昨日はクリスマスイブだった。今日がクリスマスだ。
だがもうすっかりクリスマスは廃れた。
子供がいる家庭ではクリスマスをやってるのかもしれないし、
都会の中心部ではムード出そうとしてるのかもしれないが、
往年の年中行事的な勢いはもはや見られない。
六本木か恵比寿のイルミネーションを写メ撮る田舎者が
群れているくらいのものだろう。

かつてはバーで一杯ひっかけたパパが、ケーキを
ぶら下げて、鼻眼鏡を付けて、パーティー用の
三角帽子を被って、赤ら顔で「メリー・クリスマス」と
言いながら帰宅していたものだが、そんな光景も
今は見られない。 

あるいは恋人同士が肩を寄せてプレゼントを交換し、
聖なる夜に性なる儀式を始める習わしも潰えた。

昔はクリスマスと正月は、男が帰宅して家族サービスを
するから、愛人が憂鬱になって、自殺するのが
一般的だった。
あのころ自殺した愛人は犬死だ。 

WHAM!のラストクリスマスか山下達郎のクリスマスイブは、
街に出たら必ずかかっていたのに、今年は達郎を
一回聴いたのみだった。

大学生の分際で、女にやらせてもらうために予約していた
赤坂プリンスホテルも今はなし、バブルは遠くなりにけり。 

今じゃそのお株をハロウィンに奪われて、商売も
西洋お化けで儲ける方にシフトした。

結局、家族の紐帯が綻んで、ネットで他人とかりそめの
絆を結ぶ、砂粒の個人がほとんどになってしまったから、
クリスマスは衰退したのだろう。

家族を崩壊させるのは資本主義である。
それは夫婦同姓や別姓という、たかが苗字の問題ではない。
わしは社会主義者ではないが、無制限の資本主義には
警戒を怠らないくらいのバランス感覚は持っている。

 

 

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