去年の「朝ナマ」では安倍政権のアベノミクスを成功させる
ために、とにかく経済成長への期待感を盛り上げるための
議論が展開された。
竹中平蔵はあっさりと「トリクルダウン」なんかないと断言
したが、政府はありとあらゆる政策をとって経済成長を
成し遂げなければならないと言っていた。
三浦氏もそうだが、ほとんどのパネリストが日本は規制緩和が
遅れている、規制緩和さえすれば、イノベーションが次々に
起こる、規制緩和・グローバリズムが日本の方向性だと合唱
していた。
わしは「この強烈な新自由主義への信仰心はどうにもならん」
と諦めるしかなかった。
去年の正月の新聞を見たら、どこもここも、さあTPPだ、
グローバリズムだ、株価が上がるぞ、いよいよ経済成長の年だ
と煽り立て、わしはむかっ腹が立って、ブログに批判の言葉を
連ねていたものだ。
そして数か月後に、日銀の異次元の金融緩和の結論が出て、
アベノミクスの理論的支柱だったリフレ派の浜田宏一が
文芸春秋で敗北宣言をして、金融緩和だけではトリクルダウン
は起こらないと認めた。
そして今年の「朝ナマ」では、田原氏が「トマ・ピケティ」の名を
出しながら、いまだに株価を気にして、新自由主義の呪縛が
解けてないことを示し、他のパネリストもグローバリズム信仰が
抜けてないことを露呈していた。
そして今朝1月4日の朝日新聞を開くと、「経済成長は必要か」
という記事が載っている。
「GDP語られぬ限界」「低成長容認 社会に変化の兆し」という
見出しが出ていて、ようやくこの段階にまで来たのかと気持ちが
楽になる感覚だった。
「ゴー宣道場」は立ち上げの当初から、「坂の上の雲のその先を
目指すより、足下の土地を耕せ」と標語のように掲げていた。
アベノミクスは失敗すると真っ先に主張していた。
アホが多すぎるから言っておくが、「足下の土地を耕せ」という
のは農業のことではない。
共同体のことである。
共同体なくして資本主義は発展しないことは、ケインズだって
ハイエクだってシュムペーターだって前提である。
とにかく朝日新聞はようやくGDP神話に疑問を持たせる記事
を書くところまで来た。やっと一歩だ。
マスコミやネットが世論を作り、政権を作るから、GDP信仰や
株価信仰の全体主義が出来上がっているときに、異論を唱えても、
全然相手にされない。
それは戦争に突入して全員「神風が吹く」と言っているときに、
「神風は吹かない」と言い続けなければならない苦闘だから、
どうしようもないのである。
敗戦がもっと明確にならなければならない。
「朝ナマ」の様子を見ていたら、今でも多分ダメだろう。
すぐにトランプ景気でバブルに向かうぞ、株価2万円台だと
はしゃぎ始めるに違いない。
もっと絶望しなければ全体の風向きは変わらない。
そして戦犯どもは決して謝罪しないのである。
それはこの国特有の風土というわけではない。
どの国だって戦犯がぬけぬけと生き残る。
ただわしに課されている使命は、言論の影響力が少しでも
残っているなら、挫けずに主張していくだけのことなのだ。