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近頃はもうほとんど使用していないが、それでもたまにTwitterを眺めることがある。そうすると、必ずといっていいほど何らかの論争が展開しているところを見つける。
「論争」とはいささか上品すぎる表現で、じっさいには「口喧嘩」ならぬ「文字喧嘩」といいたいようなありさまであることがほとんどだ。
そのなかでもぼくのタイムラインで目立つのは、「フェミニズム」と「表現の自由」を巡るやり取りだ。
表現の自由を重視する人間を「表現の自由戦士」と呼び、ののしるフェミニストは数多い。で、その表現の自由を尊ぶ側でもそのフェミニストのことを口汚くののしっていたりする。
そのどちらが正しいかはともかく、そういう光景を見るたびに実にうんざりする。ぼくは自分が気に入らない考えを罵倒することを本気で正義だと信じ込める単純な性格がたいそう嫌いだ。
まあ、ここでそういう人を罵倒すれば、ぼくも同じ類の人間になってし
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フェミニズムなんて、もうとっくに耐用年数を過ぎた陰謀論でしかないでしょ。
それを「オタクの方が古い」なんてムチャを言われても困る。
もちろん、オタクが死んでくれなければ困る人たちが、この世には大勢いらっしゃることは、ぼくも知っているけれども。