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すべての表現は「本物」と「偽物」に分けられるのか?
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すべての表現は「本物」と「偽物」に分けられるのか?

2018-02-23 22:19
     映画『グレイテスト・ショーマン』を見ました。

     『レ・ミゼラブル』や『アナと雪の女王』、『ラ・ラ・ランド』などのヒットで最近、人気を取り戻しつつあるミュージカル映画です。

     この作品の主人公は貧しい身の上から興行によって成り上がった男、P・T・バーナム。

     かれと、かれが生み出した史上初の「サーカス」がこの映画の中心です。

     このバーナムさん、実在の人物で、それどころかアメリカではとても有名な人のようです。

     史実のかれは、相当に後ろ暗いビジネスにも手を染めたペテン師まがいの男だったようですが、この映画のなかのバーナムはあくまでヒーロー。

     ときに判断を誤り、差別的な行動に走ることもありますが、基本的には家族を愛し、仲間たちを守ろうとする心優しい人物として描かれています。

     アメリカの批評家界隈では、この、主人公の「いい人化」が史実をねじ曲げているということで評価を下げている人も相当多くいるようですが、日本人のぼくとしてはまったく気になりません。

     そもそも史実を知らないのだからいくらかねじ曲げられていても問題はないというものです。

     ただ、それでも少々、人間ドラマの要素が薄いようには感じられました。

     話がとんとん拍子で進んでいくのは軽快なのですが、その分、ちょっと筋書き通りの展開に思われてしまうことは否めないのです。

     きっちり定石通り試練は起きますし、辛い出来事も色々と描かれてはいるのですが、それでもどうにも「軽い」描写に留まっているように思われます。

     音楽とダンスは文句なしに素晴らしいので、ここらへんの人間ドラマの薄さをどう見るかがこの作品の評価の鍵になるかと思います。あまりにも「いい話」すぎて、かえって胡散臭いと思う人も少なくないことでしょう。

     じっさい、ぼくも見終わった後は、「面白いけれど、ちょっとドラマが薄いな」と感じました。

     しかし、ミュージカル部分の見事さと、スピーディーな演出はその欠点を補って余りあるものがあることもたしか。人によって相当に評価が分かれる映画かもしれません。

     さて、この映画のテーマとして、バーナムが生み出したサーカスが、はたして「本物」の表現なのか、それとも「偽物」に過ぎないのか、ということがあります。

     ふたつ前の記事でも触れましたが、ある作品なり芸を評価するとき、それは「本物」だとか「偽物」だと語られることがあります。

     おそらく庵野さんがオリジナルな表現にこだわり、このアニメには「中身」がある、ない、と語ることもそういう文脈の話でしょう。

     しかし、ぼくは思うのです。ほんとうに「本物」の表現などというものがありえるのでしょうか?

     昔には「オリジナル」の作品があったというのは事実なのでしょうか?

     この映画のなかでは、オペラやクラシックバレエといった表現が「本物」の代表例として挙げられています。

     それと比べて、サーカスはあくまで「芸術」とはいえない紛い物のショーとして扱われています。

     ですが、どうでしょう、その区別は意味があるものなのでしょうか。

     ぼくにはそうは思えません。それはようするに単なる差別に過ぎないのではないのでは?

     たしかに、サーカスの表現は、少なくともこの時点では、オペラやバレエのように「上流」の人々の心を捉えるものではないかもしれません。

     けれど、「上流」に通用するものが「本物」だとすることはいかにもばかばかしくないでしょうか。

     それはあまりにも俗っぽい権威主義に過ぎないように思われます。

     そもそも、どんな表現も最初からいきなり「芸術」などというたいそうなものとして生まれるわけではないのです。

     大抵の表現は、まず愚にも付かない、「芸」などと呼ぶこともはばかられる、他愛ないものとして始まります。

     それが時間とともにしだいに洗練され、重厚さを増していき、そして「権威」になっていくのです。

     オペラにせよ、バレエにせよ、最初から「本物」とか「芸術」などと誉めそやされる表現だったわけではないでしょう。

     それらもまた、ごくつまらない芸としてスタートし、やがて「本物」と呼ばれるまでになったのです。

     そうだとすれば、そこにあるものはつまるところクオリティの差だけであり、それ以外の本質的な違いなどないと考えるべきではないでしょうか。

     ぼくは庵野さんが『美少女戦士セーラームーン』を「中身がない」と評していることにも疑問があります。

     ぼくは『セーラームーン』にくわしくないのでその評価が妥当なものなのかどうかはわかりませんが、表現を「中身がある」、「中身がない」と分けること自体が、あまり意味があることとは思われない。

     もちろん、庵野さんや奈須さんは「オリジナル」とか「偽物」という発想にこだわることで作品を生み出せたのだから、それ自体は意味あることなのでしょうが、批評概念としてはそれは価値が薄いと思うのです。

     良い作品があり、そうでない作品がある。それくらいの評価軸がシンプルで良いと考えます。あまり複雑化するとろくなことがない。

     「本物」であれ、「偽物」であれ、良いものは良い。面白いものは面白い。それで十分ではありませんか。ぼくは、そういうふうに考えます。 
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