1979年8月20日月曜日、池田高校は準決勝第二試合で浪商とぶつかった。

一回戦で、すでに箕島が横浜商を破り決勝進出を果たしていた。3-2という接戦だったが、そこは王者の貫禄勝ちにも思えた。

これで決勝の相手が浪商となれば、春の決勝の再戦でまた盛り上がる。そんな雰囲気の中でゲームはスタートした。

この試合、池田高校監督の蔦文也監督は何を考えていたのか?

正直なところをいえば、「まあ、負けるじゃろう」と思っていた。なにしろ向こうは投打の主軸が超高校級で、これまでの試合でも牛島の起死回生の同点ホームランや香川の三試合連続ホームランなど球史に残る活躍をしていた。

一方の池田はここまでの試合、そこまで劇的な展開はなかった。下した中京や高知も優勝候補の一角とはいえ、箕島、浪商の両校に比べるといかにも粒が小さかった。

そして池田もまた粒が小さかった。さわやかイレブンという旋風を巻き起こした