弱いなら弱いままで。
「アニメを好きではないアニメファン」とは何者か。仮面オタクの実像を考える。(3278文字)
この場合、「オタク」とは何かしらの熱烈な趣味を持っているひとというほどの意味。なんであれ好きなものがあるひとは幸福だ。その主観を通じて、世界にふれた実感を得られる。
それがチェスであれ、紙飛行機であれ、ライトノベルであれ、同じこと。ひとつの「好き」から、好奇心の旅はどこまでも続いていく。
多くのオタクたちが「リア充」にあこがれ、うらやんでやまないことは事実である。しかし、ほんとうにリア充的な生き方だけが幸せなのだろうか。
ぼくには、なんであれ夢中になれるほど好きなものがあって、それに熱中して日々を過ごせるオタクの生き方も十分に幸福なものに思える。むしろ、かれらこそがほんとうに恵まれた人種なのではないだろうか。
仮に「リアル」が不遇だとしても、空想の世界で羽をのばすことができるなら、一概に不幸とはいえないと思うのだ。
こう書くと、すぐさまつよい反論が返ってくることが予想される。オタクは不幸で、可哀想で、恵まれない人種なのだ、なぜならオタクはいまだに高い社会的評価を得られないからだ、女の子にもモテないし世間からは後ろ指を刺される、そんなオタクのどこが幸せなのか、と。
だが、ぼくにいわせれば、そもそも社会的評価を必要とするようなひとはたいしてその趣味を好きではないのだ。ほんとうに好きなら、世間がなんと非難しようと、自分の愛を貫くことができるはずだ。
もちろん、よく知りもしないひとからああだこうだといわれることは不快である。余計なお世話だと思う。とはいえ、それはどうでもいいノイズ。それで「好き」という指標が揺らぐわけではない。
ほんとうに好きなものがあるひとは、その対象から無限の快楽をひき出すことができる。だから、傍目には不遇でも、かれは十分に幸福だし、満たされているのだ。
そういう幸せなオタクのひとつの典型をみせてくれる漫画がある。はるな檸檬『ZUCCA×ZUCA』である(http://www.moae.jp/comic/zuccazuca)。
この作品のなかでは幾人かの宝塚ファンの女性たちの、どうみても幸福としか形容しようがない日常生活が描かれている。
彼女たちの人生はほぼ宝塚に占領されており、ほとんどそれ以外の要素を必要としていない。素敵な恋人だの、充実した仕事だのは、宝塚という趣味の付属物であるにすぎないようだ。
ここにおいて、趣味は完全に趣味であることを超えている。それは人生そのものであり、自分をいまより高いところへ連れて行ってくれる道標なのだ。
たかが演劇、と思うひともいるかもしれない。そういうひとは、残念だが、趣味がもたらす歓びを理解できないひとたちである。ほんとうに熱烈に何かを愛しているひとは、決して他人の趣味につばを吐いたりしない。
ぼくもそういった人間のひとりだ。ひとはくだらない遊びに夢中になって、人生を踏み外した哀れな男と思うかもしれないが、ぼくはいま、十分すぎるほど幸せである。
しかし、一方でたしかにまるで幸福にはみえないオタクもいる。しょっちゅうまわりに愚痴と悪口ばかりいっているような人々のことだ。
そういうひとは大抵、自分の趣味を自分で貶める。自分もたくさんアニメをみているくせに、ひとがアニメに夢中になる姿をみてあざけり笑ったりする。
ぼくは以前からふしぎだった。そこまで熱心になれる趣味があって、その上、何が不足だというのか。オタクとは幸せな人種だというぼくの前提が間違えていたのだろうか。もちろん、どんなディープなオタクも私生活では色々あるに違いないけれど、基本的にオタクはその趣味から大きな歓びを得られるはずなのに。
しかし、最近になってようやく気づいた。たぶんそういうひとはオタクを名乗り、自分でもオタクだと思っていても、たいしてその趣味を好きではないのではないかと。
あるいは、かれはその分野(たとえば深夜アニメ、たとえばソーシャルゲーム)について、でたらめに深い知識を持っているかもしれない。
いまでは膨大になりすぎてとても追いかけられそうにないテレビアニメを片っ端から見ているとか、そういう人種であるとも考えられる。だが、だれよりもアニメをたくさん見ているのに、実は少しもアニメを好きではないというひともありえる。
