プロレスラーの壮絶な生き様を語るコラムが大好評! 元『週刊ゴング』編集長小佐野景浩の「プロレス歴史発見」――。今回のテーマは全日本プロレスを支えたレフェリーたち……ジョー樋口、和田京平氏になります。イラストレーター・アカツキ@buchosenさんによる昭和プロレスあるある4コマ漫画「味のプロレス」出張版付きでお届けします!
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――今回は全日本プロレスを縁の下から支えたレフェリー、ジョー樋口さんや和田京平さんのお話をうかがいたいと思います。
小佐野 私がレフェリーという役割の凄さに気づいたのは、ジョーさんたちのレフェリングなんですよ。というのは、リングサイドで試合の写真を撮ったりするときに、あの2人は絶対に邪魔にならない。カメラマンの邪魔をしないレフェリングをするんですよ、ジョーさんたちは。
――それはリング外にも気を遣ってるということですか。
小佐野 私は高校時代、新日本プロレスのファンクラブをやっていて。リングサイドで試合写真を撮ることができたんです(笑)。
――高校生がリングサイド撮影できるなんて、いい時代だったんですね。
小佐野 山本小鉄さんが特別レフェリーをやると、まあ写真が撮りづらい(苦笑)。それはレフェリーの自分が一番見やすいポジションに立ってしまうから。たとえば4の字固めで選手が横たわってる真ん前にレフェリーが立つと、絵にならないじゃないですか。
――後ろに立ってくれないと絶好の写真は撮れないですね。
小佐野 コブラツイストのときに横から「ギブアップ?」と聞いてくれればカメラマンの邪魔にならないけど、レフェリーが前に立たれたらレスラーが隠れてしまう。それは小鉄さんのレフェリングがヘタだという意味じゃなくて、小鉄さんにはレフェリーは一番見やすいポジションで確認するものだという意識があったわけですね。
――ジョーさんや京平さんはカメラマンが写真を撮りやすいように動いてくれるんですね。
小佐野 ジョーさんや京平さんはカメラマンの前を横切るときに、さりげなく飛び越えてくれましたからね。
――そこまで気を遣う!(笑)。
小佐野 それにレフェリングしていても絶対に後ろを見ない。ロープまでの距離が身体でわかってるんですね。そしてリングって思ったより狭いので、ロープ際でカウントを取るときにレフェリーの足がロープの外に飛び出てくるときもあるから、気をつけていないとカメラを蹴り飛ばされちゃう。でも、ジョーさんや京平さんは絶対に足が出てこないんですよ。
――距離感がわかってるからこその神業なんですね。
小佐野 日本のプロレスのレフェリングの基本を作ったのはジョーさん。なにしろジョーさんはNWAの公認レフェリーですからね。セントルイスのキール・オーデトリアムのNWA世界戦を裁ける日本人だったわけで。所作がキビキビしてて、いかにも「審判!」という威厳のある動きだったから。京平さんがそのジョーさんから学んで、京平さんからいまのレフェリーがみんな学んでる。NOAHの西永レフェリー、新日本のレッドシューズ海野レフェリーにしてもジョーさんの系統ですよ。WAR時代の海野ちゃんは、天龍さんがパワーボムをやるときは絶対にカメラマンの邪魔にならない。
――パワーボムは天龍さんの最大の見せ場ですもんね。
小佐野 海野ちゃんはカメラのファインダーからスッと消えるんですよ。あれは凄い技術。女子のレフェリーでいえば、トミー蘭のレフェリングは京平さん系列なんじゃないかな。あと村山大値さんも京平さん系。だからなのか、海野ちゃんと村山さんはレフェリングが似ていますね。絞め技でギブアップを聞く仕草がそっくり。あの2人の聞き方を見たファンは「あ、ここで極まってしまうのか?」と思えるんですよね。
――そこもレフェリーの技術なんですね。
小佐野 昔のUWFのシュートサインじゃないですけど、レフェリーの仕草や表情でファンは興奮できるわけだからね。
――昭和の新日本のレフェリーはどんな印象がありました?
小佐野 レスラー出身のレフェリーって感じですよね。ポイントはわかってるという。ミスター高橋さんがいて、特別試合は小鉄さんが裁いて。猪木vsゴッチはルー・テーズ、猪木vsテーズはアントニオ・ロッカがレフェリーやったりして。そういえば、猪木さんとモンスターマンの再戦って福岡でやったんですけど、鈴木正文さんがレフェリーで。あの人は京都の空手家なんだけど、モンスターマンが戦意喪失して首を横に振って試合続行を嫌がってるんだけど、無理矢理やらせてましたからね(笑)。
――ハハハハハハハハハハ!
