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第三章 他者を探し求めるヨーロッパ小説――初期グローバリゼーション再考(前編)|福嶋亮大
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第三章 他者を探し求めるヨーロッパ小説――初期グローバリゼーション再考(前編)|福嶋亮大

2023-06-07 07:00
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    本日のメルマガは、批評家・福嶋亮大さんの連載「世界文学のアーキテクチャ」をお届けします。小説史を研究するうえで暗黙の前提となっていたヨーロッパ中心主義を批判すべく、アジア圏の作品がヨーロッパ文学に与えた影響について解説します。

    福嶋亮大 世界文学のアーキテクチャ

    1、ヨーロッパ中心主義をいかに解体するか

     世界文学=世界市場の成立は、文芸の諸ジャンルのなかで小説が覇権を握ったことと不可分である。小説は文学史上の新参者であるにもかかわらず、詩や演劇を凌駕し、世界規模の市場を生み出した。いわば小説のパンデミックこそが、近代文学史における最大の出来事なのである。序章で述べたように、それは商品としての小説が勝利したということと等しい。
     ただし、このように考えるとき、小説がヨーロッパの固有種であることがしばしば暗黙の前提となっている。世界文学を推進せよというフリーメイソン的な命令を発したゲーテですら、ヨーロッパ文明の源流である古代ギリシアに特権性を与えていた。ゲーテがエッカーマンに対して、来るべき世界文学は何でもありではなく、あくまで「古代ギリシア人の作品には、つねに美しい人間が描かれている」(一八二七年一月三一日)から、それを模範にせねばならないと釘を刺したのは、その証拠である。もともと、ゲーテの美学は一八世紀ドイツの美術史家ヴィンケルマンの『ギリシア芸術模倣論』――古代ギリシア芸術という「源泉」に戻ることを訴え、新古典主義を準備した著作――の影響下にあったが、その尺度は文学にも適用されたのである。
     パレスチナ生まれの批評家エドワード・サイードが批判的に論じたように、ヨーロッパ中心主義的なイデオロギーは、ゲーテのみならず二〇世紀の碩学の比較文学者(クルツィウスやアウエルバッハ)にまで及んでいる。サイードは「ヨーロッパと、ヨーロッパのキリスト教的・ラテン的文化圏」を最高位に据えるイデオロギーを解体することに、あくなき執念を燃やし、特にイスラムやアジアへのバイアスのかかった表象(オリエンタリズム)を粘り強く批判した[1]。西洋の帝国主義はたんに軍事力で他者を支配しただけではなく、文学や学問のレベルでも東方の他者を御しやすい記号に変えたとするサイードの批評は、知識=権力のもつ政治性をラディカルに問いただそうとする試みであった。
     サイードの仕事の重要性は疑う余地がない。とはいえ、彼とは別のアプローチで、ヨーロッパ中心主義を相対化することも可能ではないか。そもそも、東アジアでは、中国がヨーロッパとは独立した「小説」の文化を数世紀にわたって持続させ、日本や朝鮮半島にまで影響を及ぼしてきた。その歴史の重みは、西洋の内在的批判者であったサイードよりも、ヨーロッパ中心主義者と目されるゲーテのほうが、かえって真剣に受け取っていたと言えるかもしれない。サイードはイスラムに対する西洋諸国(特にイギリス、アメリカ、フランス)の偏見の再生産に鋭い感覚を働かせた反面、中国や日本の文学的伝統はおおむね視野の外に置いた。それに対して、文人政治家のゲーテはむしろ中国(清)の小説にも言及しながら、世界文学の構想を気兼ねなく語ったのである。
     さらに、ゲーテは一四世紀ペルシアの詩人ハーフィズに強く触発されて、一二編から成るチクルス(連作)『西東詩集』(一八一九年初版/一八二七年決定版)を刊行したが、それと連動してきわめて綿密な研究を残した。彼はそこでオリエントの「精神」を高く評価している。
    オリエントの詩歌の最高の性格は、われわれドイツ人が精神[ガイスト]と呼ぶ、上位にあって人間をみちびく存在のすぐれた特性である。〔…〕精神はとりわけ老年に、あるいは老年に入った世界の時期に属する。オリエントの文学には、総じて世界全体を見わたす眼、アイロニー、資質の自在な行使が見いだされる。[2]
     ヘーゲルならば、このような言い方は決してしなかっただろう。ヘーゲルにとって、精神の歴史はヨーロッパで真に完成するのであり、アジア文明は踏み越えられるべき未熟な段階にすぎない。それとは逆に、ゲーテはペルシアの詩にこそ、ヨーロッパの人間中心主義とは異なる「老年」の成熟した精神を認めた。「アラビア人が駱駝や馬に対して心からの親和性をもっていることは、あたかも肉体と霊の間柄にさながらである」と称賛したゲーテが、自身の『西東詩集』でもイエスやムハンマドゆかりの「恩寵を受けた動物」(驢馬、狼、犬、猫)を取り上げていることは、注目に値するだろう[3]。『ファウスト』を筆頭にして、ゲーテの文学には人間ならざるものへの変身の欲望があったが(第一章参照)、彼はそれをアラビアの詩に見出したのである。
     もっとも、この野心的な詩集もサイードに言わせれば、オリエンタリズムを「無邪気に利用」したものにすぎない。彼はゲーテの「移住〔ヘジュラ〕」という詩を取り上げて、そこでオリエントが「解放の一形式」に――若々しい精神をよみがえらせる「泉」に――仕立てられたことを批判した[4]。戦争の続く西・南・北の野蛮さに染まっていない「東」を称揚したゲーテは、ペルシアの詩を尊敬するように見えて、実際にはその他者性を除去し、いわば精神のアンチエイジングの機会として横領したのではないか? このサイードの問題提起は広い射程をもつ。なぜなら、他国を勝手に「解放」のシンボルとして祭り上げるイメージ戦略は、過去のオリエンタリズムに限らず、現代でもさまざまな形で反復されているのだから。
     それでも、私は以下サイードの見解をたびたび参照しつつも、大筋ではゲーテの(一見するとナイーヴにも思える)世界文学論のプロジェクトの批判的延伸を試みたいと思う。というのも、東西のコンタクト・ゾーンのもつ意味を再考しつつ、アジアの独立性にも十分な注意を払うことは、世界文学論の核心的なテーマだからである。そこで以下の二章では、〈1〉ヨーロッパとその外部世界とのコンタクトを中心として文学史を再記述すること、〈2〉ヨーロッパと並び立つ中国の文学について、その文学史上の意味を再考すること、この二点について考察する。

