話や日常生活を延々と描くことを主眼とした作品群。日常系(にちじょうけい)ともいう。これらは2006年頃からインターネット上で使われ始めた用語である。(2011年3月7日参照)
漫画ジャンルは今や日本の出版産業を事実上支える巨大産業に成長している。その産業としての肥大はコンテンツの多様化とシーンの拡散をもたらし、ゼロ年代と呼ばれた先の十年は「漫画」というジャンル全体を視野に入れた状況論が難しいという認識が共有されていた。そんな中で、数少ない明確な変化が、「萌え四コマ漫画」というジャンルの勃興だったと言える。
90年代以前から性的な魅力をアピールしたいわゆる「萌え」系のキャラクターデザインを用いた四コマ漫画は散見されたが、ジャンルとしての勃興とその後の定着の端緒となったのは1999年の『あずまんが大王』のヒットだろう。あずまきよひこによる同作は、ある高校に通う美少女キャラクター数名のグループの、他愛もない日常生活をコメディタッチで描きオタク系文化の男性消費者たちの大きな支持を受けた。この『あずまんが大王』のヒットを契機に、オタク系の男性消費者をターゲットにした類作=萌え四コマ漫画は大きく隆盛した。2003年の『まんがタイムきらら』創刊を契機に専門誌も複数刊行されるようになった。専門誌については漫画雑誌という制度自体の斜陽もあって休刊するものも散見されたが、単行本市場における萌え四コマ漫画は先の十年を通じて完全にジャンルとして定着したと言ってよいだろう。
▲『あずまんが大王』
もちろん、萌え四コマ漫画=空気系という等式が成立しているわけではない。しかし、この十年主にテレビアニメ化などのメディアミックスを経て、オタク系男性消費者に強く支持された萌え四コマ漫画を列挙すると、萌え四コマブームと「空気系」ブームが限りなくイコールであることが分かるだろう。美水かがみ『らき☆すた』、蒼樹うめ『ひだまりスケッチ』、かきふらい『けいおん!』――これらの漫画作品はいずれも先の十年において新房昭之、山本寛といった若手演出家、あるいはシャフト、京都アニメーションなど有力スタジオによって映像化され、国内のテレビアニメシーンを牽引した作品となっている。そして、これらの作品はいずれも前述の――あくまでインターネット上のファンコミュニティから自然発生した造語なのでその定義は曖昧なのだが――「空気系」の特徴を有している。
そこで描かれるのは男性の登場人物が(ある程度)排除された女性だけの共同体であり、そしてそこで展開する物語は達成すべき目的や、倒すべき敵の存在しない日常生活上のエピソードだ。そして、これらの作品はその状態を幸福なものとして描き、読者の共感を誘引している。
萌え系と呼ばれるオタク系作品が広義のポルノグラフィとして機能している側面に注目したとき、この「空気系」の隆盛は非常に興味深い論点を孕んでいる。90年代末の美少女(ポルノ)ゲームブームを参照すると明らかなように、従来の「萌え」は消費者の感情移入の対象となる男性主人公が設定されており、この男性主人公がヒロイン(たち)に愛されることで疑似恋愛的な快楽をもたらすという回路が採用されてきた。そのため、この種の作品における男性主人公は中肉中背で無個性的な人物に設定され、消費者が自身のステータスと照合して感情移入に失敗してしまうことを事前に回避する方法が頻繁に採用されていた。しかし、空気系作品には美少女(ポルノ)ゲームにおける男性主人公のような「視点」を担うキャラクターが存在していないのだ。
もちろん、空気系作品はそれ以前の「萌え」作品と同等に、あるいはそれ以上にポルノグラフィとして消費されており、制作者の多くがそのことに自覚的であり積極的にその快楽を追求していると言ってよい。つまり、空気系作品は「萌え」=ここではキャラクターを介した女性所有の快楽を追求した結果、視点を担う男性主人公を消去してしまっているのだ。そして空気系におけるこの視点=男性主人公の消去は、物語における目的の消去と必然的に重なり合っている。
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