小佐野 モンスターマンが泣きそうになってるのに最後までやらせたという(笑)。「ここでギブアップさせるよりも豪快にやられろ!」ということなんでしょうけど、そういうときの猪木さんって容赦ないじゃないですか。
――鬼ですよね(笑)。新日本でいえばタイガー服部さんは、動きのあるレフェリーだったと思うんですけど。
小佐野 服部さんはレスリング出身で、動きがいいダイナミックなレフェリングだったんですが、カメラマンとしては動かれすぎて逆に困った(笑)。こっちも服部さんのクセを把握してくるから、「ここで動く!」と思ったらその前にシャッターを押しちゃう。
――そこまで計算しないとカメラマンはできない。カメラマン講座になってきた(笑)。
小佐野 あの服部さんのレフェリングを長州さんが欲しがったんだよね。ジャパンプロレスが解散したときに服部さんは全日本に残るという選択肢もあったはずなんだけど、長州さんとともに新日本にUターンしたんですよ。アマレス上がりで気心が知れてるところもあるんだろうけど。
――長州さんは服部さんのことを新日本のメインレフェリーに押し上げましたし、レスラーにとって「担当レフェリー」というのはいるってことですね。
小佐野 天龍さんや川田は絶対に京平さんだった。全日本にジャパンプロレスがいた頃は、メインは服部さんが裁いていて、ジョーさんは外国人の試合中心。ジャパンがいなくなって天龍革命が始まって以降は、日本人同士の試合は京平さんになった。それはジョーさんが高齢になったこともあるんだけど、天龍さんが京平さんだったら任せられると思ったからでしょう。
――天龍さんたちから信頼されてんですね。
小佐野 京平さんが言っていたのは「天龍さんが指名してくれたのは、自分が天龍さんのことをストップできたから」と。要はやりすぎちゃったときに京平さんは身を挺してストップできる。たぶん川田もそういうことだったと思う。京平さんいわく「選手の代わりに自分がギブアップしてあげる」ということなんですけど。
――猪木さんは誰か信頼してるレフェリーはいたんですかね。
小佐野 猪木さんって誰を信頼してたのかなあ……。とくにいなかったのかもしれない。
――誰も信用をしてなかった。猪木さんらしいですけど(笑)。
小佐野 猪木さんはすべて自分でクリエイトできるから、極端なことをいえば、ギブアップか3カウントを取ってくれればいい。「あとは俺が勝手にやるから!」って感じだよね。
――そもそも猪木さんの試合もレフェリングが難しいですね。大一番ほど、一寸先はハプニングで何を仕掛けてくるかわからない(笑)。
小佐野 難しい。ホントに難しいと思う(笑)。ハルク・ホーガン戦の失神事件のときだって高橋さんは頭を抱えたと思うよ。副社長という立場の坂口(征二)さんだってリングサイドってドタバタしてたしね。
――あのとき猪木さんに呆れた坂口さんは「人間不信」の書き置きを残してハワイに消えちゃうわけですもんね(笑)。たしかに猪木さんの試合はレフェリーは関係ないといえば関係ないかもなあ。
小佐野 馬場さんもそうだった。ジョーさんには絶大な信頼を寄せていたけど、ジューさんじゃなきゃダメってわけでもないし。
――天才はレフェリーを必要としないというか。猪木さんってレフェリーをやっても面白かったですよね(笑)。
小佐野 上田(馬之助)さんとタイガー・ジェット・シンの一騎打ちで、レフェリーの猪木さんが2人にストンピングの雨を降らしてね。わけが分からなくて面白かったけど(笑)。
――ハハハハハハハハハハ! ジェット・シンと越中詩郎の試合でもレフェリーの猪木さんが一番目立っちゃうし。
小佐野 東京ベイNKホール、平成維震軍の旗揚げ戦ね(笑)。
――グレート・ムタvs小川直也の特別レフェリーのときも、ボディチェックのときにムタに毒霧を吐かれて。闘魂ビンタをお返しして試合開始のゴングを要請したまま消えましたからね(笑)。あの動きはカッコ良かったなあ。
小佐野 まあ猪木さんの場合は極端だけど(笑)、試合の盛り上げと言ったら変だけど、そこはレフェリーのさじ加減の部分もあるじゃないですか。カウントの取り方、注意の仕方。そこは京平さんは素晴らしかった。86年2月に全日本が初めて台湾遠征したんだけど、台湾の人たちはプロレスのルールがわからない。そういうときの京平さんのレフェリングは凄くわかりやすい。「首を絞めちゃダメ! ワン、ツー、スリー!!」ってアクションで示してくれる。ただカウントを取るだけじゃなくて、首を絞められる仕草も交えながらね。
――いまのプロレスって昔に比べてルールが曖昧になってますよね。
小佐野 京平さんなんかはタッグマッチのタッチにメチャクチャうるさい。いまはトップロープとセカンドロープの間から手を出してタッチしようとするでしょ。京平さんはちゃんとエプロンにいてトップロープ越しからのタッチじゃないと認めないし、フォールだって跳ねなきゃ容赦なくワンツースリーを叩く。かつて高野俊二がきちんと返せなくて、試合後に京平さんにもの凄く抗議したんです。「なんでこんなところで入れるんだ?」って。
――「試合はここからなのに!」という。
小佐野 でも、ちゃんと返さないと京平さんは3カウントを入れちゃうんですよ。「返さないおまえが悪いんだよ」って。京平さんはたとえば相手を踏んづけてのフォールは認めない。フォールというのはいわゆる押さえ込み。足を置いただけではフォールではないってことですよね。
――それくらい厳しかったからレスラーはもちろん、見る側にも緊張感があったわけですね。
小佐野 だから昔は急所攻撃の現行犯は即反則負けだったんですよ。
――そうなんですよね!(笑)。
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