「日本人は恋愛・性生活に「極めて不満」 意識調査で31カ国中最下位」(毎日)
フランスに本社を置く世論調査会社イプソスが発表した国際的な意識調査で、日本人の「恋愛や性生活」における満足度は、世界31カ国中最下位。最下位となるのは昨年に続き2度目。日本人は恋愛やパートナーとの関係性について「極めて満たされていない状態であることが明らかになった」としている。
調査は世界31カ国の成人2万4269人を対象にインターネット上で実施された。「恋愛や性生活」「愛されていると感じること」「パートナーや配偶者との関係」の三つの項目について、満足しているかどうかを尋ねた。
その結果、「恋愛や性生活」に満足していると答えた人の割合が、1位のインドとメキシコは76%だったのに対し、日本は37%で最下位だった。「愛されていると感じること」も、1位のコロンビアとペルーが86%だったのに対し、日本は51%にとどまり最も
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<愛されていると感じる事>を取り上げたい。
G7を中心とした先進国で見ても最下位である。
①「愛している」という言葉を相手に伝える習慣が日本に根付いていない。
ただ、若者たちは「愛している」という直接的表現に飢えている。
②「行動」を見るとき日本は家庭が中心になっていない。会社の仲間とか友人が第一である。妻もクレームを言えない。
都会では変質した社会を垣間見ることができる。日曜日の昼12時から若い女性数人で立ち飲みをしている。よる12時ごろ電車を利用するときがあるが若い女性があふれている。われわれの会社時代にはなかった現象である。若者二人で話し合うという機会が薄れているのか二人で話すことができないのか。非常に不安感が増している社会現象が起きていること確かである。
恋愛とか性について「ああせいこうせい」という資格は私にはないし何かを述べるということもとても憚れることです。
一般論として、しいて言えば、一つは日本人に昔あったような夢が今なくなっていること。もう一つは、日本に男尊女卑が根強く現存し続けていること。
夢ですが、昔あった歌謡曲、二人の夢を合わせれば、みたいな雰囲気が今の日本には全くなくなっているし、後者の「男尊女卑」は深刻です。男系男子が日本の根幹ですから、ますます暗くなるし、男は横着になるのです。
「恋愛やパートナーとの関係性」ということであるが、一概に成人と言っても、年齢の幅が広い点は考慮されているのかどうか?
恋愛はともかく、パートナーとの関係は年齢とともに変化するのではなかろうか?従って、パートナー、夫婦関係は長続きしていればいるほど、同志的、“戦友“的関係に変化するのではないか、と思われるが、どうだろうか?
夫婦関係においても、年輪を重ねる度に、より精神的な絆が強まるくらいが、私は理想的関係なような気がする。
ただ、では若年層、結婚適齢期の日本人が、恋愛等の点で満たされていない傾向が高いというなら、やはり社会問題的部分があるのではないか、と懸念がある。
非正規労働者の若者達が、恋愛や結婚から後退してしまっているという問題が横たわっているなら、なんとかして解決策を見出だしたいものだ。
恋愛、結婚というパーソナルな事柄も、実際には社会を維持し、再生産するためには不可欠な要素である。そのような身も蓋もない観点だけでなく、生きていく上で、一人より二人ということは大事である。
もっとも、気になることは、日本の場合、他国よりマンガやアニメ、ゲームが発達している分、リアルより疑似的経験の機会が多いということはないだろうか?日本では、コンテンツ産業は有望な成長産業なのだろうが、リアルより隆盛を極めている、なんてことはないのだろうか?
>>4
中庸左派さんのコメント最近よく読ませていただいています。参考にできます。
啓発されて考えると、男性も女性もお互いに自分に自信が持てなくなっているのではないか。お互いに自信が持てないと発言が少なくなり内向的になってしまう。日本人の控えめな傾向が少し外交的になるといいのですが。社会的制約が多すぎるような気がしています。様々な要因が頭の中で去来しています。
あまり焦点のはっきりしない調査だと感じる。31カ国の成人2万4269人ということだと、国別に均等にわりふっていたとして、一国あたり780人くらいということになる。インターネット上の調査ということになると、年齢階級別のわりふりがどうなっているかも気になる。また、日本語(コロンビア語(スペイン語というべきなのかもしれないが現地のニュアンスというものもあるだろう))の「愛されている」(コロンビアで調査につかわれた対応語)の使われ方についての分析も必要ではないか。
なにかを「明らかにする」というのなら、このあたりでも最小限と言ったところだろう。まして一国のなかで年齢階級別になにかを論じるならともかく、国別に順位をつける意味がわからない。
しかしこういう焦点のはっきりしない調査はけっこう目にする。わたしは「ロールシャッハテスト」と呼んでいる。ロールシャッハテストというのは、精神医学でもちいるテストで、意味有りげな図形をみせて、被験者に「なにに見えますか」と聞くのである。なにがわかるかというと、図形が真になんのかたちなのかではなく、被検者の心理傾向、ときには検者のほうが望む結論である。