こういうひとたちはたしかに幸せではないかもしれない。これらの人々はそもそもぼくがいう「オタク」ではない。べつだん知識とか技術の問題ではなく、その心理において違うと思う。
あえていうなら、かれらは「仮面オタク」である。オタクでもないのにオタクとしてふるまっているひとたち。たいして好きでもないのに好きなふりをしている人々。
そんな人間がありえるのかと思われるかもしれないが、ありえるのだ。ありえるとしか考えられないのである。それでは、かれらはなぜ、それほど好きでもない趣味と労力に時間を費やすのか。
ここから先は想像になるのだが、それはつまり「何も好きなことがない」という状況に耐えられないからではないだろうか。
かれらにしても、ほかに何か好きなことがあれば、当然、そちらに時間を使うだろう。
しかし、そもそも何ひとつ好きなものがないひともいる。そういうひとは、大半が何か飛び抜けた個性を持っているわけでもないので、自分の殻を打ち破ることがむずかしい。
ひとから蔑まれもしないかわり、さほど興味を持たれることもない、そういうポジションを抜け出すことは簡単ではないのだ。
だが、そんな「何も好きなものがないひとたち」でも、アニメを見ることくらいはできる。それを本心から楽しむことはむずかしいにしても、とりあえず見て、ああだこうだとネットで雑談に興じることくらいはできる。
それだけでたぶん、何らかのコミュニティに所属できた気分にはなれるだろう。つまり、かれは「居場所」を得ることができたのだ。
それだけなら、何も悪い話ではない。べつに深い愛情と関心がなければアニメを見てはいけないなどというルールはない。とはいえ、やはり好きでもないものを好きだと思い込んでいるわけだから、自然、どこかに歪みは出てくるはずだ。
それが、おそらくはとめどなくあふれだす愚痴や悪口なのではないだろうか。ひと口に愚痴といい、悪口といっても、ある程度はふつうのことである。
何ひとつ愚痴をいわないひとのほうがめずらしいこともたしかだろう。悪口にしても同じこと。好きだからこそ批判したくなるという心理もある。
が、それが一定のラインを超えているようだと、やはり「仮面オタク」のサインということが考えられる。なんであれ好きなものがあるひと、つまりオタクの日常は、その好きなものによって充足している。
仕事が辛いとか恋人と別れたといった不幸が払拭されるわけではないにしろ、好きなものがあるということは豊かなことだ。それは『ZUCCA×ZUCA』の宝塚ファンたちを見ていればわかる。
しかし、そもそも好きなものがないひとは、一見、オタクであるように見ても、本質的なところでその充足を知らない。だからかれらは必然、攻撃的になり、立場の違う人間をののしってやまない。そういうことなのではないだろうか、といまは思う。
この記事の続きを読む
ポイントで購入して読む
※ご購入後のキャンセルはできません。 支払い時期と提供時期はこちら
- ログインしてください
購入に関するご注意
- ニコニコの動作環境を満たした端末でご視聴ください。
- ニコニコチャンネル利用規約に同意の上ご購入ください。
2013/07/16(火) 15:52 有名人にだけはなりたくない。(2044文字)
2013/07/16(火) 18:55 ついに新連載! 田中芳樹&荒川弘の『アルスラーン戦記』とはどんな物語なのか。(2013文字)
コメント
コメントを書くにわかオタクと呼ばれる人種がいることはネットでもよく指摘されてますね。
アニメのキャラや表面のストーリーのみを楽しみ、アニメーションという映像表現が持つ本質的な面白さに触れていないオタクの事とでもいいましょうか。(あくまで個人的な定義です)
しかしこれに関しては富野由悠季は著書で、『オタクやアニメファンの人よりもむしろアニメに何の思い入れも無い人に受けてこそ良作』だと書いています。なぜなら所謂普通の人こそが「つまらない、面白い、飽きた」など正直で素直な感想を言うからとのことです。
いまや動画サイトで深夜アニメでも簡単に見れます。
普通の人(富野由悠季の言うアニメに思い入れの無い人)が普通にアニメを見て、正直な感想をネットに書く時代が来たに過ぎないのではないでしょうか?
