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オリジナリティという言葉には、抵抗しがたい魅力がある。それは幻想に過ぎないといわれるようになって久しいが、それでもぼくたちはよりオリジナルな作品を求めてやまず、ある作品にほかの作品と違う要素を見つけては崇めたてまつる。仮に幻想だとしても、きわめて強固な幻想である。オリジナリティ崇拝はいまなお死んでいない。
さて、ここに「小説家になろう」という小説投稿サイトがある。このサイトでは、基本的な構造を共有する小説が大量に、それこそ何万と投稿されている。基本的な構造とは、たとえばある日トラックに轢かれて死に、異世界に生まれ変わるといったシンプルなものだ。
そこにはオリジナリティなどまったく存在していないように見える。どれを切り取ってもまったく同じように没個性で凡庸な作品たち。しかし、こういった作品群を大量に読了している敷居さん(@sikii_j)は、そうではないと語っていた。こういった作品群にもオリジナリティはある、そしてそれはテンプレートの設定とは異なるところに宿っているのだと。
この話はおもしろい。オリジナリティというものに対するぼくたちの誤解をあぶり出すところがある。つまり、ぼくたちが普段オリジナルだと感じるのは、大抵がほかと異なる独創的な設定や意匠をもっている作品だ。
たとえばほとんどの登場人物がサイボーグ化している設定の『攻殻機動隊』には、少なくとも発表当時には強烈なオリジナリティが感じられた。なぜなら、そのような設定の作品はほかに存在しなかったからだ。
しかし、このような意味でオリジナルな作品は時代を下るにしたがって少なくなっていく。独創的なアイディアは有限だからだ。しかも最近の作家はそれまでの作品に強烈な影響を受けているから、なおさらオリジナルには見えないものを作るようになる。
どこを見てもパロディやらオマージュばかりの時代。いまやオリジナリティは死んでしまったのだろうか。もはや新鮮で個性的な作品は生まれないのだろうか。このような意味でのオリジナリティの問題で悩んでいたのが、たとえば『新世紀エヴァンゲリオン』の庵野秀明である。
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コメント
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なにかのやり方に染まっても自分は消えないのだと、
神山健治さんだったかな。言ってたような気がします。
染まるって重要な事ですね。それが後の記事にあたる、若いうちにたくさん死ぬってこととリンクしてるんですかね。
タチコマ達が並列化の先に個性を獲得したエピソードを思い出した。
無個性のように見える環境で一個体はそのオリジナルに流れるように行き着く。
なろうとかニコ動はたまたネットやリアルにはそんなシステムが宿っている。