GWというのはもう終わったのだろうか?何れにせよ僕は、忙しいわ足首リハビリ中でどこにも出かけられないわ、というか、日常動作も制限が出るので、忙しいままに、ついついゴロゴロしていて、飲み食いばかり増えてしまったので(ゴロゴロしてる方が腹が減る=肥満の悪循環)、現状、一番はっきりわかりやすくいうと、僕のルックスは「ロン毛のデブ」である。鏡を見るたびに「わははー!ロン毛のデブがいる!ぶっさー!笑」と指差して笑っている(書くのもうんざりだが、長髪で肥満体の方々を一律差別しているのではない。念の為。これは僕個人の話だ)。
コロナ、少なくともコロナ「禍」は、世界規模で見れば、上海や北京のような極例は除いて(中国が、オリパラの後にロックダウンに出るというのは、本当に中国らしい、派手な話だ)、わが国ではどういう状況なのだろうか?
マスクに関する議論はもう3年ほど続いていると思うのだが、先日、知人が「欧米ではもうマスクを取っている、もし日本が、再々度のインバウンドを欲しいのなら、<日本に遊びに行ったらみんなマスクしていて不穏だった>と思われるのはリスクである。故に日本は<マスクはもうしなくとも良い>とお上が言っても、民は習慣として取らなような気がするので、<マスクはしてはいけない>と、敢えて強制的にマスクを外させないといけない」と言っていて、えらい倒錯的だなあと思ったが、まあそんなもんだろう。知人はSNSとネットニュースばかり見ていて、会うたびに話が変わっている。ロン毛ダブマスクサングラスは強盗にしか見えないので、近所だったら僕はマスクはしていない(因みに、咎められもしていない)。
ウクライナ戦争(まだ正式名称すら決まっていないが)が泥沼化して、少なくとも僕の世代は。とするが、悪い懐かしさに苛まれてる。あれは二次大戦やのやり方だ(ベトナムでもない)、と、僕は侵攻数週間めにここで発言したと思うけれども、ガチでそうなった。僕はシンプルな陰謀論者ではないが、先進国首脳はいま、戦争を「ゆっくり煮込んで」いる。
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『「休憩しましょう」と言って喫煙室に行き、戻ると全員が黙ってスマホを見ているので、今更ながらもう隠居しようと思った笑。』
ただの素人の音楽ファンですが、絵面を思い浮かべて少し物悲しくなりました。「憂鬱と官能を教えた学校」でも、「DTMは素晴らしいが、それはそれとして自分は、ストレスフルで摩擦の多い、共同作業でしか生まれない音楽というものがあり、その喜びと可能性を知ってもらいたいし自分も実践したい(大意)」とおっしゃっていたのを読んで、非常に感銘を受けたので。
いや、たまたまそういう瞬間もあったというだけの話かもしれませんし、そんな深刻には捉えていませんが(いつの時代も様々な現場ごとの様々な可能性が今も生まれているでしょうから)、その共同での創作特有の有意義な摩擦やストレスというのは、LINEや discordのチャット欄に移行して対面の現場同様の豊かさがあるのか、またインターネットネイティブ以前/以後で決定的な断絶が生まれ、もうそういった対面での共同作業特有の有意義さというのは特に重視されなくなっていくのか、またそれは日本だけでなく世界中でそうなのかとか、(コロナ禍と相まって)色々考えてしまいました。
>>1
まあ、その件自体が摩擦ですから笑、隠居しようと思ったのは一瞬のことです(言うまでもありませんが笑)。
こうしたジェネレーションギャップは、ご説の通り、太古からありました。僕の現場は、とはいえ合奏はするので、根本的なギャップにはなりませんが、今「誰もがスマホを」が一番問題視されてるのは映画界です。街の群衆シーンや電車の中のシーン、カフェや飲み屋のシーンが「絵にならないから」ですね。
ここ数年間、この問題をなんとかすり抜ける苦闘を、映画で嫌と言うほど見ました。スマホがない時代の時代設定にするとか、すっとぼけて「こんな、客全員が語り合ってる見せねえよ」というシーンを平然と撮っちゃうとか、街のシーンがあって然るべき作品なのに、部屋の中ばっかり撮ってるとかetc
スマホや、それに先行するガラケー、ウォークマンだけではなく、そもそも文字が、学者や哲学者、宗教者だけでなく、一般市民に「本」と言う形でて着した段階から「自己耽溺」「自己沈潜」は問題視されてきました。エドワードホッパー等がかは、そのことをテーマにした。とも言われています。
