「ボクちんたち以外の誰かがボクちんたちの価値を認めてくれないとイヤなんでちゅ!」との不安から恐慌状態に陥り、「他者」を崇拝するカルトに帰依し、入信を拒む者をデマを流して貶め続けている皆さん、お心は安静でしょうか。
前回に引き続き、そんな人たちのお友だちについてご紹介したいと思います。
そんなわけで、初めての方は前回記事の方から読んでいただくことを強く推奨します。
では、そういうことで。
* * *
ニューゲンロンデンパV3
みんなのマウントシアイ新学期
EPILOGUE みんなのマウントシアイ修了式
???「それは違うぞ!!」
――黙り込んでしまった軽一に代わり、声を上げたのは超高校級のサブカルロボット・サーブ。
サーブ「ボクは今まで、ずっと“内なる声の導き”に従ってきました。その自分の今までの行いが間違っているとは、どうしても思えません。サブカルの全てがフィクションだとは、信じられません!」
サブクマ「でも、リベラルの後退と共に“サブカルしぐさ”さえもがおわコン化しつつある……というのは事実じゃないかなあ?」
サーブ「そ……そんな……サブカルのスタイルまでも否定しようと言うんですか!?」
苅須田「サブカルとリベラルはもちろん、イコールではないヨ。でもやはり、70年代サブカルチャーの流れを汲んでいたために、思想性をそれなりに強く受け継いでいたのサ。しかしそうした価値観は、台頭してきたオタク文化と齟齬を生じ始めた――本書ではサブカルとオタクの関係性については極めて饒舌だけど、サブカルと70年代サブカルチャーの関係性については全く言及がない。それは逆説的に、優光がその影響下にどっぷりと浴しているがため、そんな自分に無自覚であることの何よりの証明であるという気が、ぼくにはしたけどネ」
大多子「トランプ騒動の時の町山の馬脚は、『愛國戰隊大日本』騒動のリプレイと言えるよね。町山(ほとんどのメディアもそうだったけど)はトランプの当選の可能性から目を逸らし、妄想の世界に逃亡し、そしてトランプ批判のためにオタクをサンドバッグにする醜態すら見せた*1……」
サブクマ「ぶひゃひゃひゃひゃひゃ! わかりやすく最低な男ですなあ!!」
サーブ「そんなことはありません! そ……そうだ! あなたたちの発言にも大きな誤りがありますよ!」
大多子「へえ、どこに?」
サーブ「さっきからあなた方はサブカルがオタクを叩き続けて来たかのように語っていますが、それこそが嘘です!」
サブクマ「ま……町山がオタクを叩いている箇所を今、指摘されたというのに……?」
サーブ「そんなものはなかったって、本書にちゃんと書いてあるんですから。三章の『サブカルのオタクいじめはあった?』と題される節がそうです!!」
大多子「そう、書いてあるからこそ、サブカルのオタクいじめがあったと確信せざるを得ないんだよね」
サーブ「そんなバカな!!」
大多子「ここでは(たった)二つ(だけ)の伝聞が挙げられているけれど、一件目のオタクをいじめた人物はマニアックな映画を好んでいたわけでもないので、彼の基準ではサブカルではない、二件目はオタクの内輪揉めだろうとの指摘がなされているよ」
サーブ「そうです! 二件目はどう見ても、『エヴァ』マニアが『エヴァ』以外のアニメを好むオタクをいじめたという内ゲバにしか思えません!」
大多子「優光は以下のように言っているよね。
他の人から聞いた話は「自分もアニメや漫画好きなくせに『俺はサブカルでオタクでない』といってオタク差別から逃げ、一緒になってバカにしてきた」といった内容でした。(82p)
これ、優光自身のことのようにしか思えないんだけど……何しろ彼は本書の中で、宮崎事件の時期は不当におたく呼ばわりされたと憤っていたのに(47p)、オタクが市民権を得た現在では自分はオタクだと感じているなどと言っているんだから(11p)。挙げ句、彼はこんなことも言っているわ」
