邪念(白文字) Tシャツ Pure Color Print

 げほげほ。止まらない咳と格闘する男、海燕です。いやあ、治らないですね。どうも咳とは意外に体力を消耗するものらしく、最近、始終、ふらふらしています。

 一応、三回ほど病院へ行って薬をもらって来たのですが、いまだ完治に至りません。まあ、一時に比べればだいぶ楽にはなったのですが、それでもまだ苦しい。

 今月の実に半分以上をこの咳とともに過ごしたことになります。辛かった。必ずしもこの咳のせいばかりではないでしょうが、今月はブロマガもイマイチ、イマニくらいでしたね。

 ほんとうはプロとしては常に一定上の質と量を提供しつづけなければいけないのでしょうが、どうもぼくは波があるようで、その時々で調子が良かったり悪かったりします。

 先月は非常に好調だったのですが、今月はどうも不調だった。量的にも先月の半分強くらいしか更新していませんし、クオリティももうひとつ、という感じです。

 それでは、何が好調と不調を決めるのか。よくよく考えてみたのですが、結局、モチベーションじゃないかな、と思いあたりました。高いモチベーションでもって書いているときは調子が良い。低いモチベーションのときは悪い。そういうものなんじゃないかと。

 で、それなら何がモチベーションの高低を決めるかというと、邪念が入るかどうかなんじゃないか。「もっと会員数を増やそう」とか、「もっとウケる記事を書こう」とか、そういう余計なことを考えているとモチベーションはてきめんに落ちる。そんな気がします。

 調子が良いときが続くと「しめしめ、この調子で行けばいいぞ」と思い、モチベーションが落ち、調子も悪くなる。こういう順番ですね。

 よく考えてみると非常にわかりやすい話ですが、じっさいに書いている最中にはこのことがわからない。邪念がで目が曇っているからです。

 つまりは肝心なのは「書きたいものを、書きたいように、書きたいだけ書く」、これです。そうでないと高いモチベーションを保てないらしい。

 あるいはプロフェッショナルとしてはそういう個人的な動機で書いてはいけないのかもしれません。でもなあ、ぼくはそういう意味ではまったくプロではないんですよね。

 自分の精神の波が高まった時点で書かないと面白いものが書けない。そういう性格らしい。これはもうどうしようもない。だって、書きたいことだけ書いている時とそうでない時で歴然と記事の出来が違うんだもの。

 ぼくはよく「もっとがんばらなければ」とかいうんだけれど、そもそも「がんばる」という時点で何かが違っている。自分で楽しんで書くことが肝心なのであって、無理に努力していると感じている時はその時点でダメなんですね。

 「あれ、こんなに書いてもいいんですか? もっと書いてもいいですか?」という気分の時だけまともな文章が書けるのであって、必死に努力しているとかいう時はその時点でお話にならないということ。

 まあ、そういうわけで、これからはやりたいことだけやってわがままに生きていきたいと思います。この文章を読んで呆れて離れていく方もいらっしゃるかもしれませんが、それはそれでもう仕方ありません。

 ぼくなりにぼくにできる限りのことをやっていきたいとは思っているので、どうかお付き合いいただければ、と思います。よろしくお願いします(ぺこり)。さあ、やるぞ!