本日のメルマガは、マーケターの天野彬さんと宇野常寛との対談をお届けします。 TikTok特有のサービスとしての特徴を分析しながら、「ショートムービー」がコンテンツ業界や言論空間にどのような影響を与えるか議論します。
前編はこちら。
(構成:徳田要太、初出:2022年5月24日(火)放送「遅いインターネット会議」)
情報との出会い方
宇野 「タグる」というキーワードが昔からありますが、この本でもすごく重視されていますよね。最初にこの言葉が定着したのはたぶんインスタだと思うんですが、インスタの「タグる」からTikTokの「タグる」への変化について聞いてみたいと思います。
天野 僕が「タグる」を提唱するようになったのは2016年頃で、リサーチを通じて多くのユーザーがインスタで情報を探すようになっているとわかったんです。それがまず一つ面白いところだなと思ったんですよね。流行りのお店を探すのもGoogleで検索して探すのではなく、インスタで ハッシュタグを使って、パンケーキならパンケーキのお店を「#」を使って探していくと。ハッシュタグを使って自分で情報を手繰り寄せるように探すので、その掛け言葉として「タグる」という言葉がしっくりくると思いました。やはり今はもうGoogleで検索してもいい情報に出会えないみたいな状況がありますよね。それよりもSNSのほうがリアルで、しかも鮮度の高い情報が得られる。なのでみんな「ググる」から「タグる」になっているんだというのが、そこでの議論の要旨です。
でもTikTokだとあんまりハッシュタグで情報を探すという感じでもなかったりするんですよね。TikTokは良くも悪くも全てが中動態的で、ほぼおすすめに頼るような状態なんです。つまり、能動的にハッシュタグを辿りはするんですが、それが完全に能動的かというとそうとは言い切れなくて、自分が見た動画や「いいね」の履歴からアルゴリズムがレコメンドする動画を受動的に受け取っているだけとも言えます。だから「タグる」というキーワードも、引き続きインスタで使われていたり、Twitterでも「#」をつけた情報が発信されたりするので、従来の形とは少し違う情報体系なのかなという気がします。
宇野 僕はいつも「どうすれば、ほど良い偶然性を自分の生活や社会にインストールできるのか」ということを考えるんです。どうしたら自分がまだ知らないけれど興味を持っているものに出会えるんだろうと。そこで比較的僕がうまく使えば面白くなるかもしれないと思うのが、恐ろしいことに「アルゴリズム」なんです。もちろんAmazonのレコメンドはダメなんですが、メルカリやヤフオクなどの表示には意外と刺さるものがあって。僕はフィギュアオタクで「仮面ライダー」とか特撮系のものを集めているんですが、時々「このアイテム今まで意識してなかったけれど、意外といいじゃん」みたいなことに気づかされるの。つまり、ああいった中古市場の商品は、ユーザーが自分で写真撮って出品しますよね。だから宣材写真ではないんです。そうすると意外な魅力が伝えられて「あれ、意外とこのシリーズありじゃん。買って集めてみようかな」とか思ったりするんです。だから実は、二次創作とまではいかないけどユーザーが自分なりの視点で撮影したものやアップロードした情報が、アルゴリズムで示されるということが、今のところ僕は有効な気がしてるんです。人間とはまったく違う思考回路で、「人間だったら絶対にこれとこれ共通しないじゃん」というようなものが出てくるのが大事だと思っていて。いかに人の目や意識を排したシステムを組み込んでいくのかということが大事なのかなと思っていいます。
なんでこんな話をしたかというと、けっきょくこのショートムービーもコミュニケーションの一つのベースになってきているというのは間違いないと思うからです。インスタがスマートフォンで撮影した写真を人間のコミュニケーションのかなりの部分を占める基礎単位にしたのと同じくらいのことは起こるでしょう。その世界の中で、いかにいま僕が言ったように、人間を創造的にする偶然性を、この状況を逆手に取って社会にインストールしていくのか、天野さんはどう思っているのかと聞きたいんですよ。
天野 メルカリはたまに僕も使うんですけど、ひとつのフォーマットのようなものがある気がしていて。古着はよくチェックするんですが、やはり撮り方や商品の紹介の仕方には型があると思います。型があるということが、多くの人の発信や創造性を引きだしている面はあると思っていて、そういう意味ではショートムービーでは動画を作りやすいという利点があります。発信のハードルを下げて、そこにズレを内包させてどんどんコンテンツを生成させることで、偶然性を招きやすくしているわけですね。セレンディピティが訪れるかどうかは試行回数と密接に関係しているので。