これは「自称・サブカルのイヤなオタクが、世間側にいるふりを装って他のオタクを攻撃してきた」という中森明夫に似た案件なのではないでしょうか?(83p)
サブクマ「サブカルを免責するために全てをオタクのせいにしている、という感想しか抱けませんなあ。そもそもこの人のサブカル定義が恣意的なモノなワケだし」
苅須田「アニメ好きなサブカルも大勢いる、と優光自身が言っているわけだから、この人物をサブカルでないと言うのはいささか恣意的だネ。サブカルは“スタイル”であるとの説を採るなら、他人(ことにオタク)を見下す傲慢な、“意識高いオタク”こそがサブカルであるとの定義も可能なように思うヨ、優光が『サブカルはリベラル』と主張しているようにネ」
サーブ「それは違うぞ!! サブカルとオタクの争いは、岡田斗司夫が捏造したモノなんです!! それは二章の『中森明夫と宮崎勤の“罪と罰”』で詳述されています!!」
苅須田「当人の二、三の見聞と主観とで全てが成り立っている本書の中で、唯一資料性のある箇所だネ。“オタク”という言葉そのものが、中森明夫が『漫画ブリッコ』という当時のオタク雑誌のコラムの中で差別的意図を持って作り出したモノだ、ということは有名だけど、本書ではその連載コラムの主旨が簡潔にまとめられているんだヨ」
サーブ「そうです。そして中森明夫はサブカルという言葉を初めて使い、サブカルを自称した人だけど、本当のサブカルではないから、サブカルに責任はないんですよ」
大多子「お……おう……」
サブクマ「アッ、ハイ」
苅須田「町山智浩や竹熊健太郎が『サブカルのオタク叩きはなかった』と主張しながら、同時に中森のオタクヘイト発言を持ち出していた(自分の主張を自分で否定して、しかしそのことに気づいていない)ことは兵頭が指摘していたネ*2」
サブクマ「ありゃ、メチャクチャでしたな……」
苅須田「優光が兵頭の記事を読んだかは極めて疑わしいけど、時期的に見ても、それに対して言い訳するために大慌てで『中森は実はサブカルじゃなかったんだ』と尻尾切りをした……ように、ぼくには見えてしまうネ」
サーブ「そんなことはありません! 優光の中森評は、音楽についても若者描写も完全に外している人物、となっています。弁明のためではなく、純粋に中森をサブカルだと認めてないんですよ!」
大多子「いや……そりゃそうなんだろうけどね……」
苅須田「本書を見ても、サブカルが何かはわからない一方、実に熱心に『あいつはサブカルじゃない、こいつもサブカルじゃない』と文化人の非サブカル認定にばかり必死だよネ。これじゃ都合の悪い者を切り捨ててると言われても、仕方ないんじゃないかナ?」
サーブ「それは違うぞ!! サブカルとオタクの争いは、岡田斗司夫の意図的な分断工作なんです!!」
大多子「そう、本書の醜悪なところはそうやって中森の責を、実に卑劣にミスリードして岡田の責であるとねじ曲げているところね」
サーブ「ねじ曲げているですって?」
大多子「以下を見て」
中森明夫が「おたく」という言葉に悪質な意味合いを込めて流通させ、さらに後にサブカルと名乗ったばかりに「サブカルがオタクを攻撃した!」というイメージができてしまい、「関係のない現代のサブカルが未だにその罪に問われるのは本当に迷惑な話です。
(中略)
オタクの友達が言ってましたが、「住民が放棄して廃墟と化していたサブカル村に新しい住民がやってきて生活しだしたら、旧住民に村を焼き討ちされたオタク村の人がやってきて、勘違いしたまま関係ない新住民に襲撃をかけているような状況」ですよ。(59p)
サブクマ「本当に責任逃れのためなら何でも言う、という印象ですなあ。邪気なく自らサブカル村を住み処にしたと吐露しておきながら、責任はないと言う。そこまで言うなら旧サブカル村と新サブカル村に文化的な関連性がないことを説明するべきだろうにね」
苅須田「兵頭は不完全ながら、サブカル(チャー)とオタク文化の断絶について説明しているけど、彼が説明責任を果たしているとは言い難いネ」