リア充と呼ばれる人たちが深夜アニメを盛んに見るようになったからと言って、元来のオタクがうろたえる必要もないでしょう。
どんな批判があろうとも自分の審美眼を信じて、今まで通り好きなものを好きだと思い続けていれば良いだけです。ネットで議論をするためにアニメを見るなんて本末転倒です。
もちろんアニメオタクとリア充は両方ともテレビの前ではただの視聴者なのだから、どちらが偉いということはありません。
あと、兵頭新児さんの書いている好きでもないのになぜ一般の趣味に移らずわざわざアニメを見るのか。その理由としては滝本竜彦氏が著書で、『子供の時アニメ嫌いだった人間はほとんどいない。大人になっても趣味が見つからずにその延長で見てしまって、アニメの批評や批判ばかりしている。何か新しいことを好きになったり夢中になることはエネルギーが要ることなので、そのエネルギーを使いたがらない人がずるずるオタクをやっているケースがある』という旨の文章を書いており、これが一理あると自分は考えています。
taさん>
初めまして。
ぼくは先に「アニメが好きでないのなら一般的な趣味を見つければよい」と書きましたが、その後、「確かにオタク文化黎明期に比べれば、現代ではオタク趣味は比較的一般的かつ、普通の趣味になりつつある」と思い至りました。
だからあなたが引用する滝本氏の言い分も、少しはわかる。
しかしよく言われるように、「リア充が『俺オタクでさー』と言う時、それはせいぜい、『ONE PECE』の五巻と十二巻を持っているとか、ジブリアニメを一度見たことがあるとか、その程度の意味」だったりするように思います。深夜アニメなどは見ないでしょう。
そしてまた、仮にいかに借り物の、薄っぺらな言葉であろうとも、「アニメの批評や批判ばかり」する行為というのは、それだけでそれなりの知的エネルギーが必要とされるということは、恐らく海燕氏が一番よくわかっていらっしゃることでしょう。
だからやはり、おっしゃることは当たっていないように思います。やれることがないのであれば、口を開けてテレビを眺めていればいいのですから。
>兵頭新児さん
こちらこそ初めまして。拙い文章を読んで頂いて恐縮です。
そして、恐れ多いですが、兵頭さんのコメントに反論があります。
リア充はともかく、やっぱり今の平均的な中高生は深夜アニメを見ていると思います。
ワンピースやジブリしか見てない中高生なんて今時もういないと思います。
例えばジョジョと進撃の巨人です。
この二つは元々原作の人気が高かったということもありますが、深夜にアニメが始まるや否や、マンガや関連商品が非常によく売れています。
これは間違いなくオタク以外の多くの人が深夜アニメを見て、それに感化されたからだと思います。
今の中高生は確実にネットの意見を参考に、マンガやアニメを選んで見ています。エヴァの再ブームもネット上での流行によるものだと考えられます。エヴァとワンピース(ジャンプアニメ)が映画の興行収入で同等に張り合うなんて少し前では考えられなかったでしょう。
それに今は、深夜に放送してても簡単に録画できるし、ドラマやバラエティも録画で見る時代なので、ドラマと同じ感覚で深夜アニメを見ていると思われます。
今はビデオテープに時間録画して、野球が延長したらそれに合わせて録画時間をずらさないと録れていないといった苦労もなく見れるのです。
二つ目のアニメの批評にもエネルギーがいるという点ですが、これはエネルギーの使い方の問題だと思います。
新しいことに夢中になるのもエネルギーが要りますが、もっとエネルギーの必要とすることは人間関係の構築と維持です。
本当にエネルギーを使いたくないひとは、口をあけてテレビを眺めているのだと思います。
しかし、誰かと何か議論したいという欲求とエネルギーはあるが、そのために新しい人間関係を作って維持するエネルギーが無い人はどうするか。そういう人がネットの匿名掲示板でアニメの批判をして発散しているのではないでしょうか?匿名だとすぐに逃げられますし。