イヤホンもヤバイですね。さすがに音楽のリハーサル中にイヤホンしているプレイヤーはいませんが笑、コンビニの客や歩行者の多くがイヤホンをしてます。
桂文枝(元、桂三枝)が、新作落語で、親方が若い衆に説教するシーンで、一人一人に小言を言って行くのですが、何人目かが、何度呼びかけても返事をせず、親方が「ウォークマン外せ!」と言って爆笑を取ったのが今から40年前です。現在はもっとラディカルで、「対面で喋っているのに自己沈潜してる人」も多くなって、コミュ障とか言われますが、摂理だと思いますね笑。
>>2
追伸です。エドワードホッパーはアメリカの画家で、バーや汽車の中を多く描きましたが、そこには自己沈潜が描かれていて、寒々しい効果を美的に昇華しています。ただ、会話も合奏もセックスも絶滅はしないでしょう。人はコミュニュケーションがしたい生き物ですが、それが3次元の日常性ではなくなって行く、というのは、予想に難くないですよね。コミュニュケーションは地下化、あるは祝祭に移行して行くわけで、その時のコミュニュケーションは、爆発的なものになると思います。僕は、タクシーの運転手とも、坂根屋のオヤジとも、通りすがりの通行人とも、料理屋のシェフとも必ずコミュニュケーションをして来たので、「生きづらい」とまでは言いませんが、歳くったなあ笑、と痛感しています笑。
【原因が戦災であれ、リスクはあれども、移民は多ければ多いほど良いに決まっている。】
コレって、カフェオレとドレッシングの違いで、重複と調合とか何とかですよねぇ〜、粋な意志のラジカル大恐慌ラジオ、JAZZやラテンとナルジャジーラにアフリカン、インドからネシア、タイから台湾、奄美もキムチも違和感で絡み合う、blueNote菊地成孔スペシャルcocktail、まぁ、シベリアって、タルタリアらしく、タルタリアの祟りって、崇神天皇、平将門、菅原道真、古代ユダヤとか正教グレコローマン、イスラエルという平安京は、別名ウクライナなんだとか、第三神殿への陰謀は、聖書預言よりラッパーにお任せ、愛の波動、サウンドは入江、挿入歌は『飲むと痛みが増す』ダイナマイトスキャンダル、プーチンが乗ったバイデン計画ネオナチって、結局、那智の滝=八咫烏って事? スパイは、英国よりルパンがお洒落、不二子ちゃん! モンキーパンチ、モンティーパイソン、パイセンにパイズリ、オッパーとか父って、よく言ったもの、バストやウエストにも何かあるのかもなぁ〜、、、
>>4
こうちゃん。最初に日記からの引用を置いて、アリバイ作ってるけど笑、内容はさあ、僕の今までの仕事から得た単語(そんなもん、山ほどあるだろうから)と、ちょっとの自分の知識を絡めて、ってうか両輪で動かしてるだけでしょう笑。前に書いたように、僕から受けた単語で埋めてくと、読んでる人がちょっとウンザリすると思うんだよね笑。かと言ってそれ、こうちゃんの文体だし、そもそも人とのいうこと聞かねえし(最後に「、、、、」付けるのはr智顗にやってるけど笑)、困ったねえ笑。
例えば、今回だったら
【原因が戦災であれ、リスクはあれども、移民は多ければ多いほど良いに決まっている。】
コレって、カフェオレとドレッシングの違いで、重複と調合とか何とかですよねぇ〜、
↑ これだけで良い。これだけで鋭いコメント(「調合」なんて言ってねえけど笑、そこはまあまあ)
以下
粋な意志のラジカル大恐慌ラジオ、JAZZやラテンとナルジャジーラにアフリカン、インドからネシア、タイから台湾、奄美もキムチも違和感で絡み合う、blueNote菊地成孔スペシャルcocktail、
↑ これは誰も読みたくない笑。垂れ流しが汚なく見えるわけよ。、もったないでしょ笑。あと、読んでる本や検索対象がロクでもないね笑。
関係なくて申し訳ないのですが今TBSラジオたまむすびで[けもの]の第六感コンピューターがかかってました
菊地さんの声が久々にラジオから聞けてテンション上がってコメントしました
>>7
世界までアンテナを広げれば(例えば、ですが、サンダーキャットのプレイリスト公開だとか)、非常に少ないけれども、途切れずプレイされているらしいんですが笑、TBSでかかるとひとしお、という感があるんでしょうか笑。別に僕、TBSから出禁にされたわけではないですし笑、音源に至っては何の制限も受けてないと思いますんで笑(地上波出演は制限あるみたいだけど笑)、これからもチェックしてみてください!