大多子「そして、それならばサブカルを“僭称”し、岡田斗司夫の“誤射”を誘った中森が全ての元凶なのかと思いきや、二人が二大戦犯だ、二人とも許せぬと絶叫する。
呆れたことに、優光は別の章でこんなことを言っているわ。
そういった中、業界内での利権に絡む陣取りゲームのために岡田斗司夫がサブカルとオタクの分断工作を行います。(77p)
利権が絡んでいるだけに中森明夫よりも岡田斗司夫の方がたちが悪いです。(79p)
そして幾度も幾度も執拗に執拗に繰り返されるこの“分断工作”の、“利権”の具体的な実態については、本書の最後までついぞ語られることがない。普通に考えて、単純にサブカル側がコンテンツを生み出せず、商業的な成功を収めることができなかったというだけのことだと思うんだけれど」
サブクマ「『最初におたくを差別した中森が一番悪い』というなら理解できるけど、どうして『岡田が一番悪い』なのかさっぱりわかりませんなあ」
苅須田「ただ、優光を擁護するわけではないけれど、ソースに乏しいのはここに限らず、本書全体の傾向だよネ。何しろ本書の“参考文献”はたった五つしかないんだしサ」
サーブ「お……岡田のせいです! 大体岡田のせいなんです!!」
大多子「サブカルとは全てを岡田のせいにして岡田が握っている(と彼らが夢想する)利権をモノにしようとしている人たち、或いは既にモノにした人たち、といった定義づけも可能かもね」
サーブ「ち……違います! サブカルの定義は町山氏の編集してきたモノを指す言葉で――!!」
大多子「そこまで町山がサブカルの体現者なら、やはりサブカルはオタクへのレイシズムそのものと言えるわね。町山はトランプをdisりたい一心でトランプ支持者は萌えオタだと(根拠なく)わめき散らしていたもの」
サーブ「お……オタクがネトウヨなのは事実でしょう!?」
大多子「確かに事実ね、二、三の見聞で全てを決めることが許されるという優光メソッドを用いるならば。また、本書には『嫌オタク流』を扱った、『中原昌也と高橋ヨシキのオタク叩き』という節があるんだけど、何かと思って読んでみれば『二人はアニメ嫌いなだけで大概のサブカルもアニメ好きだから、サブカルもまたあの叩きの対象(被害者)の範疇に入る(大意)』というわけのわからないロジックを展開するのみ」
サブクマ「ぶひゃひゃひゃひゃひゃひゃ! みっともない言い訳もここに極まれりですなあ! あれだけ町山と関係が深い中原と高橋のやることを免責するとは!!」
苅須田「トランプ絡みの件、中原と高橋の件、いずれも兵頭が指摘しているネ*3。もちろんこれも偶然だと思うけど、優光が必死で言い訳本を執筆した直後、またしても町山が馬脚を顕し、兵頭のツッコミを受けた……タイミング的に、そう見えてしまうヨ」
サーブ「み……みなさんはそこまでサブカルを貶めて、何がしたいんです!? サブカル差別として、しかるべきところに訴えますよ!!」
大多子「さ……サブカル側がオタクを貶めたことについてはスルーなんだ……?」
サーブ「ボクの“内なる声”が囁くんです。サブカルはオタク文化よりも優れていると……何しろ岡田はロックの素養がないんですから!」
大多子「あのさあ……あなたの言うその“内なる声”って、誰の声だと思う?」
サーブ「え? それは……つまり……」
サブクマ「はぁ~~い、ここでネタバレ!! 超高校級のサブカルロボット・サーブくんの聞いていた“内なる声”、それは“外の人の声”でしたあ!!」
サーブ「え? え……?」
大多子「前回挙げた優光の岡田あーみん評をもう一度見てみようか?」
サブカルというのは圧倒的な異端にあこがれ、それを消費するのだけど、自分自身は決してその領域に踏み込めない存在なのだから。(138p)
サーブ「そ……それが何か?」
サブクマ「その、反吐の出るような薄汚い性根がサブカルの本質ってことだよ!」
サーブ「そ……そんな非道い……」
サブクマ「非道いのは優光の方だよ! 自分は安全地帯にいながら、“外の人”に価値を求める! “内なる声”だと思い込んでいたのは実は外から入って来た、外の価値観だったというオチなんですな!」
