『民主主義という病い』で美味礼賛を挟むのは、新自由主義の
時代に「下見て暮らせ」という言説が流行るのを防ぐためです。
イミテーションで満足している大衆に向かって、自己懐疑を
目覚めさせるためです。 

こういうものは無意識に訴えかけた方がいいと思うので、
富裕層の食事をわざとバラすこともします。
例えば理作氏が酔っぱらったレストランについて、もう少し
書いておきます。 

わりと気軽でリーズナブルな店なのですが、6人で65千円
くらいでした。
わしが女性を口説くときは、一人2万円から2万円以上使うので、
人数にしたらリーズナブルだと思うのです。
けれど、今どきの庶民から見ればきっと高額だと思うに違い
ありません。 

それでもこの店は料理の価格が抑えられているので、
人気が高く、予約がなかなか取れない店です。
料理の価格を抑えて、客を呼び、実はデザートやコーヒーが
別料金になっており、さらにワインを比較的高額なものを揃えて、
稼ぐというシステムになっているようです。
しかしこの店、料理は確実に美味いので、特にフルーツの

冷製パスタが食べたくて行きたくなってしまうのです。

師範の打ち合わせでは、白のボトルを2本と赤のグラスワインを
注文しました。
わしは胃の調子が悪くて、全部で3杯くらいしか飲んでいない。
みなぼんは運転があるのでアルコールは飲んでいない。
それでなぜボトル2本があっという間になくなったかというと、
理作氏ががぶ飲みしたからです。
これは責めるつもりで書いているわけじゃないですからね。 

多分、店の人が理作氏のグラスをめがけてどんどん注いだ
ために、泥酔状態になったのです。
店に嵌められた犠牲者です。
けれども、やはりああいう小じゃれた店では、居酒屋のように
大声を出してはいけません。
「にんぴにん」という言葉を大声で発したときは、さすがに
驚きました。 

居酒屋にすれば、酔っぱらって、大声出しても構わないの
ですが、わしが小じゃれた店を選ぶのは、ただただ笹さん、
泉美さんのためです。
彼女たちは「ゴー宣道場」の至宝だと思っているので、
美味しいものを食べさせたいと思うのです。
ああいうレストランではやはり男はマナーが必要です。
女性に対するサービス精神が目いっぱい必要です。
そのようなマナーは、富裕層なら普通に身に付けているの
ですが、多分、理作氏の場合、映画関係者と付き合って
いるから、無頼派的な打ち上げに慣れているのでしょう。

「ゴー宣道場」を開くにも、その打ち合わせや、打ち上げの
店を選ぶにも、実は苦労があるのですが、誰もそのことを
推察できないでしょう。
店を選ぶにも、価格を考慮して、日曜日に空いていて、
個室があるレストランを探して、予約をとるのは大変で、
実は妻にも協力してもらって探しています。
予算をはみ出す部分はこちらで出してでも、楽しんでもらおう
とか考えるわけです。 

こういう内輪を暴露すると、富裕層のイメージが崩れるので
嫌なのですが、実態はこんなものです。
「ゴー宣道場」を地元で開催したいと頑張っている人も、
きっと人知れぬ苦労があると思います。
自分で何も責任を負わない連中が、カルトになるとか、
遠くで出まかせ言うのは簡単ですが、わしは自ら苦労を
買って出た若者たちを「立派だ」と褒めてやりたい思いです。

そして、結果として人が集まらなかった、開催できなかった
となったって、わしは全然かまわないのです。
「よくやった」と褒めてあげます。
人が人とコミュニケーションをとる、絆を結ぶのは、共同体が
崩壊したこの時代に大切なことですし、とても難しいことだと
思います。
裏側で大変な苦労を背負うことになるものです。
「やってみよう」と奮い立った者、それを支えようと集まった
者たちは、わしの歳になると可愛いと思ってしまいます。
そういう年齢になったのです、わしも。

人がやることには陰の苦労があるのです。
それを思ってこそ、「公心」が磨かれるというものです。

 

 

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