一億総ツッコミ時代 (星海社新書)

 オードリー・若林「評論家きどりばかりのツイッター」と題する記事(http://numbers2007.blog123.fc2.com/blog-entry-2026.html)がおもしろかった。これ、ぼくがずっと考えてきたことなんですよね。

 もう十数年来考えてきたことで、オタク論とも密接な関わりがある話なんですけれど、つまりまあ、だれもが「ボケ」ることを恐れる時代になってしまったという話。この場合のボケとは、批判されたり笑われたりする余地がある発言や行動を取ること。つまり「ツッコミ」を入れられる可能性があることをやるのがボケ、ということことになります。

 ぼくはまだ読んでいないんだけれど、上記リンク先で語られている『一億総ツッコミの時代』という本は、この「だれもがボケることを恐れ、ツッコミに回りたがる時代」を分析した本だと言います。

 またね、こういうふうに読んでいない本を取り上げたりすると、「読んでから書けよ」などとツッコミを入れるコメントが入ったりするんだけれど、まさにそういった瑣末なことをいちいち取り上げて批判せずにいられないのが「ツッコミ病」あるいは「ツッコミ症候群」の問題だといえます。

 リンク先では「言葉を噛む」ことをいちいち取り上げてツッコミを入れる風潮を取り上げていますが、それこそ「ツッコミ病」なんですね。どうでもいいような些細なケアレスミスをも取り上げずにはいられない、結果、本質を見逃してしまう、それが「ツッコミ病」。

 なぜ、こんなふうに人々がツッコミにばかりかまける時代になったのか。なぜ、些細なボケすら許されなくなったのか。ひとつにはインターネットの発達があるでしょう。ひとつミスをしたら全員からツッコミを入れられる時代になって、人々が萎縮してしまっている。そういうことはあると思う。

 でも、それ以上に大きいのは自意識の問題なんですよね。「ツッコミ病」には「ひとに笑われたくない、バカだと思われたくない」という過剰な自意識が根底にあるのです。

 でも、人間は行動すれば失敗したり間違えたりすることもあるものなんですよ。どんなに賢い人でも、いつも正しいことばかりを言えるものではないわけ。自分の専門のことだったら、かなり高い確率で正論を述べられるかもしれないけれど、専門外のことについては誤ったことも言ってしまうこともあるのです。

 それでは、賢いつもりの自分を守りつづけるにはどうすればいいか。結論としてはひとつしかないんですよね。何もしなければいい。何もしないで、ひとのボケに対するツッコミだけは入れる。そうすれば決して他人にツッコミを入れられることはない。これが究極の「護身」だと思います。