苅須田「なるほど……『サブカルはなかった』というのは、サブカルが“他者志向”である、ということだネ。それがフェミニズムやセクシャルマイノリティの解放運動、人種問題など、常に“中央に対し、排斥された周縁の者をカウンターとしてぶつける”という左派の人権思想に近いこと、そしてまた男性の“三人称性”とも合致する、ということは兵頭が指摘しているヨ*4」
サーブ「つ……つまりサブカルは弱者の味方だと言うことです! オタクとは違うんです! 訴えますよ!?」
大多子「そう、そういったスタイルがポリティカルコレクトと親和性が高かったわけよね、弱者に寄り添うワタシたちは正しい人間ですっていう」
サブクマ「でもそれって、宗教家が『神様が言ってるよ』『神様の言う通りだよ』と称しつつ、実のところ自分のエゴを神に代弁させているのといっしょだよね?」
サーブ「そ……そんなことは……!!」
大多子「他者指向なサブカルは、自らの内面のニーズに忠実なオタク文化とは、ベクトルが真逆だった……最初から、食いあわせが悪かったのよ」
サーブ「だ……だからサブカルはオタクよりはまだしもリベラルな存在で……」
――と、ずっと沈黙していた軽一が割って入った。
軽一「サーブくん、もう止めよう」
サーブ「え……?」
軽一「例えフィクションであっても、僕がサブカルから得た優越感は本物だ。ならば僕は、サブカルを否定するこの裁判を否定する!」
大多子「▂▅▇█▓▒░('ω')░▒▓█▇▅▂うわああああああああ」
サブクマ「反省はゼロですか……」
苅須田「ククク……先の“自らのエゴを神の声だと言い換える”との比喩でもわかる通り、他者指向である限り、人は平然と責任逃れをし続けるんだネ」
ノンストップ議論 開始!
軽一「…………………………」
サーブ「…………………………」
議論スクラム開始
町山君!「サブカルは警官に手加減してもらいつつ暴れる、学生運動家のようなものだったんだよ」
軽一「…………………………」
東君!「彼らがオタクを“オルグ”したがる理由も、今となっては明らかだね」
サーブ「…………………………」
宇野君!「そしてそのためには平然と嘘をつき、糾弾会で政敵を恫喝する……」
軽一「…………………………」
私が!「ホモという“他者”を政治的に利用しようとするサブカル、本当は“腐女子”が憎くてたまらないんでしょうね」
サーブ「…………………………」
サブクマ「どうしたの? 議論しろよ!!」
軽一「僕たちは、この裁判から降りる!」
大多子「だ……ダメだこりゃ……」
サーブ「ボクの武装で、三刈学園を破壊します!!」
GAME OVER
三刈学園の破壊を開始します
大多子「あぁ、何てこと……! でも、まあいいか。これでサブカルという間違ったマウンティングの権化がオタクに噛みついてくることもなくなるでしょ。私、オタク(コンテンツのオリジネータ)として、胸を張っていいよね……」
大多子とサブクマ、ついでに苅須田、爆炎と爆煙の中に消える。
全ては崩壊し、一同は全滅したかに見えたが――。
軽一「けほけほ……だ、大丈夫かい、サーブくん?」
サーブ「はい。軽一クンもご無事で?」
軽一「みんな死んでしまったけど、僕たちだけは生き残ったみたいだね……」
サーブ「はい。そのことには、何か意味があるに違いません! オタクは全滅してしまったけれど、学園の図書室だけは破壊せずに残しておきました!」
軽一「何で図書室なんか残したんすかね」
サーブ「図書室にはオタクコンテンツがアーカイブされていましたから。この資産を利用して、ボクたちがサブカルを再興するためですよ!」
軽一「なるほど。これから頑張ろう!!」
ゲンロンデンパ END
*1「サブカルがまたオタクを攻撃してきた件 ――その2 オタク差別、男性差別許すまじ! でも…?」
*2 「「サブカルvsオタク」の争いは岡田斗司夫が悪いことにしないと、すごく怒られる件」
