「絵に描いたような(記憶の改竄)」
記憶の改竄なんて日常的に起こるし、むしろ、改竄されない、厳格な記憶の方が遥かに希少価値を持つと思う。なので、改めてわざわざ、<記憶の改竄>などと言えば、当然、なんか難しい話、例えば、何故記憶は改竄されるのか、とか、そもそも記憶とは何か、とか、「記憶喪失学」というアルバムタイトルを自作に冠している身として、何か、記憶と記憶の改竄に関する構造的な持論でもあるのか、といった流れに行かないと意味がないのではないと思われる。しかし、実際は屁理屈よりも現前の事実の重みでR。
コメント
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頭クラクラ桑原茂一田辺茂一
一々すいません。
愛してます(笑)。
ぼくも最近同じ経験をしています 宮崎駿の映画を見るとほぼほぼ覚えて無くてまるで初めて映画を見たような錯覚に陥ります アンチどころか「宮崎駿信者」側なのにもかかわらず…です
これはおそらく「宮崎駿のアニメーションは凄いけど物語自体は実はたいしたことがない」と無意識のうちに思ってるってことなんでしょうねぇ
>>1
そんな(笑)目眩がするような内容じゃないと思いますけどね(笑)。
>>2
似たような経験だとは思いますが、一部の改竄(思い込み)と、物語を全部忘却するのはステージが違いますね。記憶喪失の範囲内だと思いますが(笑)。
16時から予約したのに、習慣に起因する一時的な記憶の改竄によって手帳の記載を間違えてしまった可能性もありますね笑
エンディングまるごと違うって凄いですね... ! そんな台詞なかった!ていうのはあります。
>>6
結果として○○○だったんですが(笑)
>>7
セリフなんてもうガンガン落ちますね(笑)。でもこの場合、「自分でセリフ作っちゃった」って事ですよね。さすがにそれはないですけどね(笑)。