では何故一般趣味ではなくアニメなのか?それはアニメだとレスが付きやすいからです。
2ちゃんねるではアニメに関するスレが多いですし、専門的な知識が要らないので政治や経済を語るより論破されにくいです。
だから仮面オタクと海燕さんが呼ぶ人は、レスが付きやすい流行のアニメを見て批判し、人気の無いアニメはDVDの売り上げを見るやゴミだのクソだの好きに言うのです。
要するにかまってちゃんなんです。レス欲しさに刺激的な批判論を展開しているのです。ネットで人との繋がりを感じていたいだけの人なんだと私は考えています。
ご丁寧にありがとうございます(恐れ多いってことはないけど(^^;)。
>ワンピースやジブリしか見てない中高生なんて今時もういないと思います。
例えばジョジョと進撃の巨人です。
いや……それはリア充寄りでしょう。
ぼくは「ジャンプ脳」というものがまるっきりなくて『ジャンプ』をリア充メディアと考える傾向があるけど、(というか、いまだオタは『サンデー』という感覚)それにしても充分メジャーな作品ですし。
逆に『エヴァ』ほどではないけれども「社会現象」とされた『まど☆マギ』や『ハルヒ』をリア充が見ていたかとなると、疑問です。
以降、おっしゃる分析は非常に面白いのだけれども、見ていくと
・「仮面オタク」とやらは「評論欲」というものが先行していて、その素材は何でもいい。そのため、「愛してもいない」アニメを選ぶのだ。
・「仮面オタク」とやらは人と繋がりたいにもかかわらずそのスキルを持たない「コミュ障」だ。だからネットで暴れるのだ。
この二つの考えが混在しているように思えます。
それぞれを「オタクは評論厨」「オタクはコミュ障」と読み替えれば、それなりに納得できます。
が、そうなると「ヤツらはオタクではない、仮面オタクだ」との仮説はやはり、全くあっていないことになる。
そもそも「評論欲」が先行しているにせよ、人と繋がりたいという欲求が先行するにせよ、一般的な番組(これはそれこそ『進撃の巨人』も含まれるでしょう)を見て、それを話題に一般的な人々と繋がればいい話です。
それは恐らく、ネット上でも同じでしょう(一般的なテレビ番組のファンのSNSなどのムードは知りませんが)。
お話がここまで矛盾だらけになってしまうのは、「ヤツらをオタクと認めたくない」という情念が先行しており、リクツが後から無理やりに後づけされているためです。
ぼくはそうした寒々とした情念を正当化しようとする心性にこそ、ぞっとするものを感じます。
>>5
>「ヤツらをオタクと認めたくない」という情念が先行しており、リクツが後から無理やりに後づけされているためです。
なるほど。確かにそういう感情で後から理屈をつけていったことは認めます。というか言われて気がつきました。
少し話が脱線しますが、私個人としては仮面オタクとは別に、アニメの内容でなくDVDの売り上げで優劣を語るような、ファンというより、スポーツ界のサポーターのようなオタクとは区別したいと考えています。
そうなると、最初のコメントにあった
>「オタク界がダメ人間の受け皿から、漫画などで秀でた成功者と、そうなれなかった者を二分する格差社会と化した」
という意見が残ることを認めます。
しかし、批判や愚痴の中には、アニメの制作過程を理解してないような的外れな批判などもあり、本気でアニメ、マンガ業界を目指して失敗した人のみが仮面オタクになっているかは疑問が残ります。
それに、例え業界以外に行き場がなく、しかしここでも幸福になれなかった者だからと言って、制作側の人間へのリスペクトを感じられないような愚痴や批判が不快であることは事実です。
愛が足らぬ以前に、そのような作り手を一方的にバカにするようなことを書いている人には、火炎放射器を浴びせたくなることがあって当然です。
う~ん、よくわからないですね。
ぼくはスポーツのことはまるっきり知らないのですが、ファンとサポーターは違うのでしょうか?