    2、コンタクト・ゾーンの文学

     もとより、古代ギリシアに始まる純正のヨーロッパ文化とは、それ自体がフィクションである。そのフィクションへの批判として、ギリシア文化のルーツをエジプトやシリアに認めたマーティン・バナールの『ブラック・アテナ』は名高い。彼の仮説は学界で猛烈なバッシングを受けたが、ギリシアをヨーロッパの不動の源泉とする限り、それ以前のメソポタミアやエジプトのきわめて長大な文明が不当に軽視されることは避けがたい。その点で「ヨーロッパ白人中心主義」を解体し、古代ギリシアをむしろ雑色の混成文化として捉え返そうとするバナールの主張は、今でもその意義を失っていない[5]。
     ギリシアの文学史にしても、彼らが「バルバロイ」と呼んだ東方の世界とのコンタクト抜きには語れない。ギリシア演劇のパイオニアであるアイスキュロスの悲劇『ペルシア人』は、ペルシア帝国のクセルクセス大王の傲慢ゆえの敗北をテーマとしている。短気なクセルクセスはギリシアとの戦争で、大勢の兵士をむざむざと失った。取り残された女たちは、王の短慮のもたらした大量絶滅への「嘆き」の声でアジアの大地を満たす。「今やげにアジアの全土/人影もなく嘆きあり」[6]。
     ペルシア戦争に従軍した兵士でもあったアイスキュロスは、その硬質でゆるぎない言葉によって、ペルシア人女性への感情移入を強力に組織した。ペルシアの指導者の失敗が、女性たちの嘆きにおいて、アジア全土に被害を与える深刻なカタストロフとして表現される――これはまさに表象と感情の政治である。サイードによれば、アイスキュロスのペルシア表象は、偏見に染まった西洋のオリエンタリズムのプロトタイプになった。そこでは、ペルシアは威嚇的な「他者」であることをやめて、比較的親しみやすい女性の嘆きの声へと縮減された[7]。戦争は他者(オリエント)との敵対性を際立たせる一方、それ自体が巨大なコミュニケーション、つまり敵=他者に乗り移り、かつ勝者の立場から敗者の感情を定型化する機会になったのである。
     こうして、ギリシアの劇は自らのライヴァルであった「アジア」および「帝国」を消化吸収する器官として機能した。ただ、公平を期して言えば、ギリシア人がただ東方の帝国を「野蛮」や「悲嘆」のイメージに回収し尽くしたわけでもない。
     例えば、ヘロドトスは『歴史』でイランの騎馬民族スキュタイ人について「外国の風習を入れることを極度に嫌う」(巻四・七六)としてその閉鎖性を指摘する一方「世界中でペルシア人ほど外国の風習をとり入れる民族はいない」(巻一・一三五)と評して、享楽的なペルシア人が異国のファッションを貪欲に吸収し、ギリシア由来の少年愛を存分に楽しんでいることを報告していた。ギリシアの植民都市であるハリカルナッソス(現トルコ)生まれのヘロドトス自身がコンタクト・ゾーンの申し子であり、それは彼のペルシアの見方にも影響したと思われる[8]。ヘロドトスの数世紀後、アレクサンドロス大王の東征をきっかけとして、ペルシア人はギリシア文化と融合してヘレニズム文化を生み出したが、それも彼らの並外れた開放性なしにはあり得なかっただろう。
     さらに、西洋文化の源流としてヘレニズムと並列されるヘブライズム(ユダヤ・キリスト教の一神教文化)も、アジアとのコンタクト・ゾーンを母胎としている。バビロン(現在のバグダード近郊)に強制移住させられたユダヤの民は、異郷の地で聖書の編集にあたったが、そのプロセスでオリエントの神話が聖書のテクストに侵入することになった。特に、『創世記』の最初の部分(いわゆる「原初史」)における洪水物語(ノアの箱舟の説話)は、メソポタミアの『ギルガメシュ叙事詩』の洪水物語から、その多神教的要素を払拭し、峻厳なヤハウェ信仰の立場からそれを書き改めたものと推測されている。加えて、旧約聖書のコーへレト書(伝道の書)にも『ギルガメシュ叙事詩』とよく似た人生観――人間が死ぬべき「空の空」の存在であり、その運命が動物の運命と何ら変わらないことを率直に認めようとするニヒリスティックな覚悟――が認められる[9]。
