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草野球サークル、日露戦争中にアメリカへ行く――安部磯雄と早稲田野球部「チアフル倶楽部」の始動(前編)|中野慧
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草野球サークル、日露戦争中にアメリカへ行く――安部磯雄と早稲田野球部「チアフル倶楽部」の始動(前編)|中野慧

2022-06-03 07:00
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    ライター・編集者の中野慧さんによる連載『文化系のための野球入門』の‌‌‌第‌22回「草野球サークル、日露戦争中にアメリカへ行く――安部磯雄と早稲田野球部「チアフル倶楽部」の始動」(前編)をお届けします。
    現代の「eスポーツ批判」「ゲーム脳」論争と同じような構図で明治期におこなわれた「野球害毒論争」。当時のメディア間で野球の功罪が問われる中、国際スポーツの意義を見出した安部磯雄の思想とはどんなものだったのでしょうか。

    中野慧 文化系のための野球入門
    第22回 草野球サークル、日露戦争中にアメリカへ行く――安部磯雄と早稲田野球部「チアフル倶楽部」の始動(前編)

    明治の若者バッシング? ニューメディア悪玉論としての野球害毒論争

     前回(第21回)は、一高野球部から早稲田大学の飛田穂洲、そして高野連・朝日新聞、桑田真澄へ野球観のベクトルが受け継がれてきた、という見通しを示した。学生野球を中心に見られる極端なエリート主義・アマチュアリズムを正統なものと見做す思想は、戦前のトップエリート校である一高で生まれ、時代の要請に合わせて修正されながらも今日まで受け継がれてきたのである。
     なかでも飛田穂洲は「学生野球の父」とされ、戦前〜戦後にかけて早稲田大学野球部監督・顧問として、または編集者・記者としてさまざまな言論活動を行い、精神主義を基調とする一高野球部のスポーツ観を直接的に継承・発展させてきた中心人物である。
     ところがこの飛田は、なかなかの曲者である。彼はそもそも一高野球部ではなく早稲田野球部の出身であり、編集者・記者としてはバンカラで知られる冒険SF小説家・押川春浪の弟子でもあった。押川春浪率いるスポーツ社交団体・天狗倶楽部、そして天狗倶楽部とかなりのメンバーが重複している早稲田野球部の関係者たちは、一高野球部の極端なエリート主義とは違う方向性を打ち出そうとした人々だった。
     天狗倶楽部のメンバーで早稲田野球部出身でもあった飛田は、なぜ一高的野球観を取り入れていくことになったのか。その背景を理解する上で象徴的なのが、飛田が大学在学中の1911年(明治44年)に起こった「野球害毒論争」である。詳細はもう少し後で詳しく触れるが、簡単に言えば「野球が若者をダメにする」という危機感を煽る一大メディアキャンペーンが、当時の大新聞だった東京朝日新聞によって引き起こされたのだ。
     このとき東京朝日は、新渡戸稲造や乃木希典といった名士たちに野球を痛烈に批判させた。こうした批判に対し、東京朝日のライバル紙であった読売新聞・東京日日新聞(現在の毎日新聞)などで反対論陣を張ったのが押川春浪と安部磯雄だった。
     第17回で触れたとおり、1903年の藤村操の投身自殺を契機として当時の日本社会では「煩悶青年」ブームが起こっていた。「自分の存在とは何なのか」「何のために生きているのか」というアイデンティティの問題を探し求め、哲学書や小説に耽溺する若者たちが登場し、1900年代のメディア上を賑わせたのである。明治維新で「四民平等」が謳われるようになったものの実情として身分制度は残存しており、職業選択の自由が小さかった当時の大人たちにとって、アイデンティティの問題に悩む若者たちの登場は物珍しく、羨望と嫉妬の対象となった。
     また、習慣としても「黙読」というアクティビティは新しいものであった。ライターの堀越英美はこの時代の社会変化を、以下のように分析している。

     かつての読書の楽しみとは、家長が『南総里見八犬伝』などの娯楽小説を読み上げるのを家族全員で耳を傾けたり、母や祖母が子供に草双紙の絵解きを聞かせたりと、家族でわかちあうものだった。しかし明治三十年代から中等教育が全国的に整備されて識字率が向上し、出版点数が増える中で、若者たちは共同体から離れて、一人で好きな本を心ゆくまで堪能できるようになる。それは大人たちが教える伝統的な規範に抗い、個人としてものを考える内的指向型の人間を多数産み出すことになった。いわゆる「自我の目覚め」である。
     (中略)伝統社会を生きてきた大人からすれば、新時代の書物を読む若者は何を考えているのかわからない、不安を誘う存在だった。ゲームやスマホ、ネットに興じる現代の子どもが保守的な教育者から嫌がられる理屈とそう変わらない。年少者・女の一人遊びは、とくにそれが新興メディアである場合に、共同体を支配したい権力者からおぞましいものと映る。(堀越英美『不道徳お母さん講座 私たちはなぜ母性と自己犠牲に感動するのか』河出書房新社、2018年、101頁)

     それまで黙読の習慣になじみのなかった当時の大人たちにとって、読書に耽る「煩悶青年」は不気味なものに見えた。そして新聞などではやがて読書の害が強調されるようになっていった。煩悶青年ブームに続く1910年代に登場した野球害毒論は、煩悶青年批判の延長線上にある文化現象だった。
     現代日本でも、たとえば1989年の宮崎勤事件を契機に起こったアニメ・マンガ文化へのバッシング、2002年に始まった「ゲーム脳」論争、2018年頃からのeスポーツへの批判など、ニューメディア悪玉論の系譜があった。煩悶青年批判(=読書への耽溺に対する批判)、野球害毒論(=アメリカ由来の文化である野球に熱中することへの批判)は、いわばニューメディア悪玉論の戦前版といったところだろう。

     
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    最終更新日:2024-11-13 07:00
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