東條英機は、1942年6月にミッドウェー海戦の敗北を知る前までは、余裕の構えだった。しかしそれが知らされ、しかも全容が海軍によって巧妙に隠されていたということも知るに至ると、急速に周囲に対する不信感を募らせていった。

この頃までに東條は、真珠湾攻撃の成功で約半年間、神格化された中で生きていた。日本のヒーローとして生きていた。今で言えば大谷翔平のような状況か。
いやもっと凄かっただろう。今の大谷翔平でも興味のない日本人は少なからずいるが、当時の東條英機に興味のない日本人は皆無だった。

もちろん、東條を憎んだり嫌ったりする人間もいたが、それは極々少数だ。ほとんどの人間が東條に感謝し、好いていた。だから東條が市中を視察すれば、皆これを一目見ようと束になって押し寄せ、しかも口々に感謝の言葉を浴びせた。東條はこれが気に入って何やかんや理由をつけては頻繁に市中視察へと出かけていたのである。

こう