「料理店の寝椅子──彼女たちとの普通の会話」2-3 & 4
ブルーノート東京クラブマネージャー&ソムリエの田中奈津子さんと(全4回)
奇しくも。ですが、結果としてブルーノート公演の前パブになったこの対談ですが、実際はかなり前に行われています(途中でニューラテンクォーターの話題がちょっとだけ出てきますが、対談当時、まだワタシは山本信太郎さんとの邂逅を果たしていませんでした)。
という訳で、ブルーノート公演までの日数から逆算し、第三回と第四回と分割でアップする予定だった後半を一挙掲載にさせて頂きました。少々長めですが、一気に読破も良し、じっくり何日もかけるも良し、で、お好きなようにお楽しみ頂けると幸いです。
今回の公演に際しての飲食セクションとのコラボに関しては、公式サイト(無料)「第三インターネット」のブログに一括で掲載していますので、そちらをご覧頂く事も出来ますが、対談終了後にそのまま全文を掲載します。
革命と戦争とどっちが早いかという位、現実の貧苦と妬みが渦巻く社会になりましたが、ワタシはオイルショックという時代に飯倉キャンティ城に立て篭り、そのままバブル期という王政復古を迎えた貴族達の音楽は愛しますが、彼等とは出も育ちも悪い人間ですし、どんな愉しみも、可能な限り地球人全員で共有し、再配分したい/出来ると考えるキチガイです(そうでないと、ポリリズム講座などといった企業秘密の公開みたいな真似はしません)。
その上で、ドレスアップする本当の喜び、飲食と音楽がマリアージュする、浄化に至る程の喜びを提言し続けて来ましたが、この提言の構造的限界は、シュミレーションが利かない。という一点に集中しています。経験して頂ければ、過去の傷に触れないどころか、傷を消す作用がある事をご理解頂ける筈なのに、です。
銀座のトゥールダルジャンに行った。行ったら、息苦しいばかりで(何せ真夏でもネクタイ着用マストです)、何も楽しい事が無かった。「高級」な「本物」に触れた筈なのに、自分は感動どころか、拷問だった。自分も世界もクソだ。こうした累積的な怨念発生の責任は、第一にはトゥールダルジャンそのものにありますが、第二には、我々、すなわち、ワタシも田中さんも皆様も含めた、人類全員に等しく分配されており、これを払拭するには、全員の協力が必要であるとワタシは考えます。ワタシが考える株の式という物は、こういったものです。
毎度毎度のライブがワタシの、単に個人的な愉しみの場であると同時に、文化史に体する、不休にして不屈の闘争です。闘争はこんなに愉しく、美味しく、グルーヴィーで、ホットで、クールで、ヘルシーで快楽的であるのだという事が、人類全員に浸透するまでこの闘争は続くでしょう。
今や構造的な怨念によって魔女狩りの様相を呈しているバブル世代へのパブリックイメージリミテッドですが、魔女狩り逃れに、怨念に取り憑かれた人々へ迎合するようにして、やたらと身近でシリアスな問題(介護だとか苛めだとか)を扱い始めたり、快楽的である事から腰が引けていたり、逆転的に80年代万歳的なはしゃぎに走ったり、吊るし上げられないように同世代だけでつるもうとしますが、たった今、快楽的である。という事に迫真し、全世代に訴求するという態度は非常に少なく、今日もワタシは、こんなにも闘争しているのに結果として浮ついて見えるという、流刑者の刺青のような物を背負ってはサックスを吹いたりラップしたりしています。このごろは「若さの秘訣は?」と聞かれるたび、そう答えています。
ブルーノート東京が、ブルーノートレーベルという、非常に奇妙で(ドイツ人による、アメリカ文化の発見にして再評価)偉大なインディーレーベルの誕生から眺めれば、数奇な運命というに吝かでない程の歴史の末にある事は、さっと検索してすぐ解る。といった類いの物ではありません。ワタシはそこに大いなる意義を見いだしています。それでは対談の後半をお楽しみください。