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本日の<「第三回株主総会 5 HOURS」>出演キャンセルのご報告とお詫びです。
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本日の<「第三回株主総会 5 HOURS」>出演キャンセルのご報告とお詫びです。

2023-04-02 14:00

     田中宗一郎様、荘子it様、宇川直宏さん、三原勇希さん、スタッフの皆さん、中でも特に、今日のを楽しみにされていた聴講者の皆様。菊地成孔です。体調不良により、本日の<「第三回株主総会 5 HOURS」〜「アート/ カルチャー・コンテンツと経済」、「観客と発信者」の関係>を断腸の思いで欠席させて頂くことになりました。

     本当に本当に申し訳ありません。3〜4日ほど前から、なんか喉がイガイガするなあ、と思っていたら、スケボーのバーチカルランプのてっぺんから転げ落ちるような感じで、喉が猛烈に痛くなり、咳と痰がエグいことになって、体温が3日かけて9度を超えまして、抗原検査の結果、コロナは陰性だったのですが、これは新種の風邪か、巷で噂もかまびすしい、「発熱する重度の花粉症」かもしれません。僕は慢性の花粉症持ちなので、最初は「今年の花花粉、人殺しぐらいやべえなあ」とか思っていたんですが。

     こういう時定番の、「リモート出演」もスタッフ様方に用意をお願いしたのですが、今とにかく、声を出すだけでもしんどく、かつ聞くに耐えない声になっておりまして(何言っているか、相当ゆっくり喋らないと聞き取れないと思われます)、また、咳が出ると止まらなくなるんですが、その音もグロテスク極まりなく、田中さんや荘子くんを愛する皆さんに、とても聞かせられるモノではないので、悪目立ちしてしまい、ご迷惑をおかけしてはいけないなと、今朝方、出演辞退のお願いを田中さんに電話でお伝えし、ご了承いただきました。重ね重ね、楽しみにされていた皆さん、申し訳ありませんでした。ごめんなさい。田中さんとは、もしワンチャンでもあったら、ネクスト必ず伺わせていただきますと申し上げましたので、どうかそちらもご期待くだされば、と思います。
     

     今回、僕を招聘してくれたのは、実は荘子くんで、これまで接点が全くなかった田中さんと僕を繋いだら面白いだろうと判断したと思うのですが、大変ありがたく、つまり、今回荘子くんが誘ってくれなかったら、こんなチャンスは2度とないと思っていたので、荘子くんにも本当に申し訳ないと思っています。荘子くんごめん。 

     僕は最近、「詰まる所、人を繋ぐのは<世代>だなあ」と思っていて、ある種の淘汰として、今、人々は非常にざっくりと、全員の全員に対するコミュ障、と言う状況にあると思うんですが(トリキの客だけ別ですが)、例えばジャズミュージシャン同士で喋っていても、物書き仲間と喋っていても、基本的には沈滞します。僕の、それこそ<世代>から見たら<沈滞>に見えるだけで、実質は沈滞なんかしていないのかもしれませんが。

     なのですが、そこに<世代>の話を投げ込んでやると、たちまちにして、思いもよらない同士が「お前ら何なんだよ」と言うぐらいに意気投合しだし、さらにそれが全員に伝染して、たちまちテーブル全体が、1メートルぐらい上に浮くかと思うほど盛り上がるので、「やっぱ<世代最強>」と確信しています。「同じアーティストが好き」とか「同じギア使ってる」だけでは、こんなに盛り上がりません。 

     そういう意味で、僕と田中さんは世代も何も、そくりそのままオナイですので、ギャラリーの皆さんもご存知の通り、互いに互いの業務上のテリトリーに一歩も入ったことがない同士でも(大変恥ずかしながら、僕は、「タナソー」さんは、「米国音楽」の主筆の方で、「スヌーザー」を主宰しているのは渋谷陽一さんだと、つい最近まで思っていたような奴です)、実り多い対話ができると期待しており、小学生のようにワクワクしていたのです。

     以下、僕が事前に用意していたメモを箇条書きにすることで、お詫びに変えさせていただきます。これは、まかり間違って、うっかり口を滑らせてしまい、aikoさんの話になってしまったが最後、「コンテンツと経済」どころではなくなってしまう、という愚行を起こさないために、ちゃんとトークテーマを抑えるべく、僕なりに考えていたことです。
     

     「アート / カルチャー、コンテンツと経済」

     コンテンツビジネスというものが、現在どれほど市場そのものと、エンドユーザーの世界観、大きく言えば、生活哲学というか、生き方までを根底から書き直している(それは改革というよりも「強化」に近いのですが)のは、強く感じでいます。

     それは、僕がクリエイト側にもエンドユーザー側にもがっつり組み込まれているからです。

     エンドユーザー側の僕は、60年代日本映画のDVDBlu-ray化、に対して消費を担っていまして、特に映画やテレビのコンテンツは、「○K デジタルリマスタリング」とかいうより「ウォッシング」「ロンダリング」カルチャーと呼ぶべきで、昔の古道具屋で、ランプなんかを酢でピッカピカに磨く。というようなことと、そう変わっていない気がします。

     また、古い日本映画は、「日本語字幕」がもう不可欠になっており、ほんの一例ですが、川島雄三の代表作「幕末太陽傳」を、字幕なしで観て、隅々まで理解できる日本人は今存在しないと思います。

