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『魔法少女まどか☆マギカ』続編の予告PVが公開されたようです。これはもともと劇場で流していた映像なのかな? さやかの瞳に一瞬だけアルティメットまどかの影が映るシーンが印象的ですが、さて、じっさいの映画の出来はどうなることやら。
この続編の存在価値にぼくはかなり懐疑的です。もちろん、おもしろいかどうかは見てみなければわからないのだけれど、それはそれとして、やっぱりテレビシリーズ本編が非常にきれいな形で終わっているわけで、そこからどう続編を組み立てようと蛇足に終わるのではないかという疑いはぬぐえない。
その疑いを乗り越えて、素晴らしい作品が生まれてきたらそれはもう脱帽というしかないのですが、そうなるかな。どうだろう。まあ、一ファンとして楽しみではあるのですが。
とりあえずこの予告PVでは、まどかに対してはっきりと「犠牲」という言葉を使っています。まどかはみんなの幸福のための犠牲になったんだ、という解釈ですね。おそらくはこの解釈の上に物語のすべてが組み立てられていくものと思われます。
で、そこから先がどうなるのか。ひとつの予想として「今度こそまどかも救われて、完全なハッピーエンドを迎える」という可能性もなくはない。でもねえ、それをやっちゃったら蛇足以外の何物でもないと思うんですよね。
ぼくは現実をシビアに見つめたが故にハッピーエンドを書けなくなった虚淵さんがかろうじてたどり着いた「ニアハッピーエンド」があの結末だと思っているので、「何もかもが解決し、だれもかもが幸せになる完全なハッピーエンド」を観たいとはまったく思わない。『まどマギ』の結末はハッピーエンドではないかもしれませんが、ありえる限り最もハッピーエンドに近いと思うんですよ。
もちろん「まどか以外のすべてのひとが救われていても、まどかが救われていなければハッピーエンドとはいえない」という意見はわかる。でもね、ここが微妙なところで、仮に脇役の子がひとりくらい犠牲になっていたとしても、まどかたち主役級のキャラクター全員が幸せになっていれば、視聴者はハッピーエンドと受け取ったと思うんですよね。
ひとは物語を見る時、主役キャラの幸不幸だけを気にして、その周囲にいるはずの人々のことはあまり気にしない。ウルトラマンに踏みつけられて何万人のひとが死んでいようと、ベジータに殺されて何百万のひとが死んでいようと、そんなことはあまり考えないのです。
よくも悪くも物語というものはそういうもの。だからハッピーエンドというのも、ようは視聴者が感情移入しているキャラクターだけ救われていればそういうふうに見えるわけです。
逆に感情移入キャラが幸せになっていないと、いくら状況が改善していてもハッピーエンドとは受け取れない。『まどマギ』の結末について論争が起こったのはそういうことだと思います。
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