DVDの売り上げで優劣を語るのはアタマノイイことだとは思いませんが、それをやった瞬間、「お前をオタクとは認めない!」ってのはどうでしょう。
>本気でアニメ、マンガ業界を目指して失敗した人のみが仮面オタクになっているかは疑問が残ります。
いえ、そういうことを言っているのではありません。
それこそ2chでの論戦であろうと、勝ち負けはあるわけです。
絵のスキルだって文章のスキルだって、プロを目指す目指さない以前に明白な勝敗がつく人が(つまりからっきし無能なヤツ)大勢いるんです。
>制作側の人間へのリスペクトを感じられないような愚痴や批判が不快であることは事実です。
ありますね。
好ましいことではないと、思います。
でも「だからお前はオタクじゃない!」などと決めつけるやり方に比べれば、遙かにマシであると、ぼくは思います。
>>7
う~ん・・・・。
議論を重ねるほど、自分の理想のオタク像がかなり個人的なイメージであったことを指摘され、ショックの連続です。
ファンとサポーターの違いですが
ファン=そのチームが好きな人。応援する人。
サポーター=自分のチームを応援するあまり、対戦相手を罵ったり、自分の応援してるチームが負けると自分のチームの罵詈雑言を平気で言う人。
みたいなイメージです。
アニメは商売ではありますが勝ち負けはありません。それなのに勝手に自分の好きなアニメの売り上げを自慢して、「このアニメはすごく売れたから優れている」と言ったり、「○○より売れてないから××は劣ってる」みたいな、別々のアニメのファン同士の対立を煽る書き込みをする人をサポーターみたいだと例えて言ってみました。
しかし、サポーターも真剣に応援しているからこそ、相手や自分のチームのダメなところを罵るんでしょうね。
それを考えると、そういうアニメの見方もあると受け入れないといけなのかなとも考えます。
アニメもスポーツも見方を強制することは出来ませんからね。
なるほど、野球で言うところのヤジ将軍みたいなのですね。
まさにおっしゃる通り、自軍を愛するが故に彼らは敵軍にヤジを飛ばすんですね。
それは好ましいことではないけれども、自分の贔屓のチームを愛すればこそで、オタクにも同じことが言えるかと思います。
本件については(http://d.hatena.ne.jp/srpglove/20130717)で反論されており、ぼくの考えもこれとほぼ同じです。
よければご覧になってみてください(ブロガーさんの許可を取ったので、紹介することに問題はないかと思います)。
>>9
ブログを拝見しました。
オタクであることと攻撃的な批判をすることは、趣味と人格の問題なので関係ないですね。その通りだと思います。
これを読むと、最近話題の「児童ポルノに二次元を含むか」という論争を思い出しました。
私は規制派の「こんなものを見ている人間はやがて性犯罪を犯すに違いない」みたいな偏った考えを嫌悪していたのに、自分もこれに近い考えに陥っていたとは・・・・。反省せねばなりません。
本日は非常に長時間にわたるレスのやり取りに付き合って頂き、ありがとうございました。
こちらこそ。
また何かありましたらよろしく。
海燕さんも、大変お邪魔しました。