ゲーム研究者の井上明人さんが、〈遊び〉の原理の追求から〈ゲーム〉という概念の本質を問う『中心をもたない、現象としてのゲームについて』。ビデオゲームに内在するプログラム構造に対して、大会のレギュレーションなどの可塑的なルールといった「二層構造」の「ルール」があると言えるゲームについて、その構造をモデルとして抽象化し、遊び/ゲームの体験性の本質に迫ります。
井上明人 中心をもたない、現象としてのゲームについて
5.5.4 遊び-ゲームにおけるルールを循環モデルとして再記述する
一見すると構造が固定されているようなルールやゴールについても、循環モデルで記述しなおすことができる。
構造として固定されているものを、ルールやゴール、ソースコードといったゲームのメカニクス部分だと考えたとき、そこからその都度、算出されるのは一回ごとの試合などのゲームプレイにあたる部分になるだろう。
ビデオゲームのハードウェアやソースコードの改造が難しいような形で提供されているクラウド型のオンラインゲームのようなものでは、ゲームプレイを通じて固定された構造を変化させることは難しい[6]。ビデオゲームをこのように観察するならば、ビデオゲームは固定的層をもった構造と、それから算出されるものというモデルによって捉えられることになる。
しかし、ビデオゲームにとってのルールとは実際にはもう少し緩やかに決定されていくような性質ももっている。すでに何度か触れているとおり、大きな格闘ゲームの大会や、RTAの大会などでは、どのキャラを使ってはいけないか、いわゆる「裏技」のようなものをどこまで使用してもよいかなどといったことが、大会が会を重ねるごとに少しずつ調整されて変化していくことがある。
ビデオゲームの大会の場合は、ソースコードとして固定された部分と、長期で見た場合にはある程度の可塑性がある大会のレギュレーションという二段構えだが、スポーツの大会などでは後者のようなレギュレーションがベースであるため長期的にはスポーツのルールは可塑的なものであるといえる。
実践を通じて、ルールに変化が加えられ、調整が働いていくプロセスは我々の日常的な慣習や、共同体内での規範、法といったような様々なルールにおいても見られる側面である。
これらのプロセスを順序として観察するのであれば、ルールの書き換えられるプロセスということになる。つまり、試合における想定外の発生→ルールの書き換え→想定外の発生→ルールの書き換え→……といった形として整理できる。
また所与のルールで処理できない行為がなされた場合には、それは「不正」とみなされたり、ゲーム自体に関わりのない行為とみなされることになる。ビデオゲームのルールの特徴として、現時点のセンサリング技術等によって定量化したり、入力情報として評価が可能な程度のものでなければ評価ができないという特性がある[7]。複雑な意味の解釈が困難になるケースが多いというのが、ビデオゲームのようなメディアにおいては一つの特徴となっている。一方で、TRPGや『キャットアンドチョコレート』のようなアナログの会話ゲームでは、捻ったユーモアのような、意味的にかなり複雑なものであってもゲームの要素として判定が可能である。行為の評価者が人間であることによって、はじめてそれは可能になっている[8]。
下記に同じくまとめておく。
・観察困難:無秩序/ゲーム外の行為/不正
・順序として観察:試合における想定外の発生→ルールの書き換え→想定外の発生→ルールの書き換え→…
・可塑的な複層構造として観察:制度(慣習、ルール)―試合・ゲームプレイ
・固定的な複層構造として観察:ゲームプログラム―試合・ゲームプレイ
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