NPO法人ZESDAによる、様々な分野のカタリスト(媒介者)たちが活躍する事例を元に、日本経済に新時代型のイノベーションを起こすための「プロデューサーシップ®」を提唱するシリーズ連載。第9回目は、株式会社ヌールエ デザイン総合研究所の筒井一郎さんです。
プロデューサー名「イアン」として手がけた絵本『どうぶつ環境会議』の制作を機に、同作から生まれたキャラクター「のら猫クロッチ」を通じて周囲を巻き込みながら様々なプロジェクトを動かしていく、場とコトのプロデュース手法が語られます。
プロデューサーシップのススメ
#09 キャラクターデザインによる場とコトのプロデュース
本連載では、イノベーションを引き起こす諸分野のカタリスト(媒介者)のタイプを、価値の流通経路のマネジメント手法に応じて、「inspire型」「introduce型」「produce型」の3類型に分けて解説しています。(詳しくは第1回「序論:プロデューサーシップを発揮するカタリストの3類型」をご参照ください。)
今回はカタリストの第3類型、すなわち、イノベーターに「コネ」や「チエ」を注ぐ座組を整える「produce型カタリスト」の事例の第4弾として、イアンこと筒井一郎氏をご紹介します。
前回の伊藤公法氏は、アイドルをどういう「キャラクター」で売り出していくか、どういう座組を組んでいくかを考える上で最初に行う「コンセプト」づくりについて語ってくれましたが、今回の筒井一郎氏は、逆に「キャラクター」を先に立ててから、様々な「コンセプト」に対応していく、という手法をとります。筒井さんが創出した「のら猫クロッチ」や「動物かんきょう会議」の動物たちといったキャラクターたちは、子供たちやNGO等によって与えられた「コンセプト」を体現するべく、ストーリーを紡いでいきます。そのストーリーの形成過程が、そのまま、イベント運営や、キャンペーン、環境教育事業の展開と重なっていくのです。その中で、出版やアニメ制作などのコンテンツビジネスが生まれ、同じ「キャラクター」を中心として「コンセプト」ごとに異なる座組が組まれていきます。
また、これまでご紹介してきた「produce型カタリスト」はみなさん、当然ながら、実在する他者がプロデュース対象でした。桐山登士樹氏なら富山県の中小企業群。田辺孝二氏なら島根県のベンチャー企業。伊藤公法氏ならアイドル。実在する他者にカネやコネやチエを注ぐ座組を組んで(=プロデュースして)きました。他方で、筒井さんは、直接的には、自分で創造した架空のキャラクターたちに、カネやコネやチエをかき集めて、注ぎ込んでいます。そして、彼の生んだキャラクターたちが、様々なコンセプトや事業の下で、様々な顧客に対して、それまで蓄積してきたカネやコネやチエを注いでいきます。
架空のキャラクターを間に介した入れ子状のプロデュース。架空のプロデューサーを創出してメタ・プロデュースするという、もはや幽玄の域にあるこの離れ業を実現する強烈な空想力こそ、筒井さんの真骨頂であり、「自分一流のデタラメ」なのです。非常にユニークです。(ZESDA)
テーマは「異文化コミュニケーション」
はじめまして、株式会社ヌールエ デザイン総合研究所代表の筒井です。プロデューサーとしてはイアンを名乗っていますので、ここから先はイアンで進めさせてください。今日は「のら猫クロッチ」というオリジナルキャラクターをプロデュースしていく中で気づいた「プロデュースとは何か?」について考えてみたいと思います。
私のプロデューサー観についてお話しするまえに、軽く略歴をお話します。私は、10代、20代のころ、対人関係、コミュニケーションがとても苦手で、帰国子女だったという過去の環境のせいにしながら悶々としていました。学生時代にインドを旅して衝撃的な体験をし、これまで外部環境のせいにしてきた自分自身を反省しました。そして、自分にとって難題の「異文化コミュニケーション」を自ら探求すべき研究テーマとすることにしたのです。
私が今、力を入れているプロジェクトは4つありますが、そのすべてがプロデュースしていくストーリーの中で繋がっていきます。ベースとなるストーリーは1997年からプロデュースしている『動物かんきょう会議』という作品です。わが社は1997年設立ですので、設立以来21年間一緒に歩んできています。
