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いつのころからだろうか、長編漫画がこれほどまでに長々と続くようになったのは。いまでは20巻、30巻はあたりまえ、50巻を超えて続く作品すら、そうめずらしくはなくなっている。
たとえば日本を代表する漫画雑誌である『少年ジャンプ』を見てみよう。看板連載であるところの『ONE PIECE』と『NARUTO』、『BLEACH』はとうに50巻を超えてまだまだ続いていくように見えるし、比較的最近始まった印象がある『めだかボックス』にしても、もう20巻の大台に乗っている。
長い、あまりにも長い作品が多い。もちろん、こうした長寿作品が増えているのは『ジャンプ』だけではない。『マガジン』を見れば『はじめの一歩』は既に既刊100巻を超えている。本来、怪物的といってもいいような巻数の超大長編があたりまえのものとなりつつ印象があるのが現代である。
こうした現象は漫画業界にとってプラスとマイナス、双方の意味を持つ。プラスの意味はあきらかだ。大長編が増えれば、作家と出版社は安定した収入を得ることができる。大ヒットしたベストセラー作品であればなおさらだ。
一冊何百万部も売れる作品が延々と出続ければ、出版社にとってこれほど「おいしい」話はないといってもいいだろう。少なくとも多くの出版社がそう考えているからこそ、これほど大長編作品が増える事態となったのだと思われる。
一方、マイナスの意味は複数ありそうだ。読者があまりにたくさんの本を置く場所を見いだせなくなり、漫画喫茶などに頼るようになったこと。また、ある長編漫画の終了と同時に読者が漫画そのものを「卒業」してしまうことが考えられること。新人作家の芽が出にくくなっていること。などなど。
しかし、それらにも増して気になるのは、作家が生涯に一作しか代表作を残しえなくなっているということだ。もはや、現代は「生涯一作」があたりまえのものとなりつつある。一作当たったら、一生涯、それを描き続ける。そのような「ライフワークステイル」で作品を生み出すひとが増えているのである。
たとえば『ベルセルク』。最近いちじるしく刊行速度が落ちたこの長編作品は、あきらかにライフワークと目して描かれている。というか、作者である三浦建太郎の存命中に連載が終わるかどうかきわめて怪しい。まさに「生涯一作」の作品であり、ある意味では作者が人生のすべてをつぎ込んでいる作者そのものともいえる作品といえそうだ。
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