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ズンドコ・トラブル興行研究会――プロレス格闘技のウラに精通する書き手たちがマット界を騒がせたズンドコな事件を振り返ります! 今回は昭和プロレス研究家の小泉悦次さんによる「ディック・ザ・ブル&クラ・リソワスキー金網逃亡事件」
■負けることに慣れた組織……国際プロレス崩壊直前を私は見た
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今回は日本暴動史の中で有名!な割には目撃証言が少ない「ディック・ザ・ブル&クラ・リソワスキー(以降ブル&クラ)金網逃亡事件」です。
1972年11月といえば、すでに猪木はなく馬場も独立して全日本を旗揚げしたため、老舗日本プロレスは国内男子4団体中最弱の存在でした。猪木新日本はテレビと有名外人レスラーがなく、興行上の苦戦に喘いでおりました。馬場全日本は強力外人勢とテレビ放映を持って順風満帆に旗揚げしたように言われておりますが、営業力に乏しく思ったほど切符が売れていませんでした。
そんな中、日本プロレス史瞬間最大風速的な状況として、国プロが国内最大メジャーだったのではないかと思われる時期でもあります。テレビに関しては、放映局のTBSがちょっと冷たくなっていて日曜夜6時25分から55分までの「お子様ランチ」タイム、視聴率は出にくかったと思います。しかし、日本側の層の厚さ、AWAからの有名外人と、14年間の存続期間中、もっとも充実していた時期です。
そんな勢いの中国プロは、アメリカでは「チケットに名前が印刷された段階で満員は約束されている」ブルーザーとその盟友クラッシャーをコンビで呼ぶというクリーンヒットをかましました。
この日は月曜日でした。前日のテレビで流れたのは岡山での前哨戦、ストロング小林&グレート草津対ブル&クラです。
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