わが社はデザイン企画制作での売上げから、創業者自身によるオリジナルプロジェクトに投資している会社です。とはいえ、会社をつくった頃はとにかく暇でした。ですから、その時間を使って、自分たちの作品を創作していたというのが現実です。
40歳を前にした2004年に閃きがあり、自分自身の《クリエイティブする力》、《プロデュースする力》を地元目白で試してみたい! と思い立ちました。集まった3人のプロデューサーとともに音楽祭イベントをプロデュースしたのです。これはデザインの力、コンテンツの力、ヒトの力で山手線沿線の中で最も降りる理由のない駅のひとつ「目白」に集客するためのブランディング事業でした。このような地域活性化事業は、個人で取り組むには難易度はとても高く、プロデュース力が要求されるものでした。
私はバロック音楽が好きです。バッハやヴィヴァルディ、モンテヴェルディとかが活躍した時代の作品で小さなジャンルです。この音楽祭では、モーツァルトなどの馴染みのある音楽家や有名な曲、著名なアーティストの力に頼らずに、無名で馴染みはなくとも魅力ある音楽、そして特徴ある演奏家にこだわりました。コンセプトを力強く発信するために、目白というバ(=場)に、ロック(=挑戦的)な人が集まる音楽祭と定義し、「目白バ・ロック音楽祭」とネーミングデザインしました。
また目白という地元地域を舞台にした背景には、社会のIT化が進み、人との関係性が希薄になっているからこそ、「人と人とが真剣に向き合う場、リアルコミュニティを創出したい」という想いもありました。
この音楽祭を4年間やりました。目白地域の教会や歴史的建築物、巨匠による名建築など12会場を中心に計93回にわたる「演奏会」をはじめ、「シンポジウム」「展示会」「講座」「まち歩き」などを開催しました。出演した日本人アーティストは延べ189名。海外からの招聘アーティストは13名です。有料公演へのご来場者は1.2万人、入場率は83%です。2008年には地元目白界隈からの参加者が50%を越え「新たな目白ブランド」と呼べるまでに成長し、さらに後援3区のひとつ豊島区は文化芸術創造都市として平成20年度文化庁長官表彰を受賞しました。4年目でやっと黒字になりましたがプロデューサーとしてかなりの額の損失を被りました。
この体験から学ぶことはたくさんありました。例えば、音楽祭では海外のアーティストを招聘したのですが、彼らは私たちの窮状を見て「こんな始まったばっかりの音楽祭だったら集客困るよね、予算もないんだろ? じゃあ俺がチケットを売るよ」と目白のビジネスホテルに泊まりながら、昼は練習の合間に街中で、夜はカフェに出没して、「私は、音楽祭でこんなのやるんだ」ってチラシを配るんです。そして、ハグして、バイバイってするものだから、目白の人たちも喜んでくれてライブにも来てくれるといういい流れが生まれ、追加公演にもなりました。そんな彼らのコミュニケーション力、臨機応変の行動力は私たちを励まし、彼らのためにも成功させようというモチベーションになりました。
音楽祭後の疲弊した状況下、私は「相手の心に愛情を持って飛び込んでいく、行動力ある理想像(コミュニケーター)」を探し求めるようになりました。求めるイメージは「人間」ではありません。人の心は変化してしまうからです。
そんな中、「のら猫クロッチ」というキャラクターが生まれました。もともとは作品『動物かんきょう会議』のサブキャラクターとして誕生していたのです。原作者かりにゃんが2007年に生み出し、私は約11年間この個性の強いキャラクターと向き合い、プロデュース活動をしています。
このように「目白バ・ロック音楽祭」を実行委員長としてプロデュースした体験がきっかけで、「のら猫クロッチ」という次なるコンセプトが誕生しました。さらに2015年『動物かんきょう会議』は、日本と世界の子供たちが創発するSDGsアクティビティ「せかい!動物かんきょう会議」へと進化しました。以上が私の4つのプロジェクトとプロデュースの関係性です。