菅原洋一が亡くなって、そりゃあ故人がシャンソン出身の歌謡歌手として(亡くなるまで現役で、シャンソニエとしてジャンルミュージックに殉じた、生涯バイウエイの歌手だったことは言うまでもないけれども)テレビに毎日のように出演していた頃、それはテレビジョンの黄金期で、僕も毎日のように見狂っていたのでよく覚えているし、紐づけられた記憶がどさーっと山のように引きづり出されるような所はあるのだが、僕は90過ぎた人間というのは、ほとんどが半分は死んでいると思っていて、良くもまあ「人生100年時代」という、楊貴妃不老不死のプロレタリア版みたいな事をメディアは言うよなあと思った。


 

 前にもちょっと書いたが、日本人の平均寿命は、医学の発展&公衆衛生の向上とガッツリ関わっている。戦後の高度成長期に、日本人の平均寿命は50代から80代へと一気にハイジャンプした。少しずつ少しずつと伸びていったのではない。これには「乳幼児の死亡率」という、これぞまさに数のカラクリ、というポイントを抜けば(各自検索)、結核に対する治療法の確立(抗生剤という概念の結実と使用開始)、公害の減衰と一般的な公衆衛生の激的向上(オリンピックに向けて)、更には問答無用の死病とされていたガン治療の発達、等々によって、大ジャンプを果たし、21世紀に入って、全く同じ構造で、60が80へ、そして80が100へ。という形で伸びているのだが、これはつまり、社会風俗、政治経済の預かり知らないところで(国民皆保険の制度化は大きいだろうが、医療法などは後付けであって、何せともかく薬品開発をはじめとした医療テクノロジーの向上が押し上げているのである。



 

 何が言いたいのかというと、我々は環境とテクノロジーによってどんどん長生きさせられているわけで、これは、人間側の要請というか、人間が「誰だって1ヶ月だって長生きしたい」という前提に立たないと実行できない。この件は例の「誰だって反戦であって、好戦者はいない」が前提になるかどうかの話と同一線上にある。社会風俗、政治経済以前に、人間側の多様性と個人の尊厳が失われている。



 

 僕は、もし人間の平均寿命が100になったら、90超えの人々には尊厳死の権利を国が与えるべきだと思う。ゴダールが示したことはこれだ。