     生物学的な隠喩を使えば、ヘレニズムにせよヘブライズムにせよ、いわば遺伝子の交叉(クロスオーバー)に似た文化現象と評せるのではないか。はっきりしているのは、ヨーロッパの文化的アイデンティティの古層はすでにアジアに深く浸透されており、その純正さを無理に主張しようとしても、せいぜい偏狭なオリエンタリズムに陥るだけだということである。われわれはむしろ、アイスキュロスの劇もヘロドトスの歴史書もユダヤの聖なるテクストも、アジアの帝国との「接近遭遇」というトラウマ的なショックなしにはあり得なかったことを再確認すべきである(裏返せば、オリエンタリズムとはこのショックを無化しようとする集団心理的な反応として理解できる)。
     そして、この接近遭遇ゆえのショックは、七世紀以降アジアに強大なイスラム帝国が築かれたことによって、いっそう増幅された。サイードは次のように鋭く指摘している。
    たしかにイスラムは多くの点で、まことに気にさわる挑発的存在であった。それは、地理的にも文化的にも、不安をかき立てるほどにキリスト教世界に近接していた。ユダヤ教的=ヘレニズム的伝統を身につけたのもイスラムなら、キリスト教から独創的なやり方で借用を行ったのも、軍事上、政治上の無類の成功を誇ることができたのもイスラムであった。そればかりではない。イスラムの国々は、聖地の近隣、いや聖地の頂点[イェルサレム]にさえ存在していた。[10]
     キリスト教世界にとって、イスラムは自己と遠く隔たった他者ではなく、むしろ多くの点で自己と近似した――しかもしばしば自己よりも優れた――他者なのであり、だからこそその存在が気にさわったのだ。この近さゆえの不安と否認が、今日のパレスチナ問題やヨーロッパ社会のイスラモフォビアにまで及んでいるのは明らかだろう。
     そもそも、イスラムの高度に洗練された知識や技芸は、ヨーロッパの思想や文化にも入り込んでいる。十字軍遠征を経て、アリストテレスをはじめ古代ギリシア人の哲学がイスラム経由で中世スコラ哲学に入り込んだことはよく指摘されるが、文学についてもその中枢にある恋愛表現が、イスラムから影響を受けたという有力な説がある。
     ドニ・ド・ルージュモンによれば、ヨーロッパ抒情詩の源流である一二世紀のトゥルバドゥールには、アラビアの文学の影響が及んでいる。彼らの詩は結婚を度外視した純潔な魂の讃歌であり、その「永久に満たされることのない」愛ゆえの神秘主義的な飛躍を、高度に洗練されたレトリックで歌い上げた。その母胎となった宮廷風恋愛(コルテツィア)の隠喩は、アラビアのエロティックな詩とよく似ているとされる。その一方、アンリ・ダヴァンソンはより微妙な筆遣いで、この「アラブ仮説」の行き過ぎを戒め、両者の違いを指摘したが(例えばアラビアの愛がしばしば同性愛であったのに対して、ヨーロッパのトゥルバドゥールのそれは異性愛的性格をもつ)、それでもアラビアからの影響を決して否定したわけではない[11]。この観点から言えば、ゲーテの『西東詩集』はヨーロッパ抒情詩のアラビア的古層を、再び視界に浮上させるような仕事と見なせるだろう。
     
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    最終更新日:2024-04-25 19:45
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