とまあ、歳時記、という感じで「仕事始め」とか書いてるけれども、いつ仕事休んだかなオレという感じで、1月はななななんと映画音楽の納品が1作と、最終打ち合わせが1作あり、とはいえまあ、それだけなんだけれども、まだスケジューリング中なんだがジャズドミューンが1月中にあるかも知れない。
っていうか、いよいよ正式に書名が「刑事コロンボ研究(上)」に決定した(オレ史上、最高にストレートで簡潔すぎる、ある意味でドスが効きすぎのタイトル笑)、以後、「研究」としまするが、上巻分の原稿は入稿したものの、ゲラ以前に、最初から全部読み直して、気になるところを加筆修正し始めたんだけれども、「あ、これ、誰かに止まられない限り一生やってるかも」と思い始め、とにかく通読後の直しは一回だけにして、ゲラに入ることにしたが、単著書き下ろしは初めてなので、正直「こんなに面白いか」という感覚と、初めて「誰が喜ぶのか(嫌がるのか)全くわからない」という感覚があり、ある意味でアマチュアの感覚に入っているとも言える。
今、内科医から帰ってきたところで、大晦日からずっと風邪みたいな症状が出てるのだけれども、あまりファンの皆さんを心配させるといけないのだが、リンパがまた晴れていて「おおお。また来るの笑」と思ったけれども、今回のは少なくとも壊死性リンパ結節炎ではない。
第一に発熱しないのである。ただ、腫れていて、触ると痛いのと、首から上の方、後頭部に向かっており、耳の中も痛いので、どうしましょ脳腫瘍だったら、とかも思うのだが(こんなこと書くから心配性の方が心配するのだが=重症の方は気絶したりするので笑、とはいえ、症状は止められないから、放っておくしかないんだけれども笑、心配性の方は、そうだなあ、心ゆくまで心配していてください笑、というのが一番クールで誠実だと思えてきた)、えーとそうね、事実を細密に書けば、クリスマスの日に行った(我ながらよくやったと思う、ライブ前に笑)人間ドックの結果で、その日にわかる奴は全て大丈夫だったのだけれども、10日に届く「これからわかるやつ」に、浮腫マーカー(全身の癌細胞チェック)と、頭部MRIがあり、これが出るまでは完全に安心はできない。頭部MRIに頭部腫瘍が出て、浮腫マーカーに癌細胞ありと出たらビンゴだし、とはいえ、痛いというのは悪性の腫瘍には出ない(なので発見が遅くなり怖い)ことだから、単に疲れ、というか笑(これ、筋疲労のことですほとんど。年末にものすげえ左手と首を使ったから。大友っちとのデュオで、ピアノを弾いた時、余りにサウンドがすごくて興奮し、リリースペダルを踏みっぱなしで10分間演奏したら、演奏後、膝と右手が体から外れるかと思った笑。踏み込んだ足が右足で、最低音域のコードを弾き続けたので、体が右に傾いていて、左が浮いていたのである)、単純にストレスと疲労かも知れない。
コメント
コメントを書くおつかれさまです。
死に対する書き物は読者の心が動きます(と書くのは不謹慎ではありますがこのエセーにおいてそれは未来にあるだろうと書いてあると思いましたのでこのように書きます)。
私もは最早昨年である梅雨に祖母を亡くしました。この人は深川生まれの女で口が悪く、戦時は山梨に逃れて大空襲を免れて、その後再び東京に出て統治をしていた外国人の屋敷で働き(ようはメイドですね)、同じ屋敷の同僚のコック(調理人ではなくあえてこう書きます)と結婚した人でした。そして私の母が生まれ……という人です。(祖父は中村屋やプリンスホテルの厨房に立っていました)。
でそんな人なので自分が知る限りの親族で一番エネルギッシュな人でした。僕は彼女とめちゃくちゃ喧嘩をしました笑(喧嘩を出来る女性は男性の人生に置いて貴重なのかもしれませんね)。死ぬ数年前には彼女は乳がんに掛かりその入退院の世話を僕がしましたし、切り取られた乳房を見たしそこにあった固い固い癌も触りました。正直、それを医者から渡された瞬間「喰おう!」とも思いました。
祖母はその後に数年は元気に生きて、そのあとで死にました。93歳くらいだったかな。世間は大往生とか言いますけどめちゃくちゃ悲しいですよ、死ぬ最期の瞬間も僕だけが手を取って見つめていました。
今でも。というか永遠に悲しいのでしょうけど、死ぬときに手を取り合ってすごい伝達がありました。
菊地さんはいつか「想像できる悲劇はそれが起きても大丈夫」と仰っていたと存じます。未来の想像は悲しいことも多いですが、伝達があると感じます。と若造ですが思います。
頑丈な女が好きな話は分かります。自分的には浅田舞さんとか、小雪さんとかですね。時代を過去に戻すと原節子(小津作品での姿しか存じませんが)ですね(お会いしたことは無いので、あくまでの画の向こうに移る彼女たちへの評価ですが)。
マザコン/ファザコンの話で言うとその死を認めることがもっとも非マザコン/非ファザコンであり、また共同体としては正マザコン/正ファザコンでもあるとも思いましたし、一方でブラコンとかシスコンというポップな言葉があるように、祖母コン/祖父コン、おばコン/おじコンというのものも、実はマザコン/ファザコンとは近似値ではあるがズレているものかな?とも思います。もちろんそれを一緒くたにしているのがフロイドのそれとも思いますが。
>>1
いやあ案の定というかなんというか、私信で「すげく心配」という文をたくさん頂戴しまして笑、もう僕、がん年齢ですし、なっちゃったもんはなっちゃったもんだし、また、単なる肩こりの可能性もあるんですよね笑、すごく肩凝ったんで(刑事コロンボ研究が大きかったと思いますよ笑)、ですので、心配するなとか心配させてごめんとか、心配ない心配ない、とかではなく、推しも初老になって笑、と思っていただくしかないですねコレ笑。「100分de名著」の大森望先生は、アメリカン・デブ型のお茶目な方なんで(京大だけど→明らかな京都差別笑)、64?ぐらいであんなにお若いですが、インサートで入った松尾スズキさん、僕と同い年ですからね。インサート見ながら松尾さん、このまま倒れるんじゃないかと思いました笑。
育ての母に関しては、しょうがないですよね笑、95まで生きたのはストレスがなかったからでしょうから。望むならば、ですが、末期の場には居たいと思うばかりですが。伝達は、もう、僕が育てられ始めてから凄かったです笑。統合失調者というのは、意識的に自分を偽ったりが出来ないので笑。悪客に思いっきり突進して、今で言うとタックルで倒して、サミングしていました笑。何年間、彼女と抱き合って寝たか、もう思い出せないですね。寝るたび伝達していました。起きたら起きたで伝達してました。彼女は杖をつかなかったので、歩くときは僕が手を繋いでバランスを取っていたので、いつでも一体感が絶えませんでした。二人三脚とはこのことです笑。
人間にとって、激しく喧嘩した者というのは特別ですよね。人は今、喧嘩することを遠ざけすぎているので、暴力がおかしなことになっていると思います。お祖母様が気風の良い方で良かったですねえ。グランドマザーコンプレックスもいっぱいいます。僕は母親が祖母ぐらいなもんだったんで笑。
原節子は頑丈でしょう、何せ泣きながらセットの日本間を駆け下りるとセットがギシギシいって壊れそうでしたからね笑。浅田舞、小雪、と並んで、頑丈な女性が好きなラインナップとしてすごい説得力がありますよね笑。僕は小池えり子とアンミカはかなり頑丈だと思っています。