村山談話・河野談話に未来はあるか?
第48回 スマラン慰安所「白馬事件」(その4)
オランダにまで慰安婦問題の「火つけ」を目論んだ
朝日新聞は、「白馬事件」のBC級戦犯裁判で
懲役2年の判決を受けた石田英一元大尉
(記事では「Aさん」)を取材し、記事にしている
(1992年8月30日)。
石田氏はこう語っている。
「慰安婦のなかには自由意思ではない者もいた。
私はキリスト者であり、信仰上の理由もあって
慰安婦関係の仕事をやめさせてくれるようにいったが、
聞き入れてもらえなかった」
慰安婦関係の仕事が嫌だった石田氏は、
BC級戦犯裁判で被告側に不利なことも隠さず
話したため、途中から一人分離して審理され、
判決は有罪の被告の中では最も軽くなった。
一方、石田氏の証言は他の被告の尋問に使われ、
その立場を不利にした。
石田氏は「良きキリスト者にふさわしく行動する
ことができなかったことを後悔」する一方で、
「軍人として上官を擁護することができなかった」
立場を「ユダ」に似ていると語る。
さらに石田氏は、自分が抑留所から女性を連行する際の
責任者だったとする裁判での陳述を否定し、
「抑留所へ行ったのは一回だけ。それも門の外で
立ち会っただけ」と朝日の取材に言った。
だがこれに対して朝日の記者は石田氏に、その時
同行したのは警察官や慰安所経営者であり、その中では
当時陸軍中尉だった石田氏が「連行の責任者」だったはずだと
糺し、実質的にそれを認めさせる。
そして「Aさんは自分とこの事件のかかわりを
できるだけ小さく見せようとする発言が目立った」と
責めるような筆致で書いている。
その態度は新聞記者というよりも、
まるで「検察官」だった。
(つづく)