弱いなら弱いままで。
ほんとうはリア充なオタクたち。クリスマスを前に多様化する「幸福のかたち」を考える。(2084文字)
昨日書いたクリスマス記事はお読みいただけたでしょうか? たいした内容ではないので読まなくてもいいのですが、久々にポエム入っている記事なので笑っていただくといいかも。昔はこういう文章をよく書いていたものですが、最近はさすがに減りましたね。大人になった海燕。
さて、その記事は定番の非モテネタから入っています。しかし、自分で書いておいてなんですが、いかにも時代錯誤な感じがします。もうそういう時代じゃないよね、と。非モテとか非リアのルサンチマン語りという芸風そのものが何とも古くさいものに思える。
というのも、いまの時代、リア充だけが楽しい人生を送っていて、非モテなり非リアはつまらない人生を送っているのかというと、決してそんなことはいえないと思うんですよ。
たとえば20年前、30年前と比べても、日本の「幸福のかたち」は多様化していて、ひとつの「幸福のかたち」を手に入れられなければそれで不幸になるかというと、決してそんなことはない。そもそも不幸じゃないのに不幸なふりしてどうするんだと思うわけです。
結局のところ、恋人なり伴侶がいるひとだけを「リア充」と呼び、それだけがしあわせな生き方であると考えることはいまの時代に合っていないのではないか。ぼくはそう思います。
そもそもぼくたちは有史以来例がないくらい膨大な量の娯楽に囲まれて生きています。ある意味では往古の中国の皇帝ですら、いまのぼくたちほど楽しい娯楽づけの毎日を送ってはいないでしょう。
特に日々、ニコニコ動画を利用しているような「オタク」の皆さんは毎日膨大な量の娯楽を消費していることと思います。それらはきわめて安価で、質は高く、量はいまとなっては一生かかっても消化しきれないほどある。これほど充実した娯楽に囲まれてなぜ自分を不幸だと思わなければならないのでしょうか?
いや、それでも恋人や友人がいなければ寂しいじゃないか、といわれるかもしれません。しかし、インターネット時代の今日、どう考えても我々は孤独ではない。
「オタク」という言葉にある「孤独に趣味に没頭するひとたち」というイメージもまたいかにも古いものです。現代の「オタク」は諸々のソーシャルネットワークサービスで情報を共有し、それぞれに「コミュニケーション・ビオトープ」を作りながら趣味を楽しんでいるはずです。これを「リア充」と呼ばずに何と呼べばいいのでしょうか。現代の「オタク」は着々と「リア充化」しているのです。
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