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本誌編集長・宇野常寛による連載『汎イメージ論 中間のものたちと秩序なきピースのゆくえ』。共同幻想と個人幻想の戦前的な短絡を乗り越えるため、対幻想の概念に立脚しながら戦後日本社会を肯定した吉本隆明。しかし、押し寄せるグローバリズムと情報化の波は、吉本の想像を超えた形で、ポピュリズムの暴走へと繋がっていきます。(初出:『小説トリッパー』 2018 春号 2018年 3/25 号

 八〇年代の吉本隆明をめぐる諸言説の半ば水掛け論的な混乱は、奇しくも今日のこの国の情報社会の混乱を予見するかのような相似を見せている。
 今日のこの国の言論状況を見渡してみればよい。局所的には(当人の主観としては)啓蒙的な(しかし、実質的には陰謀論的な)左右の二〇世紀的なイデオロギーへの回帰があちらこちらで噴出し、そして彼らの一人相撲を嘲笑うかのように全体としては、「大衆の原像」に立脚したポピュリズムが蔓延している。
 より具体的に述べるのなら、アカデミズム/ジャーナリズムのレベルでは左右の二〇世紀的なイデオロギー回帰が拡大し、あたかもかつての五五年体制下の保革の対立関係(を装った共犯関係)を再演している。
 この共犯関係を下支えするのが、再三指摘するこの国の情報社会を覆い尽くしたソーシャルメディア(とりわけTwitter)上の「下からのポピュリズム」だ。週刊誌/ワイドショーに指定されたターゲットに対し、「正義」の側に立って石を投げる。「~ではない」という否定の言葉でつながり、自分たちは「まとも」な側にいると確認し、安心する。この国の言論空間はマスのレベルではこの「大衆の原像」に依拠した「下からの全体主義」と、専門家のレベルで演じられる左右の対立を装った共犯関係との住み分けが行われている。前者は国民的な大衆娯楽として実質を担当し、後者はその権威付けとして名目を担当する。そう、この国は戦後一貫して左右のみならず、上下のレベルでも棲み分けを――対立関係を装った共犯関係を――行って来たといえる。
 左右の表面的な対立を装った実質的な共犯関係という「横の構造」と、この茶番を下支えする「縦の構造」――ジャーナリズム/アカデミズムの政治「ごっこ」と「大衆の原像」としてのメディアポピュリズムとの対立を装った共犯関係――戦後の進歩的な知識人を代表した丸山真男的なものと、「大衆の原像」に立脚して批判した吉本隆明的なものにこそ、もう一つの擬制(対立を装った共犯関係)が存在したのだ。そして、この二つの棲み分け、二つの共犯関係は今日においてもかたちを変えて反復されているのだ。

4  ハイ・イメージのゆくえ


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