     あれは、小児麻痺で夭逝した川島雄三の死生観、デカダン、それへの抵抗が描かれていて、と、まるで国文学でも評するような評されかたしかなされておらず、作品の基本的な構造が歌詞化されている映画評論家は20世紀には皆無だと思います。

     あの映画は「幕末の日本で、日本人はどんな言葉を話していたか?(どんな所作とどんな口舌だったか?)」という構造設定の中(ピックアップされるフランキー堺だけでなく、登場人物が全員同じ構造にのっとって話し、動きます。素材が落語とか武器なので、実は女優陣が苦労しているのがわかるのですが)、石原裕次郎(高杉晋作)を頭目とする維新の若者たちだけが(方言ではあれ)現代語に近い話し方をする。という映画です。

     これは、先だって風俗流行語になっていた「太陽族」が、基本的にスラングで話すので、当時の大人たちには「よくわからない言葉=アンファンテリブル」という図式を、横滑りにして、かつ江戸情緒(滅びゆく、前近代)もどこまでも綺麗に。という、トゥイステッドではありますが、実に見事な構造美を持った作品で、20世紀中言われてきた「フランキー堺の幇間芸がすごい」とか、前述「川島の死生観」とか、「それも間違っちゃいねえけど、枝葉だよそんなことは」という、この作品の構造体としての凄さが、字幕付きでないと理解できません。歌舞伎座ではセリフが字幕で出る装置、現代語訳になる装置等々が有料で貸し出されますが、寄席ではそんなことはない。ここに階級の問題が含まれており、今見ても凄い。

     と、いうことが、名画座に観に行ってもわからないのです。僕は「日本映画に日本語字幕」というのは、最初は聾者に対するサポートから始まり、コンテンツビジネスの勃興とともに、少なくとも僕には不可欠のものになりましたし、よもやこんなことになるとは、予想もついておらず、この効果をして「新しい、今作られたアートやカルチャーって、必要なの?」という、ある種の歴史観を形成していると思います。コンテンツと経済は、こうして最大限に評価しても、文化的な教養の定着を起こしますが、問題は、そうしてもたらされた、近過去の豊穣が、未来のアートに繋がるか。ということになりますが、それはさておき、20世紀の文化人類学が啓蒙したような、「未開人には第二の科学があり、それは神話的であり、数学的でもある」という、巨視的なビジョンが、どんどんミニマルになってゆく過程を見せられている感じがします。 

     また、ひっくり返って、僕が「菊地成孔」というコンテンツに還元(色々な言い方がると思いますが、これが一番現実に近いと思います)される時、それは「コンテンツ経済」の中に参入したのだ、という実感より、自分の作品がコンテンツ化されたショックのようなものの方がはるかに強く、それは、DCPRGが結成から25年、スパンクハッピーが3期通算30年、「スペインの宇宙食」が20年、「粋な夜電波」が開始から20年、といった、わずか2〜30年以内のコンテンツが、特に若い人々にとって、僕における川端康成とか、僕におけるザ・ビートルズとか、そういったもの、つまり「殿堂入りした偉大なクラシックス」とかではなく(これはもう、単に安直すぎるイメージでしかないので)、「よく読み込まれもしないのに、好きなように勝手に語られる」というリージョンに置かれることで、正直、驚いています。今年僕は、ずっと原盤が散逸していた「普通の恋cwフロイドと夜桜」という楽曲の原盤を再建して世紀配信ビジネスの中に投げ込もうと思っているんですが、ついぞ自分が、若い方々における「過去作品」として消費される。などと考えたこともないので、自己コンテンツ化の感性を前にして、どこまで「今」のフレッシュさを提供し続けられるか、それともいっそのこと、リマスタリングと字幕を添えて全集化する方が、残された人生の中でやるべきことではないか?などと思いを巡らせています。

     今では振り返る人もほとんどいませんが、高杉弾という才人がいて、まだインターネットもない頃に「メディアになりたい」という名著を書いており、今、これまでなかったほど、高杉弾を読み直しています。

     かなり長くなってしまいましたので「観客と発信者の関係」に関しては、ネクストチャンスに、とさせて頂きます。

     以上です。僕は、目の粗い、汎用トラウマ持ちのSNSユーザーに狂犬だの警察だのと、怖がられることが多く(その前はナルシシストで気持ち悪いと言われていました。今はもう、「全員がナルシシストである」という認識が定着し、言われなくなりましたが)、いかにSNSがバリネラとルサンチマンと苛立ちの巨大な寸胴であるかの証左になっていると思うのですが、僕が自分から仕掛けたことはミュージックマガジンにしかありません。あとは降りかかる火の粉を払いのけていただけで、要するにつまり、恐るべきことに、と言っても良いと思いますが、田中さんと僕が論争というレベルを超え、喧嘩になると期待し、恐れている人々がいかに多いか、メールや知人からの告げ口で知っていました。

     本日は、彼らのいじましい自己実現の不全を、さらなる二重不全に叩き落としてやろうと、非常に楽しみにしていたのですが(先日、ゴダールが亡くなった時、町山さんと楽しく番組をやって、事を受け入れなれない人々を生んだように)体がこの有様になってしまい、その点でも残念です。

     書いているうちに体温が40度を超えてしまったので、ここで失礼いたします。本日はドタキャンという、あってはならない失敗に対し、非常にジェントルに対応なさってくださった田中さんに感謝すると主に、多くの(喧嘩期待の低脳共なんかと別に)討論的豊穣を期待していた皆さんに陳謝させて頂きます。 

     菊地成孔

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