笹さんには昨日、週刊文春を読んで頭にきてブログを書いたらダメだと言っておいたのに、書いてしまっている。
あちゃ――――――っという内容だ。 

女性を傷つけたときは「手当て」をしなければならない。
それを怠ったら、恨みが蓄積されていって、爆発してしまう。
恐らく週刊文春の記事を読んで、元妻の方に感情移入してしまったのだろう。

わしも弱者の気持ちが分かる者こそが、本物の強者だと思っているから、元妻が気の毒になる。
なんで「手当て」しなかったんだろう?
心神耗弱のままのシロウトを相手に、契約観念のみで、カタをつけようとするのは無理がある。
特に日本人の場合は。
特に日本人の場合は、という点を強調しておく。 

だが、もう一方で、倉持氏のイタリア人みたいな口の軽さ、フットワークの軽さが、わし個人としては面白いと思ってもいる。
だが、女性の心を弄んではダメだ。
女性には感謝のみ!感謝のみで接しなければダメだ。 

倉持の良さは価値相対主義じゃないところだ。
あのくらいの若い世代の者は、ニヒリズムで決断できない者ばかりだ。
倉持は価値に順列をつけて、決断できる。
そういう人材は育っていって欲しい。 

「立憲的改憲」はやらねばならない。
「ゴー宣道場」の内部でどんなゴタゴタがあろうと、続けるしかない。
安倍加憲案が潰れようと、立憲民主党が「立憲主義」を採用しまいと、わしはまだ手はあると思っている。

他に国民運動にできる場があるなら、手を引いていいのだが、現在「ゴー宣道場」に集まってくる人々が、どうやら最もレベルが高いのではないかと、わしは思い始めた。

倉持氏はまだ役に立つ。まだ役に立ってもらう。
信頼を得るには時間がかかるが、踏ん張って行動で示すしかなかろう。
笹さんと泉美さんは、わしが「手当て」する。
徐々に信頼を回復する道へ踏み出そう。

 

 

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