*3 トランプについては「サブカルがまたオタクを攻撃してきた件 ――その1 トランプを支持するオルタナ右翼とは?)」を参照。中原師匠と高橋師匠の件は*2を参照のこと。
ちなみに町山師匠の「オルタナ右翼=アニオタ」発言は8月25日、本書の出版が11月2日。件の発言を扱う余裕はあるだろうし、扱うべきだと思うのですが、まあ、弁護しようがなかったのかも知れません。
*4 「他者指向云々」については*1を参照。「三人称性」については著書に書きました。
>『エヴァ』マニアが『エヴァ』以外のアニメを好むオタクをいじめたという内ゲバにしか思えません!
>他の人から聞いた話は「自分もアニメや漫画好きなくせに『俺はサブカルでオタクでない』といってオタク差別から逃げ、一緒になってバカにしてきた」といった内容でした。(82p)
>これは「自称・サブカルのイヤなオタクが、世間側にいるふりを装って他のオタクを攻撃してきた」という中森明夫に似た案件なのではないでしょうか?(83p)
>アニメ好きなサブカルも大勢いる、と優光自身が言っているわけだから、この人物をサブカルでないと言うのはいささか恣意的だネ。サブカルは“スタイル”であるとの説を採るなら、他人(ことにオタク)を見下す傲慢な、“意識高いオタク”こそがサブカルであるとの定義も可能なように思うヨ、優光が『サブカルはリベラル』と主張しているようにネ
当時オタクを見下す多くのサブカルがエヴァを持ち上げながら、エヴァ以外のアニメを貶めて悦に浸っていたので兵頭さんの定義は間違いないでしょう。
私がエヴァをあまり好きになれない理由はサブカル共がやたらと持ち上げるからなんですよね。後、高橋良輔や押井守、今敏、大友克洋辺りもサブカルの顔がチラついて好きになれません。
オタクの教祖と呼ばれた岡田斗司夫も今となっては過去の人というイメージですね。岡田さんも若いオタク世代とのジェネレーションギャップを感じているようで、日本オタク大賞では2007年以降ずっと不参加を貫いています。今のオタク文化は完全に岡田さんの手から独立した文化といえるでしょう。
>大多子「サブカルとは全てを岡田のせいにして岡田が握っている(と彼らが夢想する)利権をモノにしようとしている人たち、或いは既にモノにした人たち、といった定義づけも可能かもね」
>サーブ「図書室にはオタクコンテンツがアーカイブされていましたから。この資産を利用して、ボクたちがサブカルを再興するためですよ!」
軽一「なるほど。これから頑張ろう!!」
今のサブカル陣営の動きはホントにこんな感じですよねwww
岡田さんの手柄を全て横取りした上、それだけでは飽き足らず、岡田さんをスケープゴートにし、自分たちだけは安全地帯へ逃げ延びようと画策する悪の秘密結社がサブカルですからwww
我々のオタク文化をサブカルと併合したくて堪らないのでしょうが、然うは問屋が卸さないですよ。
岡田さんはあまり今のオタク文化に愛着がある訳ではなさそうですが、私や兵頭さんのような真のオタクがサブカルの魔の手からオタク文化を守らなければなりません。
幸いなことに今のオタク文化にはサブカルが毛嫌いするようなアンチフェミ作品が数多く存在しています。
その一つが漫画版『魔法つかいプリキュア』です。この作品は『なかよし』で連載されている女児向けにも関わらず、アンチフェミのイデオロギーが色濃く反映された名作です。
魔法つかいプリキュアの漫画版はアニメの内容には沿っておらず、完全オリジナルストーリーで物語が進行していくのですが、最終巻のラストエピソードでみらいとリコとはーちゃんとモフルンの3人と一匹は妖精の里に家族旅行に出かけます。
漫画版ではみらいとリコの2人はもう完全に百合で、はーちゃんは2人の子供的ポジション、モフルンはペットみたいな感じです。
彼女らは『家族』の絆を深めるため妖精の里へと赴くと、何やら川の中から大きな桃がどんぶらこと流れてくるのを発見!!!
