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甘ったるい萌えアニメに腰までひたっても、なお。
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甘ったるい萌えアニメに腰までひたっても、なお。

2016-04-04 09:00
    この素晴らしい世界に祝福を!     あぁ、駄女神さま (角川スニーカー文庫)

     さて、昨日の記事に続いて、ペトロニウスさんが最新記事のもうひとつの論点として挙げている「向上心がない物語はダメなのではないか」という話を語りましょう。

     これは、20年くらい前から延々と形を変えていわれつづけていることのバリエーションだと思うのですが、まあ、じっさいのところ、どうなんでしょうね?

     元々の野尻さんの発言は「コンプレックスまみれの視聴者をかくも徹底的にいたわった作品を摂取して喜んでたら自滅だよ」というものでした。

     「コンプレックスまみれの視聴者をかくも徹底的にいたわった作品」とは、具体的には『このすば』のことらしいのですが、これがほんとうに問題なのかというと、正直、ぼくにはよくわからないです。

     たしかに、こういう作品ばかりになってしまったらいかにも退屈だし、良くない状況だとは思う。

     しかし、現実にそうなっているかというとね、なっていないんじゃないでしょうか。

     ここ最近ヒットしたアニメなりウェブ小説を見ていくと、必ずしも甘ったるいばかりの作品がウケているとはいえないと思うのですよ。

     もちろん、ぼくはそのすべてをチェックしたわけではないのでたしかなことはいえませんが、少なくとも『進撃の巨人』もあれば『魔法少女まどか☆マギカ』もある、『SHIROBAKO』もあれば『1週間フレンズ』もあるわけで、業界全体が一色に染まっているとはいいがたいでしょう。

     むしろ、過去に比べても多彩な作品が提供されるようになって来ていると思います。

     もし、それらの作品が一色に見えるとすれば、やはりパッケージの問題でしょう。

     現代のアニメには色々な作品があるけれど、そのほとんどに何らかの形で美青年や美少女が出て来ることもたしかで、そのキャラクターたちの画一的なイメージが作品に多様性がないという印象を与えているのだと思います。

     じっさいには、当然、キャラクタ―デザインにある程度の差異があるのですが、それは「わかる人が見ればわかる」種類のものであることもたしかです。

     わからない人が見ればやはり似たり寄ったりに思えるでしょう。

     そして、そのパッケージの印象を、野尻さんは「かっこ悪い」といって批判しているのだと思います。

     これは良く考えるとなかなか深い問題で、一理はあると思う。ただ、いまさら美少女を出してはダメだといってもね、それは届かないことでしょう。

     それに、ここ十数年くらいで、アニメに登場する美少女たちも(決してリアルになったわけではないにしろ)相当に多様化が進んでいると思うのです。

     ここらへんは「暴力ヒロイン問題」と密接な関わりがあるのですが、たとえば『俺妹』の桐乃なんかは一方で強烈な反発を受けるくらい過激なキャラクターであるわけですよね。

     そういうキャラクターもいまは例外とはいえないくらい普通に存在している。

     まあ、その手のキャラは必然的に「女の子は天使じゃないと許せない派」からは過剰な反発を受けるわけですが、そうかといっていなくはならない。

     あいかわらず色々な形で出て来ては視聴者の自意識を告発したりするわけです。

     そういう告発に耐えられない視聴者層はたしかにいます。

     しかし、いまとなっては、その手の告発すら平気で受け止められる視聴者層も熟成されて来ているように思います。

     野尻さんは「コンプレックスまみれの視聴者」と決めつけていますが、これはアニメ視聴者に対するかなり古いバイアスです。

     かつてはともかく、いまは特に大きなコンプレックスがないアニメ視聴者も相当の割合でいるはずです。

     そういう視聴者は必ずしも慰撫だけを求めてアニメを見ているわけではない。

     いや、当然、見ていて不快になるようなものを求めているわけではないでしょうが、野尻さんが考えているほど甘ったるいばかりの物語を求める「弱い」視聴者層ばかりではないと思う。

     その証拠に、『このすば』の主人公もさんざんあざけられ、ばかにされ、笑い者にされているではありませんか。

     まあ、たしかにかれはご都合主義的に美少女といっしょに旅をすることにはなります。

     ですが、その旅も美少女も必ずしも主人公を慰め、いい気分にさせてくれるだけの装置ではない。

     一見してそう見えるにしろ、じっさいには色々あるのであって、その色々が作品の個性となっています。

     「いや、そうではなく、もっと視聴者の自意識の欺瞞を徹底して告発するきびしい物語が必要なのだ」という意見もあるでしょう。

     それもわからなくはない。ある程度は共感できる意見です。

     しかし、 
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