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中川大地の現代ゲーム全史[日本編]:第9回 電子ゲームの流行と「ゲーム&ウオッチ」が切り拓いた風景
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中川大地の現代ゲーム全史[日本編]:第9回 電子ゲームの流行と「ゲーム&ウオッチ」が切り拓いた風景

2013-09-30 21:32
    ▼本コンテンツは連載です。前回記事はこちら
    http://ch.nicovideo.jp/wakusei2nd/blomaga/ar339132

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    第9回 電子ゲームの流行と「ゲーム&ウオッチ」が切り拓いた風景

    (前回までのあらすじ)
    インベーダーブームに始まったビデオゲームの「日本化」の波は、
    三大アーケードゲーム業者の中でも戦前からの国産娯楽機器の文化を
    最も色濃く受け継ぐナムコの手によって主導されてゆく。
    『スペースインベーダー』の正統進化形といえる『ギャラクシアン』や
    ゲームが初めてヒットキャラクターを生んだ『パックマン』をはじめ、
    1980年代初頭の時代感とも共鳴したカラフルでキャッチーなゲームデザインは、
    日本ゲームのユニークさを世界に知らしめるのだった。

    ■電子ゲームブームから「ゲーム&ウオッチ」の大ヒットへ

     第3章(※本連載では割愛)でも述べたように、アメリカでは1977年にカートリッジ交換式のテレビゲーム機「アタリVCS(2600)」が登場して以来、『スペースインベーダー』をはじめとする強力なソフトを確保することで年を追うごとに着々と累積販売台数を伸ばし、これが事実上の標準機(デファクトスタンダード)となって家庭用テレビゲームの本格的な独自市場を築きつつあった。一方の日本でも、前章で述べた最初のテレビゲームブームの末期には、タカトクトイス開発の「ビデオカセッティロック」(1977年)や東芝の「ビジコン」(1978年)といった国産のカートリッジ交換式ゲーム機が登場し、1979年にはエポック社が「カセットTVゲーム」の名称でVCSの輸入販売を開始していた。しかしながらアメリカの中産家庭に比べ、住宅事情や世帯購買力の面で余裕のなかった日本の場合、本体とカセットで数万円にもなるこれらの商品はほとんど話題にならず、この時点でのテレビゲームへの注目は沈静化する。

     かわりに、テレビゲームにならぶ新機軸の玩具として台頭してきたのが「電子ゲーム」であった。これは従来からあった持ち運び型のテーブルゲーム(磁石式のオセロや将棋など)や機械式・電動式のポケットゲーム(ピンボールやパチンコのように玉を仕掛けの中で誘導するものなど)の延長線上に、主にLSIによる制御装置とデジタル時計や電卓に使われるLED(発光ダイオード)やFL(蛍光表示)管といった表示装置を用いて生み出されたゲーム玩具の総称である。具体的には米マテル社のレースゲーム「Mattel Auto Race」(1976年)を嚆矢として、バンダイの魚雷発射ゲーム「サブマリン」(1977年)やエポック社の野球ゲーム「デジコム9」(1979年)など、1970年代後半に玩具メーカー各社が競って開発するようになった商品カテゴリーだ。これがインベーダーブームの影響で『インベーダー』や『パックマン』といったアーケードでの人気タイトルを模した製品が数多く登場するようになり、しだいに「ビデオゲームの疑似体験」としての性格を帯びていく。
     
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