情報の発信のしやすさが、確率的に良いものを生み出させるうえですごく大事で、TikTokだと音楽を乗せて簡単に誰もが動画を作れるとか、ミームと呼ばれるフォーマットがあったりします。模倣の連鎖によってカルチャーが根付いていったり、みんなの発信の中からわずかな差分で新しいものが出来てきたり、そういうことに繋がっていくのかなという気がしています。もちろんその型の先に守・破・離があることは大事なんですが。
TikTokと言論活動との相性
宇野 なるほど。少し視点を変えると、冒頭で「言論活動とショートムービーとの相性をどう思うか」と質問していただきましたが、僕はここに関してかなり危機感を覚えています。今の文字ベースのTwitter言論は明らかに正しく機能していないですよね。だからそこに当然未来はないと思うんですが、じゃあTikTokなりのショートムービーが主体になったときに、僕が思ったことが一つあります。山本太郎と宮台真司が戦ったときに、宮台真司に勝ち目はあるんだろうかと。山本太郎に絶対勝てない気がするんですね。つまり語り口だけが意味がある世界がそこに爆誕した結果、エビデンスや論理性とかいったものがほぼ完全に度外視される世界が到来してしまうんだと思うんですよ。
天野 そうですね。今の例えがちょっと絶妙すぎて、確かにそうだなと思ってしまいました。あとはいわゆるひろゆきさん旋風もその視点から分析できますね。彼自身が「切り抜き動画の原液」になったことで、ショートムービーの素材になったのが知名度獲得に寄与した。ひろゆきさん特有の話法も効果的だったわけで。やはり短い時間である分、議論の詳細な内容よりはインパクトのあるワードとかパフォーマンスに視聴者がどういう印象を持つのかが重視されますよね。
あとはTikTokってコメント欄でみんながどう思っているのかがけっこう可視化されるんです。40代か50代くらいの意見がYahoo!ニュースのコメントに象徴されているとすると、10代後半から大学生の子にとってはTikTokがその場になってるんですよね。ニュースのちょっとした映像に対してみんながコメントで何を言っているかによって自分の考え方にある種のバイアスがかかるというか、「みんながこのニュースについてすごい叩いているから、やっぱりこれダメなんだな」というふうに思うようなところがあります。だからそういう意味では話し手のパフォーマンスの印象によって言論の質がかなり影響されやすいと思います。字幕をどう入れるかとか、音楽とか、盛り上がりを映像的にどう表現するかとか、そういう勝負になってしまうんだろうなとは思います。
TikTok上でいわゆる言論活動をしている人はまだあまりいないですけれど、わりと知識啓蒙系のような人はまぁまぁ出てきていて。多くの人が関心ある、それこそダイエットの話題から、人間関係を良くする心理学とか、そういう知識紹介系の人はいるんですが、やはり専門家からするとエビデンスが怪しいと突っ込まれるクリエーターとかも少なくありません。そういう人たちが耳障りの良いキーワードをでかい級数で字幕に出したりして、ちょっと効果音とかを付けるとどうしても「そうかも。」なんて思ってしまうようなマジックがあったりして。しかもTikTokでは画面占有がそれだけなので没入してしまう。
宇野 どうしたらいいんですか? 僕らのようなオールドタイプは。ファンネルとか飛ばせないタイプは。
天野 (笑)。でもTikTokをやりつつも、TikTokだけで完結する人は実はあんまりいなくて。リンクからYouTubeに飛ばす人もいれば、人によってさまざまですが、TikTokはそういうショートムービーの話法は話法としてあるとして、何かそこだけでというよりは、何か別の場に移してコミュニケーションしたり啓蒙したりするケースが多いです。Twitterも同じで、結局140字で語れることには限界がありますが、そこからnoteに誘導するなりすれば伝わる人には伝わるわけですよね。ショートムービーはいろいろなものの入り口ではあるんですけど、そこが本体かどうかはまた違う話で、でも入り口としては有用だということですかね。TikTokだけに全てを背負わせてしまうのも酷かなという気もするので、そういう組み合わせが大事だとは思います。