プラチナ 採点ぺん 赤 SN800C#75


 いつの頃からだろう。小説を読んだり、映画を見たりした時、その長所と短所とを洗い出し、美点や瑕疵を見つけ出しては、全体を「評価」するようになったのは。

 初めはたしかにそうではなかった。思い出すこともむずかしい幼少の頃は、ただひたすらに物語を楽しみ、その展開に胸躍らせるばかりだったはずだ。

 しかし、物心つくにしたがって、少しずつただ楽しむだけではなくなっていった。つまり、作品を見て採点することを知ったのである。これは傑作であるとか凡作であるといういい方を覚え、なるべく効率よく物語を楽しみたいと考えるようになった。

 それがさらに勢いを増したのは、ネットに感想を書き込むようになってからだろう。読むひとにわかりやすいよう、作品の評価を★の数で表わすようになり、常にその作品がどのくらいの出来かと考えこむようになった。

 途方もない傲慢とはわかっていた。本来、そのような形で表し切ることができるものではないことも。だが、それでもなお、読者の利便を考えれば、必要なことだと捉えていたのである。

 いま、ぼくはそうやって小説なり漫画なり映画を評価することをやめようと思っている。あるいは読むひとにとってはわかりづらくなるかもしれないが、何かがぼくのなかで変わったのだ。

 なぜともかく、この作品のここが良いと、あるいはここが難点だと、そう語ることそのものが好ましく思えなくなって来たのである。

 もちろん、自分自身はそういう評価を必要としている。ある映画を観に行こうかどうか迷ったとき、これは観る価値があるとはっきり示してある基準はとても頼りになる。

 いうまでもなく信頼できるひとが下した評価でなければ意味がないが、とにかくそういう基準が存在しているかどうかで大きな差があると感じる。とはいえ、ぼく自身はどうも、そういうことを考えることに疲労を感じるようになって来たようだ。

 ひとには求めておいて自分では与えないとは、随分と都合がいい話にも思える。だがここは「ひとそれぞれ」という言葉を使わせてもらおう。ともかくぼくはもう、作品を採点することをやめにしたいのだ。