みらいは大きな桃を捕まえると、魔法で一刀両断します。すると、中から可愛い妖精の赤ちゃんが生まれました。
みらいとリコは二人目の赤ちゃんを授かったと大喜び。はーちゃんも妹が出来たと大はしゃぎ。
妖精の赤ちゃんは「ぴーぴー」と泣くので『ピーちゃん』と命名されます(素晴らしいネーミングセンスwww)。
ピーちゃんは一瞬にして、みらいやリコたちと同じくらいの少女へと成長していきます。
旅の仲間にピーちゃんが加わって益々楽しく盛り上がる一行。すると、ピーちゃんは旅の途中でリンゴの木を発見し、みんなでリンゴを食べようと提案します。
リコとはーちゃんとモフルンが美味しそうにリンゴを食べるのを見て、みらいもリンゴを食べようとしますが、気づいたらリンゴは全てなくなっていました。
リンゴを食べてから、しばらくするとリコとはーちゃんとモフルンに異変が生じます。
はーちゃんは突然イケメンたちに夢中になり、恋愛を謳歌し始めます(大きなお友達の発狂する声が聞こえてきますwww)。
恋に夢中で言うことを聞かなくなったはーちゃんに驚愕したみらいはリコに相談しますが、リコは「はーちゃんだって、いつかは恋をして親のもとから離れていくのよ」とみらいを冷たく突き放します。それどころか、リコは「子供が巣立ったら自分の好きなことが思いきり楽しめるわ」とみらいのもとから去っていくのです……。
可愛かったモフルンも本物の熊の如く凶暴化し、野生へと帰っていきました。
独りぼっちになっても『家族』の絆を信じ続けるみらいに対してピーちゃんは「そんなに家族を信用しちゃっていいのかな〜。みんなこのまま戻ってこないよ、きっと」と絶望的な言葉を残して、どこかへ去っていきます。
そこへ魔法学校の校長が現れて、みらいの『家族』をバラバラにした真犯人はピーちゃんであったことを語ります。ピーちゃんは幸せな家族を見つけては赤ちゃんに化けて近づきイタズラをしかける常習犯で、犯行の動機は誰からも望まれずに不幸な誕生をしたがために『家族』というものへの憎悪が彼女を悪い妖精へと変貌させたのでした。
みらいは『家族』を取り戻すため、リンゴの幻惑作用の解毒薬を求めて旅立ちます。
紆余曲折を経て解毒薬を手に入れたみらいは薬を飲ませようとリコとはーちゃんとモフルンに立ち向かっていきますが、拒絶されてしまいます……。
そんなみらいを見て、ピーちゃんは「家族ごっこはもう――お・し・ま・い!」と嘲笑しますが、それでも彼女は諦めず、「ごっこなんかじゃないっ‼︎ この広い世界で出会えた大切な大切な家族なの‼︎」と家族を守るため全員になんと口移しで薬を飲ませたのでした。
――リコ……! 大丈夫だから。
そのまま……そのままじっとしてて。
リコ……みんなでいっぱい笑ったこと思い出させてあげるよ。
こうして、かけがえのない『家族』を取り戻したみらいたちにピーちゃんはこう言います。
――フン! 血は繋がってないし、種族もバラバラ。しかもママが二人とか、こんな不思議な家族見たことないわ。……なのにさ、どの家族よりも幸せそうに笑ってるし……イラっときちゃって……壊してやりたかった……。
もう薄々気づいていらっしゃると思いますが、ピーちゃんは『フェミニスト』のメタファーです。
そして、今この国はピーちゃんによって滅ぼされようとしています。
ですが、それでも私はピーちゃんのことを100%嫌いになることが出来ません。何故なら、ピーちゃんは『非リア』のメタファーとも思えるからです。
