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第173号 2016.4.12発行

「小林よしのりライジング」
『ゴーマニズム宣言』『おぼっちゃまくん』『東大一直線』の漫画家・小林よしのりが、Webマガジンを通して新たな表現に挑戦します。
毎週、気になった時事問題を取り上げる「ゴーマニズム宣言」、『おぼっちゃまくん』の一場面にセリフを入れて一コマ漫画を完成してもらう読者参加の爆笑企画「しゃべらせてクリ!」、著名なる言論人の方々が出版なさった、きちんとした書籍を読みましょう!「御意見拝聴・よいしょでいこう!」、漫画家キャリア30年以上で描いてきた膨大な作品群を一作品ごと紹介する「よしりん漫画宝庫」、読者との「Q&Aコーナー」、作家・泉美木蘭さんが無限に想像をふくらませ、とことん自由に笑える「日本神話」の世界を語る「もくれんの『ザ・神様!』」等々、盛り沢山でお送りします。(毎週火曜日発行)

【今週のお知らせ】
※「ゴーマニズム宣言」…4月10日(日)、『追悼 堀辺正史 武士道と現代日本』と題して行われた第54回ゴー宣道場は、昨年12月26日に亡くなった骨法の堀辺正史創始師範を偲ぶ場となった。堀辺氏から学んだことを語る中で、期せずして「ゴー宣道場とはどういう場なのか?」ということが改めて明確になった。「武士の個人主義」と「足軽の集団主義」、価値相対主義・価値紊乱主義とは一線を画する道場のあり方、「公論」を目指すために必要なこと…議論が失われている今の日本にとっても、重要な要素が詰め込まれた第54回ゴー宣道場。必読せよ!
※特別寄稿!「泉美木蘭のトンデモ見聞録」…今回、スポットを当てたのは新宿三丁目の交差点!!ファッションの世界から見る、日本の格差社会の現実、「ブランドネーム好き」の日本人の姿をレポート!
※よしりんが読者からの質問に直接回答「Q&Aコーナー」!「不寛容」はどこからくる?「カジノ合法化」をどう思う?赤塚不二夫はなぜ凄い?妻に浮気が露見した時に笑って許してもらえるコツは?G7外相が広島を訪れ原爆慰霊碑に献花、その意図とは?…等々、よしりんの回答や如何に!?


【今週の目次】
1. ゴーマニズム宣言・第167回「武士の個人主義で付き合った堀辺正史氏」
2. しゃべらせてクリ!・第133回「ちゃまりん♡さまよの淑女我報でしゅぶぁ~い!の巻〈前編〉」
3. 特別寄稿!泉美木蘭のトンデモ見聞録・第3回「新宿三丁目交差点に見る、格差社会の構図~バーバリー・伊勢丹・H&M・ユニクロ・GU」
4. Q&Aコーナー
5. 新刊案内&メディア情報(連載、インタビューなど)
6. 読者から寄せられた感想・ご要望など
7. 編集後記




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第167回「武士の個人主義で付き合った堀辺正史氏」

 第54回ゴー宣道場が『追悼 堀辺正史 武士道と現代日本』と題して4月10日に行われた。
 ゴー宣道場を一緒に立ち上げた骨法の堀辺正史創始師範は、昨年12月26日に亡くなった。亡くなる前日は、雑誌の取材を受けてしっかり話をするなど全く普段通りの生活を送り、特に調子が悪い様子もなく就寝し、そのまま眠るように亡くなっていたという。
 東中野の骨法道場で第1回ゴー宣道場が開催されたのは、平成22年4月11日。それからまる6年となる道場が、堀辺氏を偲ぶ場となった。
 ただし追悼と銘打っているとはいえ、決してしんみりと故人を偲ぶことには終始せず、あくまでも公論に結びつけつつ、我々が堀辺氏から何を学んだのかを語っていくようにした。

 わしは堀辺氏の死を知った時、大変驚きはしたが、涙は出てこなかった。
 堀辺氏の奥さんや骨法の門弟たちの悲しみは想像に余りあるし、わし自身堀辺氏とは長年親交があり、その人柄も好きで、男と長電話するのは堀辺氏だけだった。
 わしが単行本を出すたびに、堀辺氏から電話があって、感想を語ってくれた。長電話するのは女とだけだと思っていたので、男と恋人同士みたいに長電話すること自体が自分でも不思議だった。
 なのに、堀辺氏の死を知ったとき、「惜しい。残念」と感じたものの、なぜか泣くことができなかった。
 その時に思い浮かんだのは、堀辺氏が語っていた「武士の個人主義、足軽の集団主義」という言葉だった。
 人にはそれぞれ関係性がある。そして、わしと堀辺氏との関係性は完全に「武士の個人主義」で成立していたのだった。
 例えばわしは堀辺氏について、格闘技界における勢力争いやら裏切りやらといった、ドロドロした経験を散々してこられたということは仄聞していたが、そういうことには立ち入らなかったし、堀辺氏もわしの個人的なことまで、あえて触れようとはしなかった。
 恋人同士のように長電話していたのだから、相手の人生に踏み込むことも可能だっただろうが、それは「私的」な領分まで情を沸かせることになり、お互いにそれは望まなかった。喪失感を感じたときに泣くのだろうから、そこまでの情愛は共に生きる「物語」を共有していなければならない。
 だがわしと堀辺氏は、あくまでも「ゴー宣道場」における「公論」をつくるという構えの中でだけ関わっていたのである。

 わしは最近、NHK朝ドラの『あさが来た』でも『とと姉ちゃん』でも、キャラクターが死ぬとすぐ涙がボロボロ出てきてしまい、ホントに歳をとったと思ってしまう。
 ところが不思議なことに、堀辺氏の死には涙が出ない。それどころか、わしは父が死んだ時も、母が死んだ時も全然泣けなかったのだ。
 ドラマを見ている時は、登場人物が紡ぐ「物語」に没入してしまい、個人主義などなくなっている。油断して「私的」な情愛を沸かせているから、こんないい人が死んでしまうのかと泣いてしまうのだ。
「五代さまロス」とか「新次郎ロス」とか「あさロス」とか言われたが、それはあくまでもドラマの中の「役」に対する私情なのだ。
 ドラマで泣くくせに、実在の自分の両親の死で泣かないのは非情ではないかと思うかもしれないが、もうわしの家族のドラマは「最終回」を終えていたからである。喪失感がないから「父ロス」にも「母ロス」にもならない。
 両親は福岡に住み、わしは東京に住んで、年に1度か2度しか会うこともなく、もう「小林家」のドラマはずっと前に終わっていたのだ。これが、わしが自立する前で、まだ家族のドラマが続いていたら、もしかしたら泣いたかもしれない。
 むしろ「堀辺ロス」の方がわしには重要で、『大東亜論』の感想を緻密に言ってくれる目利きを失ったのが一番痛い。

 もう一つ言うと、ドラマの『とと姉ちゃん』では、父親が死んだ時に長女だけが涙を見せず、妹たちから非情じゃないかと責められる場面があった。