文章力の基本

 日本語が好きです。書くのも好きなら読むのも好き。綺麗な日本語を読んでいると自然にため息がもれます。言葉は情報を伝えるための道具ではありますが、しかし、それじたいあまりに美しい。

 ときにぼくは言葉が孕む情報より、その美に心奪われます。何も詩的な文章ばかりが美しいというのではない。極限まで研ぎ澄まされていれば、工業用品の説明書きにも美は宿るでしょう。

 もちろん、ぼくにはそういう文章を書く能力はありません。書けるようになりたいといつも願ってはいますが、理想は遠い。だからぼくに「流れるような文章の書き方」といった記事を書く資格はありません。そこで、この記事では、読みやすい文章とはどういうものなのかを考えてみたいと思います。

 読みやすい文章を書くことも簡単ではないし、読みやすさを追求することと文体の美を求めることは無関係ではないのですが、それでも日本語のいろはを習得したいと思うなら、まずは読みやすさのことを考えるべきでしょう。その上で初めてそれ以上のものを秘めた書き方に挑戦できる。そういうものです。

 それでは、読みやすい文章とはどういうものなのか。思うに、それは特別なくせのない文章のことです。書き手の恣意が目立たない文章であり、平凡な文章といってもいい。ごくふつうに、何もかもあたりまえに書かれた文章こそが、最も読みやすい文章だろうと思います。

 もっとも、このふつうということがむずかしい。文章の技巧に興味があるひとほど、どうしてもよけいな気まぐれに走ってしまう。しかし、ほんとうに良い文章は決してそういう気まぐれからは生まれて来ません。

 ある文章を読みやすく研ぎ澄ますもの、それは「必然」です。すべてが必然に添って構成されている文章は読みやすい。反対に、その時々の気まぐれによって書かれた文章は読みづらい。

 良い文章を書きたいと望むひとに向けて、分不相応ながらぼくからひとつアドバイスをさせてもらうとすれば、それは「意識せよ」というひとことに尽きます。良い文章はその隅々、一語一字から句読点ひとつひとつに至るまで怠ることなく意識を巡らしてあるものです。