私の心の中にもピーちゃんが存在しています。
『リア充爆発しろ!!!』『金持ち死ね!!!』『俺の前でイチャイチャするな!!!』とリア充を憎悪する毎日を送っている私たちはピーちゃんそのものです。ピーちゃんは全ての非リアの普遍的無意識が生み出したリア充を殲滅するための死神です。
漫画版のラストでみらいたちはプリキュアに変身し、ピーちゃんを優しく包み込んで救いましたが、私たちの世界には残念ながらプリキュアは存在しません……。
負け犬チンポ騎士は未だにフェミ様をプリキュアだと信じきっているみたいで、彼らは自分がピーちゃんの支配下に置かれていることに永遠に気づけないままでいる。いや、ホントは気づいているけれど気づきたくないだけかもしれませんwww
私は今日もそんな現実から逃避するためプリキュアに救いを乞いながら、独りぼっちの夜を兵頭さんのブログを読んで過ごすのです(^^)
>当時オタクを見下す多くのサブカルがエヴァを持ち上げながら、エヴァ以外のアニメを貶めて悦に浸っていたので兵頭さんの定義は間違いないでしょう。
ぼくの周囲にもそういう人がいました。
そうした人は何故だか「オタクとサブカルの争いはなかった。いや、オタクが一方的にケンカを売ってきたのだ」と断言するのですが。
不思議ですね。
>今のオタク文化は完全に岡田さんの手から独立した文化といえるでしょう。
そう、だからオタク的な人ほど、実はサブカルなんてものは眼中にすら入っていない。
本当に「サブカルvsオタクの争い」というのは徹頭徹尾、「サブカルが岡田氏を頭に描いてマスターベーションしている様」そのものですね。
>岡田さんの手柄を全て横取りした上、それだけでは飽き足らず、岡田さんをスケープゴートにし、自分たちだけは安全地帯へ逃げ延びようと画策する悪の秘密結社がサブカルですからwww
本当、それです。
「この世のオタク文化は全て岡田が作り上げたのだ」という途方もない過大評価をしている岡田信者、それがサブカルです。
ぼくも岡田氏の業績はそれなりに評価しているのですが、彼らの信心にはとてもとてもかないません。
プリキュアの話は面白いですね。
いつだったか、アニメでも「ケーキを独り占めできたら得じゃん」という敵にプリキュアが「そうじゃない、分けあって食べたら美味しさが何倍にもなって、そっちの方が得なんだ」と説く話がありました。うろ覚えですが、『ドキプリ』の敵の女の子との対話かなあ。
もっと言うと『おジャ魔女』で赤ん坊を育てる話が既に「反動的」とインネンをつけられていましたし(これはあくまで、ネットで市井のフェミが、ということですが)。
悪の女性原理と正義の女性原理の対決を描こうとすれば、それは自ずとフェミニズム批判になる。
その意味でやはり「萌え」とはフェミニズム批判そのものです。
一体全体、どうしてリベラル君たちがフェミニスト様が萌えをお許しになると考えるのか、ぼくにはさっぱりわかりませんが、ともあれ萌えを推進すればフェミを倒すことは可能なわけですw
2回に亘ってお送りされているゲンロンデンパのサブカルとオタクについて関連するかどうかはわかりませんが、昨今私的に思ったことをひとつ。娯楽作品内での男女の立ち回りを性差によらない、ないしは性的役割分担を除外したコンテンツってここ数十年で色々と増えてきたと思います。ところがそういった作品が増えてきた事由をフェミニズムなり、ジェンダーフリーやらポリコレに求めると奇妙な結果というか現実も浮かび上がってくる。
