20歳の自分に受けさせたい文章講義 (星海社新書)

 古賀史健『20歳の自分に受けさせたい文章講義』を読み終えた。良い本だ。特別奇をてらったことが書かれているわけではないが、文章を書く際に必要なことはひと通り網羅されている。普段、どうしてもうまく文章を書けないというひとは一読してみるといい。参考になることが書かれてあるかもしれない。

 文章の要訣は論理である、と筆者は説く。文体とは論理によって成り立っているのであって、理屈が通っていない文章ほど読みづらいものはないと。同感だ。すべて文章は「理」によって成り立つ。理の通らない文章は自然、読者に違和を感じさせ、反感を覚えさせる。言葉のひびきの美しさがきびしく問われる詩歌であればともかく、散文においては何よりロジックの一貫性が大切だといい切ってかまわないだろう。

 ただ、それならシンプルに意味情報さえ伝わりさえすれば良いかというと、ぼくはそこまで割り切れない。ここが筆者とぼくの意見が分かれるところだ。筆者は仰々しく言葉を飾り立てた「美文」を否定し、ただ「正文」さえあれば十分だという。文章の美醜を分けるものはしょせん主観であり、ひとによって好みが違う。それに比べ、論理的に一貫した文章は広く伝わり、届くのだ、と。

 正論である。そのことを承知した上で、ぼくなお文章の視覚的、あるいは聴覚的な美しさに拘りたい。音楽的なリズムに留意してみたい。もちろん、それは自己陶酔、自己満足と紙一重であり、正確に情報を伝えることが第一だとする立場からは幼稚な思想とみなされるかもしれない。しかし、それでもぼくはやはり「正文」第一主義には飽き足らない。なんといわれようと美しい文章を読みたいし、書きたいのである。

 絵画にたとえてみよう。ある人物の特徴を伝えたいとき、必要になるものは精密な似顔絵であって、ゴッホやピカソの「芸術的な」タッチは役に立たないだろう。だが、だからといってゴッホやピカソの絵に価値がないことにはならない。