今日は報道ステーションが沖縄のことで取材に
来るというので、自分で描いた『沖縄論』をペラペラ
読み返してみた。
いやあ、すごかった。
よくこれだけ勉強して沖縄の真実に迫ろうとしたものだ。
絵も生き生きしていて楽しいし、多面的に沖縄を
分析している。
自分で言うが、名著だ。
当時、沖縄の若者が自分たちより小林よしのりの方が
沖縄のことを知っている、ヤマトンチューから
教えられてしまったと感想を漏らしていたものだが、
そりゃあ、これだけ描いた本はなかなかないだろう。
2005年に出版された本だが、わしは今の考えと
大して変わっていない。
今はもう基地なしでも経済は発展すると沖縄の経済界も
わかったようなので、「イモ・ハダシ論」が通用しなく
なっている。
そこが10年前と違うところだ。
『沖縄論』は沖縄では延々とベストセラーになっていたが、
本土ではいまいちだった。
「見たいモノしか見たくない、見たくないモノは見ない」
という性質は右から左まで一緒だ。
真実を知りたいという意欲よりも、信仰の対象が欲しい
という意欲の方が強いのが、この国の民の情けなさである。
しかし、これだけすごい本を描いても、売れるのは一時期
だけで、年月が経てば、もう書店には置いてない。
十年も経つと、また沖縄のことを知らない人々が、ごそっと
出て来てしまって、無知のままに沖縄について語り出す。
最低でも県外じゃないが、最低でも『沖縄論』を読んで
議論すれば、もう少し実りがあると思うのだが。
本ってどうしても一時的で虚しいものだ。