サブカルに分類される人々がそうかは私にはわかりませんが、戦闘美少女なり「萌え」なりの顧客層を男性が占めてくると今度は「オタクこそが誰よりもミソジニー、男尊女卑の保守反動である!」という言説が浮上してくるのであります、「アニオタはネトウヨ!」という珍説も同様に。
これってこの際はフェミでもサブカルでも呼び方は兎も角、そういった方々が肝心のお客になる相手として女性を取り込められなかった、即ち正義の女性原理には逆らいきれなかった証左なのではないでしょうか?だからこそ、「オタクはオナニーしながら死んで、どうぞ」と余裕綽々だった上野シショーの様な存在も慌てふためいて掌クルーせざるを得なかった。
もっと言えば、フェミニズムは「女性であることに軸足を置いている癖に、それから離れることが強みになると宣伝し続ける」という、側から見れば極めて虫の良すぎる不誠実に感じられるという、予め自家撞着に陥る運命だった。だから、リベフェミとかまなざし村などと上辺だけ繕ってその場限りの誤魔化しを続けていても本性が露呈することは避けられない。
例として、今年始めに吉高由里子さん主演でドラマ化した「東京タラレバ娘」を「結婚こそが女の幸せと扇動するミソジニーのプロパガンダ」とか吉田沙保里さんの婚活を「霊長類最強女子を『女の子』という呪縛から解放しろ!」と宣った駒崎教育長をご覧ください。彼らの様な存在には「女性が自分から『女性らしさ』を選択している」という主体性を「男社会の洗脳」としか受け取れないのです。
しかしながら「では、あなた達が独自に構築できる『女性像』って何ですか?」と伺うと、以前は「男性の役割を行う女性」として戦闘美少女は「萌え」に組み込まれて男性が主要な客層を占めてしまった。かといって、これ以上個人の趣味でしかないオタクを悪者にして都合の良い立場を振り回すことはできない。
すると彼ら彼女らは前述した様に必然的に旧来の女性原理に回帰されている現実を受け入れるしかないのです。
無論、そこには「仕事したくないから専業主婦がいい」とか逆手にとって都合の良いことを宣う女性も増えてきているのですがね…
すいません、ちょっと今回の記事とは符合しないかもしれないことを述べましたorz
「フェミを理解しているボクは女の子にモテるはずだ」と信じきっていたが、いつまで経ってもモテる気配のないリベラル君が、やむなくオタクに媚び出したという状況ですね。
>もっと言えば、フェミニズムは「女性であることに軸足を置いている癖に、それから離れることが強みになると宣伝し続ける」という、側から見れば極めて虫の良すぎる不誠実に感じられるという、予め自家撞着に陥る運命だった。
そうそう、リベラル君はその彼女らのダブルスタンダードが全く理解できず、彼女らを「勇ましい女傑」だと信じきっていますが、何だかお互いが可哀想で見ていられませんw
>すると彼ら彼女らは前述した様に必然的に旧来の女性原理に回帰されている現実を受け入れるしかないのです。
リベラル君が崇拝してやまないピル神も「バッドフェミニスト」を賞揚(少なくとも弁護)していました。
おっぱい募金を(意味不明な根拠で)全否定していたことも言わずもがなですが、彼らがそれを見て考えをあらためた様子もありません。
あの人たちには「論理的整合性」というものは1ナノミリグラムほどもありませんね。